城南五山散策(品川区)


大名や明治・大正期の政財界人が愛した「城南五山」。城南五山とはJR山手線「品川」駅から「五反田」駅、「目黒」駅にかけてのエリアにある「池田山」、「御殿山」、「島津山」、「花房山」、 「八ツ山」の総称。

しながわ観光協会のホームページにある「城南五山めぐり~武蔵野台地の突端を歩く(約4.5km)」を参考に散策に出かけてみました♬ -2022.04.23- 下記説明文は、しながわ観光協会HPより抜粋転載

上記地図:しながわ百科より転載

旧播磨国三日月藩森家上屋敷跡 <花房山>(品川区上大崎)


播磨国(現・兵庫県)森家上屋敷は品川区内の大名屋敷の中で唯一の上屋敷である。三日月藩 は1万5千石の大名で、上屋敷と地続きの抱屋敷を含めて約1万坪余の広さがあった。屋敷一帯の字は「森ヶ崎」と呼ばれているが、森家の「森」と舌状台地の先端を示す「崎」から名付けられたとされている。安政3年(1856)頃の三日月藩主は森伊豆守俊滋。※上記大名屋敷の所有関係は、安政3年頃のもの 品川区教育委員会 ~下記案内板より転載~

「花房山」

花房山通りに建つ案内板付近から目黒駅近くまでが、江戸時代播磨国(兵庫県)三日月藩森家上屋敷の敷地だった。明治になり、敷地の一部が花房義質邸になったことから、この辺りの高台が「花房山」と呼ばれるようになる。花房義質は岡山藩士花房端連の長男で明示・大正期の外交官。枢密顧問官、日本赤十字社社長などを歴任した。

池田山公園 <池田山>(品川区東五反田)


この付近の高台は、江戸時代初期に備前国岡山藩池田家の下屋敷となり次第に「池田山」と呼ばれるようになった。大正時代末期から次第に宅地として開発され、都内でも有数の高級住宅地として知られている。「池田山公園」は、品川区立の公園として昭和60年(1985)に開園。起伏に富んだ地形を生かし、高台から池をのぞき見るような形に造られた池泉回遊式庭園。

ツツジが満開でした!!

斜面にツツジが両脇に

新緑の緑が眩しい

池を囲むツツジ

池田山公園 植物だより 早春~春

しながわ百景43

「池田山公園」

ねむの木の庭(品川区東五反田)


上皇后陛下のご実家・正田邸の跡地を整備し、2004年に開園した区立公園。公園名は美智子さまが高校生時代に作られた詩「ねむの木の子守歌」に由来する。美智子さまゆかりの樹木や、お歌の中で詠まれた樹木や草花約50種が植えられており、四季折々の表情が楽しめる。公園中央のシンボルツリー「ねむの木」は6月中旬頃に可憐な花を咲かせる。鮮やかなオレンジ色のバラ「プリンセスミチコ」は美智子さまが皇太子妃時代にイギリスのバラ育種会社から捧げられた品種で春と秋に見頃を迎える。

美智子様ご成婚時の正田邸の門をモチーフに

再現した木製の門

門を入ると正面に公園のシンボル

「ねむの木」

「ねむの木の庭について」

この公園は、皇后陛下 美智子様のご実家・正田邸の跡地に開設したものです。昭和九年十月二十日、正田家の長女としてお生まれになった皇后さまは、昭和三十四年四月十日、民間初の皇太子妃として皇太子殿下(現・天皇陛下)のもとへ、この地より嫁がれました。品川区は、平成十五年にこの土地を譲り受け、皇后さまがお誕生からご成婚までを過ごされた場所にふさわしい公園として整備しました。この公園には、ご成婚当時の門を再現しているほか、皇后さまゆかりの樹木や、お歌の中で詠まれた樹木・草花を多数植え、訪れていただいた方それぞれが皇后さまに思いを馳せていただけるようにしました。またこの公園の園名は、皇后さまが高校時代におつくりになった詩「ねむの木の子守歌」や、皇室に入られた後にお詠みになったお歌の中でも使われたゆかりの樹木「ねむのき」にちなんで命名いたしました。平成十六年八月 品川区長 高橋久二 ~下記案内板より転載~

