小金井散策Ⅱ 江戸東京たてもの園


10月1日(土)は「都民の日」。無料公開される小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」とさらに足を延ばして「神代植物園」に行ってきました。武蔵小金井駅からGO!! -2022.10.01-

玉川上水の桜(小金井桜)<名勝>


東京都福生市の平和橋から杉並区・浅間橋まで24km続く都立公園「玉川上水緑道」。そのうち、小金井市を流れる部分が「小金井桜」として国の名勝に指定される桜並木。もともとは八代将軍・徳川吉宗の命で元文2年(1737年)、大岡忠相がヤマザクラの苗種を玉川上水堤に植栽し、桜並木としたのが始まり。奈良県の吉野山と茨城県桜川から取り寄せたとされる由緒ある桜。

御成の松跡

玉川上水堤の桜並木(小金井桜)は、江戸近郊随一の花見名所として知られ、多くの著名な文人墨客等が訪れました。武士はしばしば騎馬で遠乗りを行い、文政九年(1826)には越前丸岡藩主有馬誉純、天保十四年(1843)には老中水野忠邦等一行が花見に来ています。天保十五年(1844)旧暦2月25日(4月12日)第十三代将軍家定(当時世継)一行が花見に訪れました。家定側近の紀行文によると、当日はあいにく大雨でしたが、家定は馬から下りて堤を歩き御座所を設けて花見の宴を催しました。この家定の御成りを記念して里人が御座所跡に一本の黒松を植え「御成の松」と呼ばれてきました。見事な枝ぶりでしたが、惜しくも平成六年に枯れました。ここはその跡です。小金井市教育委員会

「陣屋橋」

東京江戸たてもの園の正面

橋の下に流れる玉川上水

大きな鯉が優雅に泳いでいます

江戸東京たてもの園(小金井市桜町)


1993年(平成5)東京都江戸東京博物館の分館として、都立小金井公園の中に敷地面積約7haを擁する「江戸東京たてもの園」を開設。当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指している。園内には、江戸時代から昭和初期までに建設された、歴史的価値の高い建築物が30棟復元されている。~江戸東京たてもの園HPより転載~

ビジターセンター(旧光華殿)

1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿。1941年(昭和16)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築された。 江戸東京たてもの園の開園にあたり、ビジターセンターとして改修。建築年代:1940年(昭和15)

西ゾーン


山の手通りに面してさまざまな建築様式の住宅を復元・展示。さらに西に行くと、昔懐かしい茅葺きの民家が並んでいる。

前川國男邸 <東京都指定有形文化財>


 

日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、 品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅。戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工。 外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎・寝室を配した シンプルな間取りになっている。建築年代:1942年(昭和17)

ボンネットバス

三井八郎右衞門邸 <東京都指定有形文化財>


 

港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた邸宅。客間と食堂部分は、1897年(明治30)頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたもの。また、蔵は1874年(明治7)の建築当初の土蔵に復元した。

ダイニングテーブルが置かれた食堂

客間

レトロな照明が素敵!!

和室

庭から見た家屋

センターゾーン


江戸東京たてもの園の出入口となるビジターセンター(旧光華殿)や展示室があるほか、高橋是清邸や旧自証院霊屋などの歴史的建造物が復元・展示されている。

旧自証院霊屋 <東京都文化財指定>


旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)は、尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立した霊屋。建築:1652年(慶安5)。入母屋造り、銅板葺き、方三間(ほうさんげん=間口・奥行とも柱間が3ヶ所)。極彩色や金箔、黒漆に彩られた華麗な装飾が施されるのは、将軍の側室だったからで、徳川将軍家、そして御三家筆頭の尾張徳川家の権勢を今に伝える霊屋。

高橋是清邸


明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分。総栂普請(そうつがぶしん)で、洋間の床は寄木張りになっている。2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11)の2・26事件の現場となった。建築年代:1902年(明治35)

