伊豆Ⅰ 下田


ゴールデンウィーク、発達する低気圧の影響で5月の嵐“メイ ストーム”が直撃する中、伊豆へGO!!  2日の夜から3日の朝8時くらいまで激しい雨に。でも、歩き回る時間には天気も回復でホッ! -2018.05.02~05.03-

ペリーロード (静岡県下田市)


下田の町の南側、伊豆急下田駅から徒歩15分程度のところに、「ペリーロード」と呼ばれる小径が。幕末、黒船により来航したペリー提督一行が「了仙寺」で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したのがこの道。かつて出船入船三千隻とうたわれた港町下田の花柳界の面影を残しており、平滑川(ひらなめがわ)沿いに 700mほど続いていて、柳並木と石畳が美しい小径。この一角は明治、大正時代に作られた石造りの洋館や古民家が数多く残っており、どこか異国情緒あふれるレトロな雰囲気を醸し出しアンティークショップやカフェなどが軒を連ねている。この「ペリーロード」は、第7回(平成6年度)「静岡県都市景観賞最優秀賞」を受賞。

逢坂橋のたもとにある「草画房(そうがぼう)」

1914年(大正3年)の建造

了仙寺 <国指定史跡>(静岡県下田市)


国指定史跡文化財 了仙寺

法順山 了仙寺 日蓮宗

寛永12年(1635)創建 開山 日朝

大阪夏の陣の時、目に病を持たれた徳川家康公は、家臣の勧めにより当時目の神様として崇められていた身延山久遠寺第十一世の行学院日朝上人に病気平癒の願をかけました。その祈願が成就したため、徳川政権安定の時に寺を建立することを約束。その後、第二代下田奉行今村伝四郎正長が開基大檀那として創建。初代奉行 父・彦兵衛重長の跡を継いだ伝四郎は、江戸への上り下りの廻船の検問を行った御番所の整備、検問の補助にあたった廻船問屋の創設、下田の町を波浪から守った武ヶ浜波除の築造等下田繁栄の基礎を築いた名奉行として知られる。本堂南側の基城の一郭に江戸時代前期の優れた五輪塔三基がある。第二代下田奉行今村伝四郎正長・第四大伝三郎正成・第五代彦兵衛正信の今村家三代の墓である(下田市指定史跡)。並んでいる小さな墓は伝四郎正長の妻の墓と伝えられてる。嘉永7年(安政元年-1854)3月、神奈川県において日米和親条約が締結されて下田が開港場となると、ペリー艦隊は次々と入港してきた。ここ、了仙寺は、上陸したペリー一行の応接所となり、同年5月に日本側全権林大学頭等とペリーとの間に和親条約付録下田条約が当寺において調印された。これにより、了仙寺は玉泉寺と共に米人休憩所となった。なお、寺の背後の海蝕洞窟から人骨・玉類・金鋼製の腕輪や耳飾り・須恵器土師器などが出土した。南伊豆の特色ともいえる貴重な洞窟古墳である。下田市 ~了仙寺HP・下記案内板より転載~ また、「了仙寺」は、全国で唯一の“アメリカジャスミン”の名所。5月中旬から下旬にかけて、1000株の“アメリカジャスミン”が境内を染め、あたり一帯がジャスミンの香りにつつまれる。

「山門」

「本堂」

間口5間奥行6間の寄棟造桟瓦葺の建物で昭和20年に一部は破壊されたがよく旧規を存してをり、幕府外交史上重要な史跡。扁額は「開国殿」。

本堂の両側の柱には、白文字で

「和親友好萬世掔」(左)

「日米締交法燈下」(右)

御朱印

アメリカジャスミン

ナス科ブルンフェルシア属の半耐寒性常緑低木。咲き始めは鮮やかな紫色で、次第に白へと変わっていくため、一本の木に紫、藤色、白の花が咲き乱れ、グラデーションを楽しめる。正式名は“匂い蕃茉莉”(ニオイバンマツリ)で、これは「香りのする外国産のジャスミン」という意味。

旧澤村邸 <市歴史的建造物>


ペリーロードの終着点に建つ「旧澤村邸」は、「なまこ壁」と伊豆石造りの建築様式を用いた建造物で、大正7年に建築された。その後、外観の「なまこ壁」の補修や耐震補強工事などとともに展示建築物・無料休憩施設としてリニューアルが施され公開されている。現在、約229坪(757.02㎡)の敷地には、約78坪(258.65㎡)の木造2階建の母屋と、ギャラリーとして利用されている約10坪(34.41㎡)の石造りの蔵などが建てられている。1985年に下田市の歴史的建造物に指定された。

「蔵ギャラリー入口」

「和室」のお雛さま

ペリー艦隊来航記念碑 (静岡県下田市)


この記念碑は下田港を臨む「ペリー上陸記念公園」に設置。ペリー提督の胸像と、アメリカ海軍から寄贈された錨が飾られている。下田歴史の散歩道9「ペリー上陸の碑」の説明板には、「嘉永七年(安政元年1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地として下田港が提示されると、ペリーは調査船を派遣した。下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること、船の出入りに便利なことなど要求している目的を完全に満している点にペリーは満足した。条約締結により即時開港となった下田に、ペリー艦隊が次々と入港した。そして、ペリー艦隊の乗組員が上陸したのが、下田公園下の鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として、「ペリー上陸の碑」が建てられた。この記念碑のペリー像は故村田徳次郎氏の作品であり、記念碑の前の錨はアメリカ海軍から寄贈されたものである」とある。

「下田湾」

「下田港」と「下田富士」

古町通りで見かけた「なまこ壁」の家


黒と白のコントラストが美しい、なまこ壁。黒地に盛り上がった白色の目地が海鼠(ナマコ)に似ていることが名前の由来です。江戸時代から明治時代にかけて造られたものが多く、耐久性・防火性の高さから土蔵や商屋の壁に取り入れられていた。その証拠に、「古町通り」に残る「なまこ壁」は、約150年前に起こった安政の大津波で耐えたもの。下田市内に点在し残っている。

「雑忠(鈴木家)」

廻船問屋を営んでいた民家で、建造されたのは約120年前。下田市旧町内の伊豆石・「なまこ壁」の民家の旗艦的存在 で「下田まち遺産」指定の地域遺産。

観音温泉(静岡県下田市横川)


宿泊は人里離れた奥下田の名湯宿「観音温泉」へ。50万坪の面積があり、奥下田の山間にある「観音温泉」は、超軟水、強アルカリ性ph9.5の名湯でとろみのある泉質が特徴的で「美人の湯」とも言われる。美人肌に⁈

宿泊客室内の露天風呂

貸切「観音プリンシパル」

旅館のアイドル

ミーアキャット “のんちゃん”“うぶちゃん”


旅館の庭散策で見た花々

クレマチス