豪徳寺 (世田谷区豪徳寺)


曹洞宗寺院。世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられる。高輪泉岳寺初世の門奄宗関が中興開山、寛永10年(1633)世田谷領が彦根藩領となり、井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を藩主井伊直孝の法号昌院殿豪徳天英大居士より「豪徳寺」と改号。井伊家墓所は国指定史跡となっている他、梵鐘・仏殿・仏像など数多くの文化財を所蔵している。井伊直孝は飼い猫によって当寺へ招き入れたという招き猫(「豪徳寺」では「招福猫児(まねぎねこ)」と称す)の伝説があり、この飼い猫は松福庵(招福庵)に祀られ、仏殿横の松福庵(招福庵)では招き猫が右手をあげて福を呼んでいる。 -2016.01.03-

「山門」

山門の扁額には「碧雲関」という文字が書かれており、「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味すると言われている。~豪徳寺HPより抜粋転載~

境内図

豪徳寺HPより転載

狛犬のいる「常香炉」

「仏殿」

<区指定有形文化財>

彦根藩四代藩主井伊直孝の菩提を弔うため、娘の掃雲院が延宝5年(1677)に建立。仏殿の正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されている。仏師松雲元慶によって造られた釈迦如来像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像、達磨大師像、大権修利菩薩像の5体の仏像。建物、仏像ともに世田谷区の指定有形文化財。

「梵鐘」

<区指定有形文化財>

延宝7年(1679)、藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造された。区内最古で、美術的にも高い評価がある。平成12(2000)に世田谷区指定有形文化財に。~豪徳寺HPより抜粋転載~

「三重塔」

平成18年(2006)に完成した総高25.5m、銅版葺の塔。内部には大仏師渡邊勢山作の釈迦如来像を安置し、欄間には十二支や牡丹、椿などの彫刻が施されている。また随所に猫や「招き猫」も置かれている。

目を凝らして探してみると、猫発見!!

「招福猫児(まねぎねこ)」の由来

江戸藩邸に詰めていた井伊直孝がある日、鷹狩りの帰りにこの付近を通ったところ「猫」が井伊直孝を引き寄せるように門内に招き入れられると、たちまち天候が急変して「雷雨」になったと言う。雷雨から猫が救ってくれただけでなく、和尚の法談を聞くこともできたのを大いに喜んだ井伊直孝は、「猫が福をもたらした」として「招福殿」を建ててお祀り、井伊家御菩提所にすることとなった。その出来事以後、「豪徳寺」に幸運が色々舞い込み、その猫のおかげとして、猫の墓を建てて心をこめて冥福を祈り、この猫の姿形をつくり招福猫児(まねぎねこ)と名付けた。ちなみに彦根市のゆるキャラで知られるあの「ひこに」は、井伊直孝が会った「招き猫」であると公サイトで説明されており、まさに上記の伝説がモデルとなっている。詳細の由来は、本ページ最後に掲載

「招福殿」横の「招福猫奉納所」

願いが叶った人が“招福猫児”をお返しにくる場所

「豪徳寺」の招き猫

武士と大きなつながりがあることから、左の手は上げおらず、上げるのは右の手。 これは、武士にとって左手は不浄だと言われているから。さらに招き猫といえば小判ですが、「豪徳寺」の招き猫はこの小判を持っていない。これは「小判を持たないのは、機会は与えてはくれるが、結果を得られるかどうかは本人次第である」という意味から、「豪徳寺の」招き猫はシンプルな姿をしている。

満員電車に乗っているよう

"混んでます~"

後姿もキュート!!



「招福猫児」(まねぎねこ)の由来

東京都世田谷区豪徳寺一丁目所在の豪徳寺は幕末の大老井伊掃部頭直弼公の墓所として世に名高く寺域広く老樹欝蒼として堂宇荘厳を極め賽者日に多く誠に東京西郊の名刹なり、されど昔時は至って貧寺にして二三の雲水修行して漸く暮しを立つる計りなりき、時の和尚殊に猫を愛しよく飼いならし自分の食を割て猫に与へ吾子のように愛育せしが、ある日和尚猫に向い、「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」と言い聞かせたるが其後幾月日が過ぎし夏の日の午さがり俄かに門のあたり騒がしければ和尚何事ならんと出て見れば、鷹狩の帰りと覚しき武士五六騎、門前に馬乗捨てゝ入り来り和尚に向い謂えるよう『我等今当寺の前を通行せんとするに門前に猫一疋うずくまり居て我等を見て手をあげ頻りに招くさまのあまりに不審ければ訪ね入るなり暫らく休息致させよ』とありけれぱ和尚いそぎ奥へ招じ渋茶など差出しける内天忽ち雲り夕立降り出し雷鳴り加りしが和尚は心静かに三世因果の説法したりしかば武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむやがて『我こそは江州彦根の城主井伊掃部頭直孝なり猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預ること是れ偏へに仏の因縁ならん以来更に心安く頼み参らす』とて立帰られけるが、是れぞ豪徳寺が吉運を開く初めにしてやがて井伊家御菩提所となり田畑多く寄進せられ一大加藍となりしも全く猫の恩に報い福を招き寄篤の霊験によるものにして此寺一に猫寺とも呼ぶに至れり。和尚後にこの猫の墓を建ていと懇に其冥福を祈り後世この猫の姿形をつくり招福猫児と称へて崇め祀れば吉運立ち所に来り家内安全、営業繁昌、心願成就すとて其の霊験を祈念する事は世に知らぬ人はなかりけり。 曹洞宗大谿山 豪徳寺


お守りも絵馬も「招き猫」!!


「井伊家墓所」

<国史跡>

墓所には幕末の大老13代直弼の墓、豪徳寺中興開基二代直孝の墓をはじめ、歴代藩主や正室たちの墓が並んでいる。平成20年(2008)に国史跡に指定された。~豪徳寺HPより抜粋転載~

上記写真:豪徳寺HPより転載