越生梅林 (埼玉県入間郡越生町)


 「水戸偕楽園」、「熱海梅園」と共に「関東3大梅林」に数えられる「越生梅林」。梅園神社に九州太宰府天満宮を分祀した際、菅原道真公にちなんで、梅を植えたことが起源とされている。約2haの園内には、650年以上前に植えられた古木をはじめ、白加賀、越生野梅、紅梅などが約1000本。梅林周辺も含めると開花時期には、約20,000本もの梅が美しく咲き誇る。越生の梅は、1350年頃、九州の大宰府から現在の梅園神社に分祀した際、菅原道真公にちなんで梅を植えたのが起源であると伝えられている。2月中旬~3月下旬には梅まつりが開催される。 -2019.03.05-

入口近くの梅林の下に"福寿草"

古木「魁雪」

越生の梅は、南北朝時代の観応元年(1350)に九州太宰府から小杉天満宮(現・梅園神社)を分祠した際、菅原道真に因んで梅を植えたのが起源であると伝えられている。「魁雪」は、その頃の梅(越生野梅)がここまで生き永らえたものと推定される。太田道灌の父、太田道真は退隠後、越生に居館自得軒を構えていた。歌人としても名をなした道真は川越(河越)城で主催した連歌会「川越千句」では、"梅さきぬ なほ山里を おもふ哉"と詠んでいる。この会にも同席した当代一流の連歌師・心敬や宗祗も、越生の梅を讃えた句を残している。文明18年(1486)6月、道灌は詩友万里集九と共に自得軒に父を訪ね、詩歌会を開いた。道灌が謀殺されるのは翌7月のことである。父子最後の対面となったこの折に、万里が詠じた漢詩「郭公稀(ほととぎすまれなり)」は、万里の漢詩文集『梅花無尽蔵』に収められている。道真・道灌父子が、或いは中世の雅人たちが、この梅の花を愛で、その実を手に取ったかも知れない。梅の木は、樹齢200年にもなると捻れが始まってくると云う。人の世の栄枯を見つめ、六百有余年を経て、なお可憐な花を咲かせ続ける貴重な名木である。 一般社団法人越生町観光協会  ~下記案内板より転載~

梅林に沿って流れる越辺川

園内には梅林の中をミニSLが。1周253mあるSLは、昭和40年代半ばまでJR八高線で実際活躍していた9600型というSLの1/10の模型で実際と同じように石炭をたき、梅林の中、全長250mをぬうように走る。

帰りは徒歩で越生梅林から東武越生線越生駅へ!!

「梅オーナー畑」???。ネット検索してみたら、越生町観光協会では、10年前から越生町の特産「梅」に親しんでもらうため、花見から収穫までを楽しめる「梅オーナー制度」を実施とのこと。

昔のポストがたくさん並んでいます???!!!。これもネット検索したら、不法投棄などではなく、地元企業である社長によるコレクションなのだとか…。~「そうだ埼玉珍百景 どれに入れるか迷っちゃう!越生町にある大量の郵便ポストの謎」