大沢の里・野川公園・小金井散策Ⅰ


GW第二弾のウォーキング。三鷹市「大沢の里」のこいのぼり🎏をスタートに、「野川公園」を野川に沿って上流方向に「武蔵野公園」脇を歩いて小金井まで散策。都立「野川公園」は、小金井市、三鷹市、調布市の3市にまたがる大きな公園で公園の中を野川が流れる。また、都立「武蔵野公園」は、小金井市府中市にまたがる公園で野川に沿って広がる草原や雑木林の緑あふれる公園。野川沿いの散策路は緑と自然がいっぱい!! ゆったりとした時間に包まれました♬ 小金井では、"こがねいてくてく歴史散策!小金井まち歩きマップ➄"「野川と湧水めぐりコース」を歩き、人混みのない充実のGWでした!! -2022.05.05-

「大沢の里」は、JR三鷹駅南口から 小田急バス「竜源寺」下車徒歩5分。まずはバス停留所名である"近藤勇の墓"がある「龍源寺」を参拝。

龍源寺(三鷹市大沢)


府内高安寺末。箕輪将監の開基で箕輪家の墓所守であったという。創建年月は不明だが、開山の家山明伝の寂年は承応元年(一六五二)である。本堂うらの墓地には東京都旧跡・近藤勇の墓がある。(「三鷹市史」より)

「山門」

龍源寺門前左手の

「近藤勇関連の碑」

「近藤勇の胸像」

「本堂」

「扁額」

近藤勇の墓 <東京都指定文化財>


天保5年(1834)武州多摩郡上石原村の宮川久次郎の三男として生まれ、15歳で天然理心流近藤周助に入門、近藤家の養子となって28歳で天然理心流四代目を襲名した。文久3年(1863)土方歳三らと京都へ上り、慶應3年(1867)大政奉還までの4年間、新選組として活躍した。京都、鳥羽伏見の戦いで敗れた後、甲武鎮撫隊を組織し山梨県勝沼で官軍を迎え撃つが、大敗して千葉県流山で投降する。慶應4年(明治元年)4月25日、板橋宿で処刑された。享年35歳。法名は貫天院殿純 義誠忠大居士(かんてんいんでんじゅんぎせいちゅうだいこじ)。三鷹市教育委員会 ~下記案内板より転載~

墓所には5基の墓石が並んでいる。向かって右から2基目が勇の墓で、墓石には「近藤勇墓」と刻まれている。

史蹟 「近藤勇辞世」

大沢の里(三鷹市大沢)


野川や武蔵野の雑木林を有する国分寺崖線の緑、水車、湿生花園がある。五月には端午の節句を祝うこいのぼりが元気よく泳ぐ。このこいのぼりは、地域の自然を守り育て、子どもたちに伝える活動を続けている市民グループ「ほたるの里・三鷹村」が毎年揚げているもの。

「御狩野橋」

「大沢の里 古民家」

明治35(1902)年に建てられた四つ間どりの典型的な農家で、平成30年に復元・整備工事を完了し、昔ながらの民具の展示や、体験学習事業を行う施設として一般公開している。

30匹ほどのカラフルなこいのぼり

レンゲソウの花が咲く田んぼの上で舞う

脇には野川が流れていて、川沿いに遊歩道が整備されている。

野川の川辺に咲くヤグルマギク(矢車菊)

野川公園自然観察園(小金井市東町)


数少ない貴重な植物群落の学習の場として昭和63年6月に一般開放された。 園内には昔、多摩川が武蔵野の台地を削ってできた河岸段丘「国分寺崖線」がある。この崖下からは地下水が湧き出していて、四季折々の野草や野鳥、昆虫などが見られ自然の宝庫となっている。 ~野川公園HPより抜粋転載~

木立の中の木道

クリンソウ(九輪草)・エゴノキの花

オドリコソウ(踊子草)

山野のやぶ陰や林下に群生する

シソ科の多年草

野川に戻って

「武蔵野公園」を脇に

ムジナ坂(小金井市中町)

側面の案内文には「昔、この坂の上に住む農民が田畑に通った道で、両側は山林の細い道であった。だれいうことなく、この道をムジナ坂といい、暗くなると化かされるといって、怖がられ遠回りした」と。

美術の森緑地(小金井市中町)


この場所は大岡昇平の小説「武蔵野夫人」のモデルとなった地として知られ、国分寺崖線の貴重な自然を残すため平成2年東京都市町村樹林地公有化資金の適用を受け保全している。洋画家中村研一(日本芸術院会員)が後半生を過ごした地で、建築家佐藤秀三の設計による山荘風の旧宅と「花侵庵」と名付けられた茶室がある。緑地内には東京の名湧水57選に選ばれた湧き水も。旧宅では小金井市立はけの美術館附属の喫茶棟を営業している。 小金井市 ~下記案内板より抜粋転載~

「はけの森入口」

「庭園」

緑地内の湧水は

東京名湧水57選に選ばれている

旧中村研一邸主屋・旧中村研一邸茶室(花侵庵)

近代洋画壇で活躍した中村研一(1895-1967)の旧宅と茶室。中村は昭和20年(1945)から小金井のこの地に移り住む。親交のあった建築家・佐藤秀三(1897-1978)に建物の設計・施工を依頼し、昭和24年のアトリエ施工に始まり、主屋・茶室を段階的に新築していく。小金井市 ~下記案内板より抜粋転載~

旧中村研一邸主屋

<国登録有形文化財(建造物)>

武蔵野段丘崖線の南斜面にある洋画家・中村研一の旧宅。主屋は敷地中央に建つ木造二階建で、切妻造桟瓦葺の大屋根をかけ、北側に玄関や便所、南側に客間兼居間と食堂を一空間で設ける。佐藤秀三の設計で、伝統木造に現代的な空間構成を取り入れた和風住宅。~文化遺産オンラインHPより転載~

美術館附属喫茶棟

「musashinoはけの森カフェ」

現在は旧宅を改装してカフェとなっている

旧中村研一邸茶室「花侵庵」

<国登録有形文化財(建造物)>

主屋の西側に並んで建つ。木造平屋建、切妻造桟瓦葺で、東に四畳半の茶室、西に水屋と厠を配し、茶室は南面に貴人口、北面に床、東面に付書院風の出窓を設ける。主要な部材に旧宅の古材を用いる。素材の選択と構成に手腕をみせる佐藤秀三の代表作の一つ。~文化遺産オンラインHPより転載~

登録有形文化財の標識

はけの森美術館(小金井市中町)


中村研一記念小金井市立「はけの森美術館」は、財団法人中村研一記念美術館の寄贈を受け、平成18年(2006)4月に開館。

中村研一(1895~1967)氏:大正から昭和にかけて、帝展や日展などいわゆる官展系を中心に次々と作品を発表し、近代洋画壇の重鎮として活躍。空襲で東京・代々木のアトリエを焼失、小金井に移り住み、終生この地で作品を描き続けた。~小金井市HPより抜粋転載~

はけの小径(小金井市中町)


「はけ」と呼ばれる、長い年月をかけて自然の力が形成した国分寺崖線。この崖下にある『小金井市立 はけの森美術館』前から南へ延びるささやかな、せせらぎ沿いの小路。「美術の森緑地」の湧水から流れ出た小川に沿って遊歩道が設けられている。最後には野川に注いでいます。この小路は、ジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』の舞台になったことで知られている。


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