一言主神社(茨城県常総市大塚戸町)


大同4年(809年)陰暦11月13日、東の国であったこの地に当社御祭神一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)は三岐の霊竹を験(しるし)として御来臨。祭神の一言主大神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)と同一神であるとされ、「一言願えば良き事につけ、良からぬ事(心配事・病気・災難等)につけ、良く聞き分けて御利益を授けてくれる神」と云われ、「万能神」として信仰されている。-2022.04.30-

一言主神社HPより転載

「一の鳥居」

「三の鳥居」

狛犬の先には「四の鳥居」

反対側から鳥居を見ると

「四の鳥居」

拝殿


当社別当寺であった普光寺という寺院が慶応3年(1867)に拝殿を崇敬者の寄進によって再建したと記録されている。四間社の入母屋造の銅板葺で、特徴的な向拝は昭和60年(1985)に新築された。

上記写真:一言主神社HPより転載

狛犬と「拝殿」

御本殿 <水海道指定 有形文化財>


中世の戦乱により荒廃していた本殿は、一言主大神を篤く信仰していた平将門の後裔と伝わる下総国守谷城主相馬弾正胤広侯の寄進によって長禄3年(1459年)に再建されたと記録されている。その後の約150年に渡り修復・焼失等の記録はありません。本殿の造りは一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)風の銅板葺、朱塗りの社殿に彩色の施された彫刻が特徴。身舎(もや)外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、後側に「鷹と牡丹」の彫物、脇障子には当社ならではの「三岐の竹」の彫物がはめられている。

上記写真:一言主神社HPより転載

三岐の竹


当社御祭神にご縁のある植物である三岐の竹(みつまたのたけ)が植えられている。この霊竹は当社近隣の氏子や遠方の崇敬者により奉納されているもので代々に渡り絶えることなく植生している。

三竹の由来

今より千百五十余年前、今の社殿のある辺に奇しき光現れて、雪の中に忽然と筍が生じ、三岐の竹となりました。冬の時期余りに不思議に怪しいので、村人が俄にお祓いをし、湯立の行事をして卜いますと、「吾は大和國葛城山に居る一言主大神なり、今東國の万民の災禍を救わんが為に来れるなり、即ち此の三岐の竹を似て永く契とせよ」云々と託宣せられました。依って村人これに驚き、此処人跡を禁じ、社殿を造りお祀りしたのです。其の後も時折三岐の竹が生えるので、三竹山と呼ぶようになったのであります。社務所 ~下記案内板より転載~

霊竹殿


霊竹殿には歴代の三岐の霊竹が奉安されている。当地周辺に発生したもの、関東一円の崇敬者より遠方から奉納されたものなど様々な霊竹が納められている。

大黒社


大黒社は七福神の一柱である大黒天をお祀りする神社。

稲荷社・香取社


「稲荷社」と「香取社」は、当社の摂社のなかでも古くからお祀りされており、特に「稲荷社」は「福壽稲荷社」とも称された。御祭神はそれぞれ宇迦之御魂(うかのみたま)神、経津主(ふつぬし)神。

御神水


境内の地下水が汲み上げられている。

御神木


本殿のほぼ真後ろに垂直に聳える杉の大木。正確な樹齢は不明ながら、かつては近隣であればどこにいてもこの杉が天高く立つことを確認でき、当社の目印となっていたと云われている。