覚林寺 (港区白金台)


通称白金の清正公さまと呼ばれる当山は、最正山覚林寺と号し寛永8年(1631)可観院日延(韓国の王族)によって開創されたお寺であります。開創と同時に上人によってご奉安申し上げられた清正公大尊儀は古く江戸時代より開運の神さまとして霊験まことにあらたかで広く庶民大衆に崇敬されてまいりました。毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与され、東都における清正公信仰のみなもととしていまもなお各界の参詣祈願者でにぎわいます。~境内掲示より転載~  港区 すこやかマップウォーキング コース6で訪れました!! -2021.03.03-

「清正公堂」及び「山門」

<港区指定有形文化財-建造物->

「覚林寺」は、弘化二年(1845)の大火で全焼し、「山門」は、安政三年(1856)、「清正公堂」は、慶応元年(1865)に再建されたもの。「清正公堂」は、拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間ロー間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられるが、伝統的な意匠をもつ。「山門」は、覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。「清正公堂」は、本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承している。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価される。また「山門」は、現在の境内において最古の建築であり、同時期の建設になる「清正公堂」とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物。~下記案内板より抜粋転載~

「山門」

「清正公堂」

扁額「破魔軍」

有栖川宮熾仁親王の書

「本堂」

「毘沙門堂」「稲荷堂」

「稲荷堂」の狛狐

「浄行堂」

「お題目碑」南無妙法蓮華経

右隅に「百渡石」