小田急沿線散歩Ⅱ「旧白洲邸 武相荘」


小田急沿線散歩Ⅱ。鶴川駅から「旧白洲邸 武相荘」へ。 -2021.11.17-

パンフレット ①

旧白洲邸 武相荘(東京都町田市能ヶ谷)


戦後の名宰相・吉田茂のブレーンとして日本国憲法制定と戦後復興のキーマンとして活躍した白洲次郎と数々の名著で知られる作家・白洲正子夫妻が終の棲家とした「旧白洲邸 武相荘」。武蔵と相模の国境に位置していることや、二人が持つ気質を諧謔的に表現した「無愛想」をかけあわせ、次郎により「武相荘」(ぶあいそう)と名付けられた。白洲正子・次郎の死後、彼らの一人娘・牧山桂子(まきやま かつらこ)さんによって、彼らの美意識が行き届いた暮らしのスタイルを展示する記念館・資料館として2001年に「旧白洲邸 武相荘」として一般公開された。その後、2015年のリニューアルにより、現在は展示棟である「ミュージアム」を中心として、レストラン、カフェスペース、ミュージアムショップなどを備えた総合的な自然・文化体験施設として様々なファンに愛好されている。~和樂Webより抜粋転載~

「白洲次郎・正子旧宅」<町田市指定史跡>

戦後の新憲法制定に深く関わり、東北電力会長としても活躍された白洲次郎と、美術評論家・随筆家として読売文学賞二回受賞、町田市名誉市民第一号の白洲正子のご夫妻が、能ヶ谷のこの地に農家を買いとり移住されたのは、昭和17年(1942年)であった。寄せ棟造りで東側妻面兜造りの重厚な茅葺屋根の母屋と、カキ、シタカシ、などを配した広い庭のたたずまいは、多摩地域の養蚕農家の面影をいまに伝える貴重な文化遺産である。整型四間取の間取や材料・構造から見て十九世紀以降のもので、明治初期の建築と推定できる。養蚕農家として明治・大正・昭和と使われてきた『家・屋敷』が原型に近いかたちで今日に残されたのは、古い民家などに限りない価値を見出した、白洲ご夫妻の独自のライフ・スタイルの賜物(たまもの)であろう。冠せられた『武相荘(ぶあいそう)』という愛称も、古い農家に具わる、”静謐な美”に寄せるご夫妻の、慎み深い敬称と読みとれる。~町田市教育委員会の案内板より抜粋転載~

「長屋門」

入館券

パンフレット ②

「1916年型ペイジ Six-36」

英国ケンブリッジ大学に留学する以前、神戸一中に在学していた当時17歳の白洲次郎が父白洲文平から初めて買い与えられたアメリカ車の同型車。2008~9年にNHKで放映されたドラマスペシャル「白洲次郎」出演のためにのために英国から輸入したものとのこと。

ガレージに架かっていた"白洲次郎"の写真

素敵ですね♡

上記写真:「武相荘」HPより転載

「母屋」:ミュージアムの入口

「母屋」:ミュージアム

「武相荘」の歴史や白洲次郎・正子の有名なエピソードにちなんだ資料や日用品、大量の書籍に囲まれた白洲正子の書斎、白洲正子が蒐集し普段使いしていた食器や什器、陶磁器や染織類が展示されている。

特に印象に残ったのは、白洲次郎がかかわったサンフランシスコ平和条約締結の際の貴重な資料や白洲次郎の有名な遺言「葬式無用、戒名不要」の直筆の書。 ~室内は写真撮影禁止🚫です~

「母屋」の茅葺屋根

火除けのおまじないとしての「寿」という字

反対側には「水」とのこと

レストラン

「武相荘」の文字は、近衛内閣の司法大臣を務められた風見章氏によるものとのこと。額は「母屋」の中に。

レストラン奥のベランダ

静かな佇まい

ベランダ脇に咲く"ほととぎす"が

よい雰囲気をかもしだしています!!

散策路入口「鈴鹿峠」

竹林も