アルザス・オルレアンの旅9日間


オルレアン在住の友人夫妻を訪ねてフランスへ。パリからアルザス地方へドライブに連れてっていただきました!! 「メッス」「ストラスブール」「オベルネ」「カイゼルスベルク」「リボヴィレ」「リクヴィール」「コルマール」と小さな町・村を訪ね、散策。帰りにご夫妻が大好きなワインを購入しに「ブルゴーニュ」へ立ち寄り、ご夫妻居住の街、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)で有名な「オルレアン」へ。 -2006.06.30~07.08-

オルレアン (Orleans)


パリの約130km南西に位置し、フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)が英仏百年戦争末期にイギリス軍に包囲され陥落寸前だったオルレアンを解放し、その後フランス軍を勝利に導いたことで歴史に残る街。 -2006.07.04-

マルトロワ広場 (Place Martroi)


市の中心部にあるマルトロワ広場。街のシンボルのジャンヌ・ダルクの騎馬像が広場の中央にあり、今でも街を見守っている。

サント・クロワ大聖堂 (La cathédrale sainte croix d'Orléans)


オルレアンのシンボルともいわれ、ジャンヌ・ダルクがオルレアン解放後に礼拝したとされる大聖堂。塔の高さは88m と見上げるほど。鐘楼は 114m もの高さがある。建物は ゴシック様式で、そびえる二つの塔や美しいレリーフはレースのように繊細で美しい。内部のステンドグラスにはジャンヌ・ダルクの生涯が描かれている。


北側の翼廊と薔薇窓

1893-1897年に造られたジャンヌダルクの生涯を描いた10枚のステンドグラスがある。

火刑台のジャンヌ

ジャンヌ・ダルクの礼拝堂

ジャンヌ・ダルクの家 (La Maison de Jeanne d'Arc)


オルレアンをイギリス軍から解放した1429年にジャンヌ・ダルクが4月29日から5月9日まで滞在した家。

グロロ邸 (L'Hotel Groslot)


オルレアンの代官だったジャック・グロロがカルヴァン派の建築家ジャック・アンドルエ・ド・センソウに依頼し、1550~1552年に建設させたフラマン様式を取り入れたルネッサンス式の邸宅。30年前までオルレアンの市庁舎として使われていたが、今は市民が結婚式を挙げる広間や、いくつかの市の行政機関が入っている。

オルレアン(Orleans) → 🚊 → パリ(Paris) -2006.07.05-

パリ(PARIS)


帰国前にパリへ!! 

凱旋門

(Arc de Triomphe)

正式名は「エトワール凱旋門」。シャンゼリゼ通りのつきあたり、シャルル・ド・ゴール・エトワール広場のロータリーの中心にある凱旋門。1806年、ナポレオン1世が軍の勝利を記念して建設を命じて造らせた門で、高さ49.54m、幅44.82m。壁面はナポレオンの戦いや義勇軍の出陣を描いた彫刻で飾られている。

フランス語で「戦勝のアーチ」を意味する

シャペル・ノートルダム・ドゥ・ラ・メダイユ・ミラキュルーズ(Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse)


老舗デパ-ト「ル・ボンマルシェ」(LE BON MARGHE)の近くにひっそりたたずむ白い教会「シャペル・ノートルダム・ドゥ・ラ・メダイユ・ミラキュルーズ(奇跡のメダイユ教会)」。この教会は1815から1930年にかけて造られた。この教会の名前が世界中に知れ渡るきっかけになったのは、「奇跡のメダイユ」。1830年、修道女カタリナ・ラブレがマリアさまから「人々のために心を込めてメダルを作りなさい」というお告げを受け、作ったメダルをパリでコレラが流行した際に人々に配ったところ、コレラが収束したという言い伝えがある。そして、メダルを手にした人に奇跡が起こる、幸福が訪れるということで「奇跡のメダイユ」が世界中で有名になった、という。 この教会で販売されている「奇跡のメダイユ」を求めて、世界中から観光客がやってくる。~PARIS navi より転載~

2.「金の地球を持つ聖母像」:1830年11月27日、聖カタリナにメダイが示された場所に置かれていた。

4. 聖カタリナは1830年12月ここで聖母の出現を見る。

5. 1830年7月18日の最初のご出現を表す壁画。

絵葉書

「奇跡のメダイユ(メダル)」

上記写真:Chapelle Notre-Dame de la Médaille MiraculeuseのHPより転載