長谷寺 (神奈川県鎌倉市長谷)


正式には「海光山慈照院長谷寺」と称し、往古より「長谷観音」の名で親しまれている。奈良時代の天平8年(736)、開創を伝え、寺伝に曰く聖武天皇の御代より勅願所と定められた、鎌倉有数の古刹。本尊の「十一面観音菩薩像」は、像高三丈三寸(9.18m)にも及ぶ日本最大級の木彫仏で東国を代表する観音霊場の象徴でもある。なお、観音山のすそのから中腹にかけてひろがる境内は四季を通じて花木が彩りを添え、遠く相模湾を見渡すことのできる展望は鎌倉随一と称され、梅雨の季節には「眺望散策路」の周辺に40種類以上約2,500株の紫陽花が咲き誇り「アジサイの径(こみち)」 に多くの人があじさい鑑賞に訪れる。~長谷寺パンフレットより抜粋~ 2018年の梅雨入りの日、雨が降る中、出かけてきました!! 整理券、配布で「アジサイの径(こみち)」 は大渋滞。-2018.06.06-

当山 鳥瞰図

長谷寺HPより転載

「山門」

大きな提灯と「門かぶりの松」。親柱は直径40センチもある四脚門で、鎌倉市内の四脚門では建長寺、円覚寺、妙本寺に次ぐ大きさ。~長谷寺HPより抜粋転載~

「観音堂」(十一面観音菩薩)

その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来し、天平8年(736)まで遡る。当山が鎌倉でも有数の古寺に数えられる所以。その後、幾年の星霜を経るなか、幾度と無く堂宇も再建がなされたと伝わるが、関東大震災による当山の罹災は甚だしく、旧来の建物は止む無く建替えとなり、災害から本尊をお守りするため、鉄筋による再建が進められた。そして、昭和61年、罹災から実に60年以上の歳月を費やし現在の堂宇は完成に至った。本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容で、大和長谷寺の本尊をはじめ、全国に所在する長谷寺に祀られる観音像に多く見られることから、これらを総称して「長谷寺式十一面観音像」と呼びます。縁起に曰く、本尊の造立は養老5年(721)と伝えられているが、現在の像が創建当初からのものとは言い難く、また後世の修復も多く加えられているため、制作年代については未詳と言わざるを得ません。但し、本尊に付随する光背や御前立の観音像の修復年代が室町時代まで遡ることから、現在の尊像が存在していた時期についても、室町時代に準ずるものであることは確かといえ、さらに鎌倉時代より当山に伝世する大型の懸仏や板碑類の存在から、その当時には巨大な尊像が造立されていたものと推測される。~長谷寺HPより抜粋転載~

上記写真:長谷寺HPより転載

「十一面観音菩薩」

像高三丈三寸(9.18m)にも及ぶ日本最大級の木彫仏

上記写真:長谷寺HPより転載

「経蔵」(輪蔵)

内部の回転式書架を「輪蔵(りんぞう)」と呼ぶ。中には一切経(大蔵経)が収められており、書架を一回転させることで一切経をすべて読誦した功徳が得られるといる。※輪蔵は観音御縁日(毎月18日)、正月三が日、4月8日(灌仏会)、8月10日(四萬六阡日)のみ回すことができる。

マニ車:主にチベット仏教において用いられる道具。マントラが刻まれた筒の中には漢文とサンスクリット語の般若心経が多数納められている。マニ車を回転させることで、納められた経文を唱えるのと同じ功徳があるといわれている。※18基あり、毎日回すことができる。~長谷寺HPより抜粋転載~

「展望散策路」

平成の初頭にアジサイの栽培を始めたのがきっかけで、現在では在来種をはじめ40種類以上、約2500株のアジサイが鑑賞できます。また、散策路上段からは壮大な由比ヶ浜が一望できる。

散策路上段からの眺望

鎌倉の街並みと由比ヶ浜、遠く三浦半島まで見渡せる

「地蔵堂」の傍のお地蔵さま

「仏足石(ぶっそくせき)」

お釈迦さまの足の裏の形を石の上に刻んだもの。

観音堂への石段途中の「良縁地蔵」

「和み(なごみ)地蔵」

御朱印