太子堂八幡神社(世田谷区太子堂)


今から千年ほどの昔平安時代の終わり頃、陸奥(宮城・岩手)の豪族安倍氏の反乱(前九年の役)を源頼義・義家親子が征伐におもむく途中、鎌倉道に面したこの神社に戦勝を祈願し、杯を交わし休憩をしたと伝えられています。正確な文献の資料はありませんが、このことから永承六年(1051)以前には、この地の守り神としてこの神社の歴史が始まっていたと考えられます。 御祭神は、当初はこの地を開拓した先祖をこの地の守護神としていたと考えられますが、後に源氏の氏神となった八幡神が、源氏の関東での領地拡大に伴い、しだいにその地の守り神として祀られるようになったことにより、この社にも八幡神がまつられるようになったと思われます。源頼朝による幕府政治が鎌倉に始まり、さらに室町時代には世田谷を始め近隣の土地を領地とした吉良氏や、江戸幕府を開いた徳川氏の源氏一門の八幡神への信仰の影響もあって、世田谷には八幡神社が多くあります。

当神社も円泉寺の記録によれば、文禄年間(1592~1596)に八幡神社として建立されたとあります。豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼし、全国統一をした後の頃になりますが、北条氏の家臣の一団がこの土地に移り、草分けとして開拓を進めた頃のことです。おそらくその頃に社殿が神社らしく整えられたことにより、その時代の創立とされたのでしょう。~太子堂八幡神社HPより抜粋転載~「松陰神社」の参拝の後に立ち寄りました。 -2021.02.25-

「鳥居」

「唐獅子の狛犬」

「手水舎」

「本社」

お賽銭箱の上に"アマビエ"

「神楽殿」

お雛さま🎎が飾られていました!!

「御神木」

幹回り4m、樹齢五百年の大楠

「手水舎」の奥、社務所の裏手に

"しあわせうさぎ"

境内社


合祀殿「出羽三山神社 鹽竈神社」

「稲荷神社」

御祭神は、稲荷大神(宇伽之御魂命)。八幡神社のお食事を司る御食神として祀られている。

「弁天社」:入口の「鳥居」の手前に鎮座

御祭神は弁財天(厳島神)。烏山川に架かる弁天橋のたもとに水・農耕の神としてまつられていたが、昭和27年(1952)年に現在地に遷された。

「御朱印」