品川区案内板「ねむの木の庭」

「ネムノキ」

マメ科の落葉小高木。夜になると葉がすべて閉じて眠るように見えるところからネムノキの名前がついた。6月から7月に、枝先に淡紅色の長い雄しべをもつ花が20ほど集まって咲く。

「プリンセスミチコ」

昭和41年(1966)、皇太子妃だった美智子さまにイギリスのディクソン社が献呈した橙色の中輪のバラ。一輪だけ咲いていました。

ライラック

ヒメウツギ(姫空木)

ルピナス


「ガス灯」

旧正田邸の暖炉の煙突をモチーフに

出入口トリレスのモッコウバラ

イエローのアーチ

「ねむの木の庭」の場所

しながわ百景104

「ねむの木の庭」

雉子神社(品川区東五反田)


「雉子ノ宮」の名で親しまれている古い神社(文明年間=1469~87の創建と思われる)で、江戸時代までは「大鳥大明神」と呼ばれていた。三代将軍徳川家光が鷹狩りをしていたとき、1羽の白いキジがこの神社に逃げ込んで見えなくなったことから、家光が神社の名を「雉子ノ宮」と呼ぶよう命じたと伝えられている。桜田通りに面して鎮座しており、平成6年(1994)に境内に大きなビルが建ち、社殿はその1階部分に改築された。

ビルが立ち並ぶ中にある「鳥居」

鳥居をくぐっての石段を上る

「拝殿」

「拝殿」屋根の左手に雉子の像

拝殿の左の境内社

「三柱神社(みはしらじんじゃ)」

倉稲魂命、大国主命、埴山姫命の

三柱をお祀り

「祖霊社」

氏子地域の祖霊をお祀り

「雉子神社のイチョウ」

<品川区指定天然記念物>

推定樹齢150~200年、樹高約18m、

幹の周囲4m

清泉女子大学 <島津山>(品川区東五反田)


島津山は、仙台藩伊達家の下屋敷地を明治期に島津家が引き継ぎ「島津公爵邸」としたことが由来となっている。旧島津家本邸は、大正6年(1917)に建築されたイタリア・ルネサンス様式の洋館で、現在は清泉女子大学本館として使用されている。ステンドグラスやマントルピースなど当時の内装が今もそのまま残っており、国の重要文化財となっている。設計は鹿鳴館や旧ニコライ堂などを手掛けたイギリス人建築家ジョサイア・コンドル。通常は非公開、春と秋に学生ガイドが案内する見学ツアー(事前申込制)を実施している。

写真転載:しながわ観光協会

しながわ百景42

「清泉女子大学(旧島津侯爵邸)」

御殿山庭園 <御殿山>(品川区北品川)


御殿山の由来は、徳川歴代将軍が鷹狩りの折に休んだ「品川御殿」があったことに因む。昔は東京湾を見下ろすことのできた海沿いの高台で、徳川吉宗の時代は多くの花見客が訪れる桜の名所として知られていた。「御殿山庭園」は、「御殿山トラストシティ」内にある約2,000坪の広大さを誇る池泉回遊式の和風庭園。庭園内には世界的建築家・磯崎新の設計による茶室「有時庵」がある。

春になると、桜🌸の名所に

しながわ百景20

「桜の名所の御殿山」

八ツ山橋 <八ツ山>(品川区北品川)


八ッ山は武蔵台地の突端の丘陵で、地名は海岸に突き出た岬が八つあったことに由来。「八ツ山橋」は東海道とJR東海道線を立体交差させるために、明治5年(1872)に架けられた橋で現在のものは4代目となる。日本の映画史に残る名作『ゴジラ』で、ゴジラが上陸の第一歩を印したのは、この「八ッ山陸橋」とのこと。

写真転載:しながわ観光協会