浅草 酉の市


浅草酉の市は、最も大きく最も賑わう酉の市といわれる。「神と仏の酉の市」としても有名。隣り合う鷲神社と酉の寺長國寺両方の「おとり様」に願いをかける事ができる。江戸時代から続くこの酉の市では、金銀に輝く豪華な熊手が並び、威勢のよい掛け声が飛び交って、縁日は夜遅くまで賑わう。初めての酉の市ー訪れた日は、二の酉。にぎやかで華やいだ熊手屋さんの数に、また、熊手の商談が成立するとあちこちから聞こえて来る手締めと声に、気分は高揚、粋な時間を過ごせました!! -2018.11.13-

鷲神社(台東区千束3丁目)


「鷲神社」は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした由緒正しい神社。江戸時代から「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、現在も鷲神社は、「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集め、酉の市発祥として人気。11月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られているが、正しくは「酉の祭(とりのまち)」と呼ばれた神祭の日。11月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が執り行われる。11月に酉の日が2回ある時は二の酉、3回は三の酉といわれます。以前は、酉の祭(とりのまち)と呼ばれていたが、次第に市の文字があてられ、祭に市が立った。熊手は一般に「かっこめ」「はっこめ」といわれ神様の御分霊で福運や財をかき込むという縁起から開運、商売繁盛のお守りとされている。神社境内では約150店舗の熊手を売る店が立ち並び賑う。

縁起物の熊手も色々の種類があり、時代とともに形も飾り物も変わって、江戸中期より天保初年頃までは柄の長い実用品の熊手におかめの面と四手をつけたもの。その後色々な縁起物をつけ今の様な宝船、平、桧扇、文化、みの、御所車など多くの種類となり、毎年流行を取り入れた熊手も話題を呼ぶ。 ~鷲神社HPより転載~

大熊手

長國寺(台東区千束3丁目)


江戸時代初期、寛永七年(1630年)に石田三成の遺子といわれる、大本山-長國山鷲山寺(じゅせんじ)第13世・日乾(にちけん)上人によって、鳥越町に開山された。山号を鷲在山(じゅざいさん)寺号を長國寺。寛文九年(1669年)には坂本伝衛門氏の後ろだてにより、新吉原の西隣にあたる現在の地(台東区千束)に移転し、江戸時代から続く代表的な年中行事である、浅草酉の市の発祥の寺として、今日に至っている。~長國寺HPより転載~

熊手いろいろ


おかめや俵、小判に、鯛、打ち出の小槌など縁起がいいと言われるものばかり。そしてあでやかな色に気持ちも華やぎます!!

東京オリンピックのマスコット

“ミライトワ”と“ソメイティ”の熊手も

小判が孔雀の羽根のようにもみえる熊手