嚴島神社 (広島県廿日市市宮島町) 〈世界文化遺産〉


宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。鞍職は大神様が高天原から連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと、御祭神と共に島の浦々を巡り、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられる。その後、安芸守となった平清盛が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河法皇の御幸、治承4年(1180)3月と9月に高倉上皇の御幸があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされた。1996年(平成8年)、「広島県宮島にある嚴島神社の建造物群と背後の弥山を含む森林区域」として世界文化遺産に登録された。 嚴島神社HP   -2011.11.02-

廻廊 <国宝>


廻廊は幅3.9m、柱間2.4mで、柱間には何れも板が8枚張ってあり、板と板との間には僅かに隙間がある。間数は108間で、曲折する廻廊はいずれも長さが異なっており、その左右何れかに青銅製の灯篭が釣ってある。

神社入口(切妻造り)/「東廻廊」

鏡の池


東回廊を進み、干潮時のみ見ることが出来る池がある。それが「鏡の池」。厳島八景(厳島明燈、大元桜花、滝宮水蛍、鏡池秋月、谷原麋鹿、御笠浜暮雪、有浦客船、弥山神鴉)にも数えられる。中心部から真水が湧き出ていると言われ、手鏡のような丸い様子とその水の美しさ。特に満月の夜に水に映し出される月は神秘的な美しさとして、和歌や俳句でも多く詠まれている。

御本社  本殿・幣殿・拝殿・ 祓殿  <国宝>


御本社はそれぞれ国宝に指定されていて、ご祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の宗像三女神。ご本殿は三女神のほかに30柱の神様が相殿されている。広さは、正面8間・背面9間・梁間4間で、床面積は出雲大社の2倍の大きさといわれている。

能舞台 <国重要文化財>


「能舞台」は、毛利元就が造営寄進したもので、屋根檜皮葺、笛柱が独立し、同吟座が広いのが特色。橋掛、楽屋(柿葺)と共に重要文化財。現在の能舞台は、延宝8年(1680)広島藩主・浅野綱長によって再建されたものである。国内唯一の海上に造られた能舞台。

「西廻廊」

反橋 <国重要文化財>


「反橋」は、勅使橋ともいい、長さ23.7m、幅3.9m余で、高欄は丹塗り、橋脚は墨塗。平安末頃上卿が参向する時に渡ったもの。高欄の擬宝珠に毛利元就、隆元父子が弘治3年(1557年)に奉納したものがある。

「神社出口(唐破風造り」

五重塔 〈国重要文化財〉


高さ:27.6m、方:3.6m。応永14年(1407)建立桧皮葺で和様・唐様を融合した建造で、内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれている。

多宝塔 〈国重要文化財〉


高さ:15.6m。僧周歓が大永3年(1523)に建立したといわれ、薬師如来像をお祀りしていたが明治維新の神仏分離令で大願寺に移され、建物は、現在「嚴島神社」に帰属している。

大鳥居


本社から108間離れた海中に立つ高さ16m、重さ約60tもの巨大な鳥居。本柱に計本の控え柱を持つ「両部大鳥居」の形式。実は6本の柱の足元は海底に埋めておらず、自らの重みだけで立っている。地盤の強化や鳥居上部に埋め込まれた石と砂利の重みが、驚異の安定性を生み出している。

月と太陽の二つの気が自然界の万物を創り出すという「陰陽道」の影響を受けているといわれている。

西側に「月」

東側に「太陽」



夜の大鳥居