天龍寺 (京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)〈世界文化遺産〉


その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。造営費の捻出に成功した天龍寺は康永4年(1345)に落慶した。南禅寺を五山の上として天龍寺を五山の第一位に、この位置づけは以後長く続いた。天龍寺HPより -2016.11.06-

境内図

天龍寺HPより転載


曹源池庭園(そうげんちていえん)

 <史跡・特別名勝指定>

約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある。庭園全体像は寛政11年(1799)に刊行された秋里離島による「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残している。方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とする。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしている。曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられた。~天龍寺HPより転載~

絵葉書


法堂「平成の雲龍画」

法堂(はっとう)天井に平成9年(1997)天龍寺開山夢窓国師650年遠諱記念事業として日本画家加山又造画伯(1927~2004)により「雲龍図」が描かれた。天井(縦10.6m 横12.6m)に厚さ3cmの檜板159枚を張り合わせ全面に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直径9mの二重円相内に直接墨色で躍動する見事な八方睨みの龍が描かれている。移築当時は明治期に活躍された鈴木松年画伯の雲龍図が描かれていたが損傷が激しく、現在ではその一部が保存されており、毎年2月に大方丈にて一般公開している。~天龍寺HPより転載~

竹林の小径(京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)


渡月橋と並んで嵐山のシンボルでもある竹林の小径。野宮神社から天龍寺の北側を通り、大河内山荘庭園まで約400mにわたって空を覆うほど高く伸びた竹の林が続く。平安時代には貴族の別荘地だったといわれている。