曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見区)


總持寺の正式名は、「諸嶽山總持寺」。石川県にあった「諸嶽寺」を、鎌倉時代の末期である1321(元亨元)年、太祖瑩山禅師が「諸嶽山總持寺」と改めたのが始まり。明治44年の焼失を機にここ鶴見ヶ丘の地に移転。以来、諸堂を整備し、約15万坪の広大な境内にさまざまな堂宇を建立、現在にいたっている。敷地内にある墓地には、石原裕次郎や浅野総一郎をはじめ、多くの著名人が眠ることでも知られている。-2022.04.09-

構内図

境内マップ

三松関(さんしょうかん)<国登録文化財>


總持寺の総門。「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた扁額は、總持寺中興の祖といわれる石川素童禅師(1841~1924)が揮毫されたもので、總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来。この総門は、総欅造、禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門の様式で建てられている。

三門


総門をくぐり、七堂伽藍の最初に出会うのが「三門」。この「三門」は、木原崇雲氏が妻の菩提のために寄進され、昭和四十四年に落成した建物。鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさを誇っている。三門には、左右に金剛力士(仁王)像をおくのが通例とされており、總持寺の場合も同様で、左右に元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納められている。三門楼上には、開創時からの因縁によって、観音・地藏の放光菩薩像と十六羅漢像および四天王像が祀られ、毎月二日と十六日には羅漢供養の法要が修行される。これらの像は彫刻家阿部正基氏の作。三門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世岩本勝俊禅師が書かれたもの。

「仁王像」

三松閣


三門に向かって右側に大きな切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇が「三松閣」。地上四階、地下二階、9400平方メートルの広さがあり、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっており、宿泊施設も整っている。能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんで「三松閣」と呼ばれている。

向唐門(むかいからもん)<国登録文化財>


前後に唐破風を付けた精緻なつくりの四脚門。總持寺は、後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との綸旨を賜り、以後、歴代天皇より勅願寺として仰がれましたので、「勅使門」の名を残していた。禅師の入山式や、正月・7月のみたままつり・11月の御移転記念日の時に開扉される。

宝蔵館 「嫡々庵」


宝蔵館「嫡々庵(てきてきあん)」(旧、宝物殿)は、金色に輝く擬宝珠(ぎぼし)を頂いた建物で、開祖瑩山禅師650回大遠忌の記念に建立されました。本山所蔵文化財を一堂に集め、随時一般に公開。

大僧堂 <国登録文化財>


「大僧堂(だいそうどう)」は、雲水僧が集まり来るという意味で「雲堂」、また仏祖を選出する道場の意から「選佛場」、あるいは古木然として兀坐を行じているので「古木堂」などの名称を生んでいる。内部には坐禅用の畳敷の床を設け、中央2本の独立円柱状に独特な挿肘木を組む。堂の中央に僧形文殊菩薩像を安置して、衆僧がこれを囲んで、周囲に単(坐状)を設け、 行住坐臥、日夜弁道をする。正面玄関の「選佛場」扁額は、独住第3世西有穆山禅師の書。

仏殿 <国登録文化財>


七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、「大雄宝殿」とも呼んでいる。中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っている。如来は、死の恐怖、病気、四苦八苦など様々な衆生の悩みや苦しみを救済するため、その具体的な請願によって出現される仏。尊像は、右手を施無畏印、左手は与願印の印相をしており、この印相は、人々の不安をとり除き、あらゆる願いをかなえてくれる大慈悲の心を表現している。ご本尊の脇侍として向かって右に迦葉尊者、左には阿難尊者を祀っており、この両尊者は、お釈迦様の「十大弟子」の二人でもあります。須弥壇の左右の壇には、禅宗の初祖である達磨大師と、大権修理菩薩を祀っている。伽藍中心部に南面して建ち、方三間一重もこし付の形式で、屋根は入母屋造、本瓦葺。全体に創意工夫を凝らし、内外とも荘厳な構成になる。棟梁は伊藤平左衛門。

上記写真:總持寺HPより転載

「仏殿」「放光堂」「待鳳館」「仮真殿」の耐震改修工事(2022.2.15~)とのこと。立ち入り禁止となっていて残念ながら拝観できませんでした😢。

大祖堂


「大祖堂」は、一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿。千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及ぶ。貫首禅師演法の大道場たるのみならず、諸種法要修行の場とされる。

紫雲臺(しうんたい)<国登録文化財>


總持寺の住持・禅師の表方丈の間。宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院。「紫雲臺」とは、禅師の尊称にもなっている。正面玄関の「紫雲臺」扁額は、独住第3世西有穆山禅師の書。入母屋造、軒唐破風付の向拝をもつ壮大な構成。

「三門」の東を登った小高い丘陵

雙眸丘(ふたみがおか)へ

鐘楼 <国登録文化財>


「鐘楼」は、卓越した造形感覚の吹放し鐘楼として国登録文化財に。「大梵鐘」は、大正2年(1913)に、1万6千人ほどの願いや祈りを淨財にして鋳造され、関東一の大きさを誇る。鐘銘は、独住四世・石川素童禅師、勧進元は後に九世の伊藤道海禅師。平成7年(1995)秋に横浜市指定文化財に。

重さが18.75tもあり、毎日休むことなく時を刻げている。大晦日には一般参詣者も大梵鐘を撞くことができる。

穴熊稲荷


穴熊稲荷大明神が祀られている。稲荷信仰は、仏教と習合して、人々の心のよりどころであり、また狐に跨がり剣と宝珠を持つ姿で五穀豊穣をもたらし、福の神として、ひろく信仰されている。

「三寶殿」へ

三寶殿 (さんぽうでん)<国登録文化財>


總持寺の守護神は荒神様(三寶大荒神)。總持寺三世太源宗真禅師(普蔵院開基)の成徳道風を敬慕した難陀竜王が禅師の血脈(禅師の法戒)を授けられた。そのお礼に荒神を奉納したと伝えられる。禅師は、これを受けて当本山の鎮護の神として、永久に仏・法・僧の三宝を守護する三寶大荒神として祀られたことに由来する。

雙眸丘(ふたみがおか)から臨む

「三門」と「三松閣」

總持寺境内 墓地


昭和の大スター、石原裕次郎氏のお墓。

妻石原まき子さんが直筆で書いた墓碑(歌碑)

美しきものにほほえみを 淋しきものに優しさを たくましきものにさらに力を すべての友に思い出を 愛するものに永遠を 心の夢覚めることなく 石原まき子