世田谷散策Ⅲ(長谷川町子美術館/記念館・桜神宮)


世田谷区散策Ⅲは桜新町へ。桜新町は、昭和の時代を代表する漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子が暮らし、物語の舞台にもなった町。"サザエさん一家"がお出迎え♬「長谷川町子美術館/記念館」でほっこりした後、駅近くにある縁結びの神社として知られている「桜神宮」を参拝。😊  -2021.03.18-

北口の"カツオ"・"ワカメ"

西口の"サザエさん一家"


桜新町 サザエさん通り


"サザエさん通り"と名付けられた商店街を抜けると「長谷川町子美術館/記念館」がある。


交番前の"サザエさん"

長谷川町子美術館/記念館(世田谷区桜新町)


「長谷川町子美術館」は、長谷川町子(1920-1992)が『サザエさん』や『いじわるばあさん』などの漫画で得た収益をもとに、昭和30年頃から姉の毬子と美術品・工芸品の蒐集を始め、それらをより広く多くの方々にご覧いただくために、1985年11月3日、「長谷川美術館」をオープン。1992年、長谷川町子亡き後は、館名を「長谷川町子美術館」と改名。長谷川姉妹によるコレクションは、日本画311点、洋画250点、工芸品195点、彫塑32点の総数788点にのぼり、年数回の収蔵コレクション展を開催。2020年には作者の生誕100周年を記念して「長谷川町子記念館」を開館。折り紙をイメージしたという鋭角の立面が印象的な「長谷川町子美術館」の外壁の素材は、町子自身が探したレンガ。対して「長谷川町子記念館」の外壁には、レンガと響き合うスクラッチタイルが選ばれた。美術館と記念館の共通チケットでは、町子の代表作をデジタルとアナログの双方で見られる1階常設展示室、町子の生涯を貴重な資料を通して紹介する2階常設展示室、年に数回さまざまなテーマで町子の世界に触れられる2階企画展示室を鑑賞できる。~長谷川町子美術館HPより抜粋転載~

「入場券」

「長谷川町子美術館」

二階の町子コーナーでは、長谷川町子が描いた漫画作品、『サザエさん』をはじめとして、『いじわるばあさん』や『エプロンおばさん』などの原画や、長谷川町子が手がけた陶芸や水彩などの作品も展示されている。

出典:長谷川町子美術館パンフレット

長谷川町子生誕百年記念

収蔵コレクション展

「長谷川町子が愛したものたちⅢ」


「長谷川町子記念館」

建物の外壁は美術館同様レンガを使い、エントランス前には、『サザエさんうちあけ話』の表紙をモチーフにした銅像と長谷川町子が好きだった枝垂れ桜を配置してある。

"いじわるばあさん"・"町子"・"サザエさん"

おしゃべり楽しそう♬

「長谷川町子記念館」フロア図

「1階常設展示室」<町子の作品>

長谷川町子の代表作である『サザエさん』『エプロンおばさん』『いじわるばあさん』の世界観をデジタルとアナログの双方向から楽しめる。(この展示室のみ撮影OK!)

上記写真:マガジンハウス


新聞の連載の原稿がデジタルで見れる

『サザエさん』第一巻初版

NHK朝の連続テレビ小説

『マー姉ちゃん』の原作

遺作となった作品『サザエさん旅あるき』

 


昭和の六畳間を再現した空間

ブラウン管のテレビから懐かしい映像が流れる

季節に合わせて模様替えされる

「2階常設展示室」<町子の生涯>

幼年期から没後までを貴重な写真や原画などさまざまな資料を用いて紹介。子供時代のエピソード、漫画家になった経緯、新聞や雑誌での連載、姉妹で美術館を設立したこと、そして没後でも愛され続けていること。仕事道具や趣味で制作した陶芸作品も展示してある。

上記写真:SankeiBiz


「2階企画展示室」

<町子の夢、絵本の世界>

長谷川町子生誕百年記念 企画展

「町子の夢、絵本の世界」

(入口のみ撮影OK!)

1階「購買部」・「喫茶部」

記念館に残る、貴重な原画や当時の資料をもとにつくられたオリジナル商品の数々。書籍、また、町子の作品に登場する、昭和の時代から今も使い続けられる優れた日用品などが購入できるミュージアムショップと100 年以上銀座で続く老舗喫茶店の豆を使ってドリップした深煎りのコーヒーや、町子が、好んで口にした事から着想を得た、下町の老舗のほうじ茶などがいただけるカフェが。 喫茶部のマグカップは、厚手の磁器が使われ、それらひとつづつに、すべて違う町子作品の絵柄が、手作業で焼き付けられている、記念館オリジナルもの( 非売品)。コーヒー☕をいただきました!!

桜新町一丁目緑地 <通称名 サザエさん公園>


長谷川町子美術館入り口のすぐ横にある世田谷区立 桜新町一丁目緑地は、通称「サザエさん公園」と呼ばれている。"サザエさん一家"に会える場所。

"サザエ"・"タラオ"・"ワカメ"・"カツオ"・"波平"

路面にも

サザエさん一家のキャラクターのタイルが


桜神宮(世田谷区新町)


明治15年5月15日に大中臣家 の65代の後裔で伊勢神宮の(筆頭)禰宜であった芳村正秉(まさもち)が、「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方向に政府方針を変更したことに危機感を抱きました。神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるためお祭りだけを行う神社でなく、御祭儀もしながら人々に対する布教をもしっかりとできるように明治天皇より勅許を得て、教派神道十三派の一派を立てました。名称は伊勢神宮の禰宜時代に倭姫命神託によって授かった「神習いの教」としました。以来、当宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮として、また教えの本山として親しまれています。社殿は明治16年東京市神田に創建。明治後期には「病気治し」「火伏せ」の神徳があると多数の人が参詣しました。大正8年に「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託により現在地である世田谷に移転しました。神田界隈の関東大震災による被害は大きなものでしたが、この移転により災害から免れることができました。また、第二次大戦時も無事戦災から免れ、「災難よけ」でも崇敬を受けております。~桜神宮HPより抜粋転載~

「世田谷のお伊勢さん 桜神宮」

当宮は天照大御神のほか、天御中主神など多くの天津神・国津神を祀る。神習教の初代管長である芳村正秉は「伊勢神宮」に奉職し、「伊勢神宮」退任の際に祭主・久邇宮朝彦親王が天照大御神の神霊を御鏡に分霊して授けたと云い、この御鏡を御神体としている事から「世田谷のお伊勢さん」とも称される。

「手水舎」

「社殿」

明治17年(1884)に神田今川小路に建立

社殿前に「えんむすびの木」としての役割も担う河津桜が植えられており、ピンク色の"さくらのえんむすび"花帯に良い縁がいただけますようにと願いを込めて、河津桜に結ぶとよいと云われている。訪問日は河津桜は咲き終わり青葉に…。残念です😢

彫刻がみごと

おみくじ結びも桜🌸型!!