皇居 乾通り・東御苑・行幸通り-紅葉-


新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から取りやめていた「秋季皇居乾通り一般公開」。ニュースで、3年ぶりの実施だが混雑はそれほどでもないとの情報を聞き行ってきました♬。情報通り、手荷物検査・セキュリティーチェックもスムーズに入場できました。皇居南側の「坂下門」から入って、北側の「乾門」までの約750mの乾通りを進みます。通りの両側には、イロハモミジ・トウカエデなど計70本のモミジ類が紅葉していました。乾通りの紅葉を楽しんだ後、「皇居東御苑」へ。そして「行幸通り」のイチョウ並木の黄葉を楽しんできました。-2022.12.02-

皇居乾通り


皇居乾通り一般公開は、平成26年に上皇陛下の傘寿を記念して、初めて春季と秋季に実施したもので、大変好評であったことに鑑み、平成27年秋季から、毎年、春季の桜の時期と秋季の紅葉の時期に実施。令和2年以降は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から取りやめていたので、今回は3年ぶりの実施。令和4年11月26日(土)から12月4日(日)までの9日間、秋季皇居乾通りを一般公開。入場時間は午前9時から午後3時まで、皇居坂下門から参入、皇居乾門から退出。

「坂下門」

坂下門は江戸城西丸造営直後に造られたと伝えられている。西丸大奥に近く、西丸の通用門として利用されていましたが、今は宮内庁の出入口として利用されています。文久2年(1862)1月、老中安藤信正がこの門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名。

「宮殿」

「富士見櫓」

「江戸城跡」南に位置する、高さ約16mの三重櫓。江戸城の史跡として唯一残る三重櫓として知られている。どこから見ても同じような形に見えることから「八方正面の櫓」という別名を持つ。

「宮内庁庁舎」

「山下通り」

オオモミジ(大紅葉)

「蓮池濠(はすいけぼり)」

ベニシダレ(紅枝垂)

「局門(つぼねもん)」

明治20年頃、局(女官の居住施設)の門として築

「富士見多門」

トウカエデ

「門長屋」

「道灌濠(どうかんぼり)」

長禄元年(1457)、太田道灌が築いた城の外濠であったとの説があり、それが濠の名の由来となっている。

イロハモミジ

「乾門」

江戸城の乾(いぬい=戌亥/北西)の方向にある門の一つだが、実は明治21年、皇宮建設の際に新たに誕生した「明治の門」。坂下門の内側にあった西の丸裏門を移築したもの。新年一般参賀、桜の開花期、秋の紅葉の時期に行なわれる「皇居乾通り一般公開」の際に出入り口として使用される。

皇居東御苑(千代田区千代田)


皇居東御苑は、皇居造営の一環として昭和35年1月29日の閣議決定に基づき、皇居東地区の旧江戸城本丸、二の丸及び三の丸の一部を皇居附属庭園として整備することとなり昭和36年に着工し、昭和43年9月に完成したもので、面積約21万㎡の庭園。昭和43年10月1日から宮中行事に支障のない限り一般に公開されている。

宮内庁HPより転載

「二の丸庭園」

江戸時代を代表する作庭家の小堀遠州作の庭絵図面をもとに復元した回遊式庭園。

「諏訪の茶屋」

「諏訪の茶屋」は、元々、、明治45年(1912)に、皇居内の吹上地区に建てられたもの。その場所に江戸時代に諏訪社があったことから、「諏訪の茶屋」という名がついている。昭和43年(1968)に現在の場所に移築された。~下記案内板より抜粋転載~

「二の丸雑木林」

昭和天皇のご発意により、東京近郊から失われていく武蔵野の雑木林を皇居内に造ろうと、昭和58年(1983)から3年をかけて造成されたものです。開発されつつあった武蔵野雑木林から土壌を移したので、土に混じって植物の根や種子、昆虫や土壌植物なども一緒に運び込まれ、ナナフシのように羽のない昆虫が定着するなど、下草、かん木、昆虫も含めて武蔵野の雑木林らしい構造を持った自然が復元できました。~下記案内板より転載~


「皇居正門石橋旧飾電燈」

「江戸城本丸跡」付近

光のあたりでいろんな表情がみえる

紅葉とつわぶき(黄色の花)

「果樹古品種園」

江戸城の跡である皇居東御苑に江戸時代の品種である果樹を植えれば、訪れる人々にとっても興味深いことではないかとの上皇陛下のお考えを受け、本丸の富士見櫓に近い一画に果樹古品種を植栽した果樹園。

行幸通り(千代田区丸の内)


「行幸通り」は、東京駅前の交差点「東京駅中央口交差点」から皇居前の「和田倉門交差点」を結ぶ道幅約74mの広々とした遊歩道。皇室の公式行事や外国大使の信任状捧呈式の馬車列にも使われる。高層ビル群に見守られるイチョウ並木が秋にはイチョウが黄葉する。

丸の内仲通り