松岡山東慶寺 (神奈川県鎌倉市山ノ内)


開山は北条時宗の妻であった覚山志道尼、開基は時宗の子、北条貞時で1285年(弘安8)に創建。縁切寺法で女性を救済したことから「駆け込み寺」や「縁切り寺」の俗称で名高い。 明治4年(1871)には縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も1902年(明治35年)に幕を閉じ、1905年(明治38年)に釈宗演禅師が入寺、中興開山となり、新たに禅寺としての歩みを始めた。現在では、かつての尼寺の風情を残す境地に、四季折々の花々が参拝客を迎える。-2017.06.27-

境内図

東慶寺HPより転載

「山門」

かつては鎌倉街道沿いに総門もかまえていたが、現在はおとな二人が通れるほどの小さな山門を残すのみとなった。~東慶寺HPより転載~

「本堂」

本尊の釈迦如来坐像を祀る本堂。関東大震災後、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音菩薩を揮毫して寄進を募り、 昭和10年(1935)に建立したもの。~東慶寺HPより転載~

東慶寺HPより転載

「松岡宝蔵」

東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館。昭和53年、方丈跡に新築。釈宗演老師の遺言書よりおこした扁額がかかっている。~東慶寺HPより転載~

東慶寺HPより転載

「金仏」

「鐘楼」

釈宗演老師の居士である神津猛氏が、持ち山の材木を寄進して、大正5年に建立したもの。天井に描かれている龍の原画は、松岡宝蔵で常設展示されている。「梵鐘」は、観応元年(1350)の補陀落寺のもの(神奈川県指定文化財)。元弘2年(1332)に作られた、元の「梵鐘」は、現在韮山の本立寺にある。~東慶寺HPより転載~

境内奥

御朱印