藤森神社 (京都市伏見区深草鳥居崎町)


今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社。「本殿」は、正徳2年、中御門天皇より賜ったもの。菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運・学問と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、競馬ファンの参拝者でにぎわっている。~藤森神社HPより抜粋転載~ -2016.07.09-

「南門」

「鳥居」(正面石造)

正徳元年(1711年)の銘有り。神社南参道前にあり、この鳥居には額がないが、昔、後水尾天皇御宸筆の額が掲げてあった。江戸時代、前の道が西国大名の参勤交代の道筋にあたっていたので、各大名は神社前を通る時、駕籠から降り、拝礼をして槍などは穂先を下げて通行しなければならなかった。しかし、幕末動乱の時代となり、このような悠長なことでは時代に即さないと、新撰組の近藤勇が外してしまったと言われている。~藤森神社HPより転載~

「本殿」

<京都市指定文化財>

御祭神は、素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。神功皇后が摂政3年(203年)新羅侵攻より凱旋の後、深草の里藤森の地を神在の聖地として選び、纛旗(とうき、いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされたのが藤森神社の起こり。現在、「本殿」東にある旗塚がその塚。延暦13(794年)桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。「本殿」は、檜皮葺・平入入母屋造。正徳二年(1712年)に中御門天皇より御所の賢所を下賜されたもので京都市指定文化財。現存最古の賢所と言われている。

本殿の屋根部分。

装飾の部分に皇室を示す菊の御紋が見える。

「大将軍社」(方除けの神様)

<国重要文化財>

御祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)。 永享10年(1438年)将軍足利義教の造営で、造りは一間社流造りのこけら葺の建物。

「八幡宮」

<国重要文化財>

御祭神は、応神天皇。「大将軍社」と同じく永享10年(1438年)将軍足利義教の造営で造りは一間社流造りのこけら葺の建物。

「神功皇后 御旗塚」

「藤森神社」が創建された場所。社伝によると神功皇后摂政3年(203年)三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に纛旗(とうき、いくさ旗)を立て、兵具を納め塚を作り、祭祀を行ったのが発祥であるとしている。また、このいちいの木は「いちのきさん」として親しまれおり、腰痛を治してくれるという言い伝えがある。あの新撰組の近藤勇が参拝して腰痛が治ったという伝説も残されている。

学芸の祖「舎人親王の碑」

「神馬像」

毎年5月5日に行われる藤森祭に奉納される駈馬神事(かけうましんじ)が馬の神事であることから、馬の神として信仰されている。江戸時代には徳川家から毎年馬が献上されたといわれる。また、毎年11月の第2または第3月曜日には、競馬と馬を愛する人たちの祭典・シンシン祭が開催される。そのため馬主や騎手、競馬ファンからも馬の神様として親しまれてるのだそう。この「神馬像」は、勝運のほか学業成就のご利益もあると言われている。

「藤森稲荷社」

「藤森七福神」