二階は庭が一望できる。当時は高級だった手吹き円筒法でつくられたガラスが贅沢に使われている。昔のガラスならではの、表面が波打っているように見える。

「ガラス障子」。

下には「曇りガラス」が施されている。

伊達家の門


旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門。<起り屋根(むくりやね)>の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしている。総欅造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の木彫りの家紋が施されている。建築年代:大正期

皇居正門石橋飾電燈


石橋の欄干両側にある男柱石に計6基設置されていたもののひとつ。飾電灯の台座にあたる男柱石の部分は、展示にあたり復元したもの。年代:明治20年代

万世橋交番


デザインや建築様式から明治時代のものと思われる。正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとにあり、移築の時にはトレーラーでそっくり運んだ。建築年:明治後期(推定)

上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部

望楼は火の見櫓の近代版。三脚四層式外廊型で、旧所在地では約23.6mの高さ。1970年(昭和45)まで使用された。建築年:1925年(大正14)

都電7500形


渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・(神田)須田町まで走っていた車輌。交通量の急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて1963年(昭和38)から順次廃止された。製造年:1962年(昭和37)

東ゾーン


昔の商家・銭湯・居酒屋などを通して、下町の風情を楽しむことができる。復元した建物の中には、当時の暮らしや商売の道具・商品などを展示している。

子宝湯


東京の銭湯を代表する建物。神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など贅をつくした造りとなっている。

懐かしの脱衣所

フルーツ牛乳飲む?

丸二商店


昭和初期に建てられた荒物屋。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴。店内は昭和10年代の様子を再現。裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現している。

裏手の長屋と裏路地

武居三省堂


明治初期に創業した文具店。当初は書道用品の卸をしていたが、後に小売店に変わった。建物は震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴がある。建築年代:1927年(昭和2)


乾物屋大和屋本店に併設された煙草屋さん

あったよね~😊

帰りに振り返ってみると、園の正面入口の両脇に立つ大木二本のキンモクセイの花が満開です。いい香り♬

高さ約10m、枝幅8mの大木

オレンジ色の花が鮮やか

浴恩館公園(小金井市緑町)


浴恩館公園は、昭和3年(1928)に御大典の際、京都で使用された建物を青年修養道場として下賜されたものを多数の青年の奉仕によって移築、皇室の「御恩に浴する」との意味で「浴恩館」と名付けられた建物を中心に全国から集まった若者が自給自足しながら共に人生を語り、未来を夢見た生活学校の場であった所を公園として整備したものです。小説「次郎物語」は、下村湖人が初代館長として、若者達の指導に当たりながら、この地をモデルに構想を練り、次郎の少年時代を描いたものです。

空林荘(くうりんそう)<市史跡>

この空林荘は、この空林荘は、全国の青年団活動の中心であった財団法人日本青年館が、昭和五年にその分館として浴恩館 (青年団講習所)を開設したとき、講師の宿舎として建てられたものです。青年教育の実践家として知られる下村湖人(1884~1955)は、昭和八年から同十二年まで講習所の所長を務めました。空林荘は下村湖人が講習生と寝食を共にし、指導にあたったところです。そのころ、「次郎物語 」の執筆を始めた湖人はここで構想を練り、次郎の少年時代を記述しました。昭和二十九年に発表された第五部に登場する友愛塾と空林庵は、浴恩館と空林荘をモデルにしたものです。なお、空林荘は貴重な文学遺跡として市史跡に指定されましたが、平成二十五年三月に焼失しました。 小金井市教育委員会 ~下記案内板より転載~

萩の花が

東小金井~野川を川沿いに歩き「神代植物公園」へ。歩きました💦

神代植物公園(調布市深大寺)


武蔵野の面影が残る園内で、四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができる。この公園はもともと、東京の街路樹などを育てるための苗圃でしたが、戦後、神代緑地として公開されたあと、昭和36年に名称も「神代植物公園」と改め、都内唯一の植物公園として開園された。歩き疲れたので芝生公園にある見頃の「パンパグラス」を見て公園を後にしました。

パンパグラス

アルゼンチン原産の宿根草、別名シロガネヨシ。大きいものは高さ6m余りになる。雌雄異株でふさふさとした穂は雌花穂。

穂が青空に向かって