尾道Ⅰ


広島から瀬戸内海に面した街、古寺がたくさんある歴史情緒あふれる街、坂の街、文学の街、映画の街など様々な表情を持っている「尾道」へ。お寺巡りを中心に街を散策、ランチは「尾道ラーメン」。2万歩ほど歩きました💦 が、お天気も良く、ゆったりとした時間を楽しみました♬ -2019.12.04-

尾道駅

ロープウェイを使わずに坂の街を歩いて「千光寺」を目指す!


「千光寺」へ続く坂の途中、尾道のまちを見渡す旅の宿で、カフェや庭は一般の人も入れる「LOG」へ。昭和38年、山の手の中腹に建てられた〈新道アパート〉という名の鉄筋モダン住宅をリノベーションしたそうです。覗いてみました。モダンな雰囲気でした。

額縁に入った絵のよう

大宝山権現院千光寺 (広島県尾道市東土堂町)


「大宝山権現院千光寺」は、標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、大同元年(806年)弘法大師の開基で後に源氏の名将多田満仲の中興と伝えられている。珍しい舞台造りの朱塗りの「本堂」(1686年)は、別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と書いている。境内中央の巨岩「玉の岩」は、昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。「玉の岩」の右には朱塗りの「本堂」、左には龍宮造りの「鐘楼」を配して、尾道の風光のかなめをなしている。「本堂」は、貞享3年(1686年)の建立で、この地方には珍しい舞台造り、堂内に置かれた須弥壇は応永から永享(1394~1440年)頃の作で、和様に唐様を加味した形式で、ここに安置された本尊は秘仏の千手観世音菩薩。「鐘楼」の鐘は、除夜の鐘でもおなじみのもの「音に名高い千光寺の鐘は一里聞こえて二里ひびく」と俚謡にまでうたわれている。この寺の眺望は我が国随一といわれ山頂から八合目あたりを巡る「文学のこみち」は、尾道の風光を愛でた文人墨客の作品を天然の岩に刻んだ遊歩道である。 ~千光寺公式ウェブサイトより抜粋転載~

「千光寺」パンフレット


「本堂」

貞享3年(1686)に建てられたこの地方には珍しい舞台造りの「本堂」。俗に「赤堂」と呼ばれる千光寺本堂の「本尊千手観世音菩薩」は、33年に一度開帳の秘仏

尾道港を一望

合格祈願「ダルマ絵馬」と「リラックマ絵馬」

「大師堂」

玉の岩との不思議な因縁「大師堂」

「鐘楼」

「大師堂」前の小門をくぐると目前に朱塗り唐づくりの鐘楼が断崖絶壁に建っている。この鐘は「時の鐘」として名高く、元禄初年より時刻を近郷近海に報じ近年はテレビ、ラジオを通じて「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、尾道の名物の一つにもなっている。千光寺鐘楼「驚音楼の鐘」は平成8年7月1日、環境庁の選定した「日本の音風景百選」の一つに選ばれた。特にこの附近の情景は文豪志賀直哉氏の小説『暗夜行路』にも描写されている。

「玉の岩」

「玉の岩」または「烏帽子岩」と呼ばれ、周り50m、高さ15mあり、当山第三の巨岩で「玉の岩」伝説がある。

「鏡岩」

昔、玉の岩の宝珠または太陽、月の光を鏡のように反射させていたと伝えられており、鏡には神が宿るという信仰の対象であったと言われている。

「梵字岩」 (ぼんじいわ)

この曼荼羅図絵は、徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基、浄厳大和尚当地へ御留錫の砌、書き遺されたものなりと云う。円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれており光明真言曼荼羅。

「大仙堂」

いつも穏やかな顔の「大山智明大権現」。 鳥取の大山寺の御本尊、地蔵菩薩のことでその御分体ががここに祀られている。平成7年(1994)再建。

「三十三観音堂」

「千光寺」名物の一つ、「カチカチ数珠」があるお堂。 関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊、観世音菩薩33体が祀られ、ここにお参りすると西国観音霊場を巡拝したのと同じ功徳があると伝えられている。

「くさり山」

かつての修行場くさり山(石鎚山)鎖修行。半世紀を超えて甦った石鎚権現の社。平成17年から一般の参拝客も鎖でつながれたこの社へ登られるようになった。「千光寺」の中で一段上にある社からの眺望は本堂とはまた違った素晴らしさが味わえるとのこと。…修行はムリです💦

「六地蔵」

「夫婦岩」

「末広の松」

「千光寺 阿弥陀三尊像」(磨崖仏)

〈尾道市重要文化財〉

「阿弥陀三尊像」(磨崖仏)は、室町時代に製作されたもの。一つの岩に阿弥陀三尊を彫ったもので、千光寺の石造物を代表するもの。~下記案内板より抜粋転載~

「千光寺」から見た尾道港

瀬戸内海の島々

「みはらし亭」

<登録有形文化財>

千光寺南斜面地に建つ大正10年建築の邸宅。木造二階建で斜面に張り付くように建てられ、尾道水道側は大きな窓により、まさに絶景を見ることができる。二階北端に一二畳の主座敷を設け、南端の室は敷地形状により上下階とも変形平面を呈する。屋根は入母屋造桟瓦葺で、軒は丸太の化粧垂木を隅扇に配る。NPO法人尾道空き家再生プロジェクトにより修理が行われ、別荘建築の趣を残しつつ、現在はゲストハウスや観光案内スペースとして、活用されている。~下記案内板・文化遺産オンラインより抜粋転載~

天寧寺塔婆 (広島県尾道市東土堂町)<国重要文化財>


「天寧寺」は、貞治6年(1367年)将軍足利義詮によって創建され、塔婆(三重塔)は嘉慶2年(1388)に建立されています。3代将軍足利義光も宮島参詣の帰路に、宿泊するなど、足利氏ゆかりの寺として繁栄しました。塔婆は唐楼建築の現存最古のものであり、建立当初は五重塔でした。しかし、江戸時代に破損等により三重塔に改修されています。塔婆や坂道を含めた町並みの景観は、尾道を代表するものであり、様々な要素が集まる箱庭的都市を象徴するものであると言えます。~下記案内板より転載~

「天寧寺三重塔」のバックに見える

海と空は格別。 

尾道を代表する絶景スポット♬

遠くに向島へ渡る「新尾道大橋」が。

平山郁夫画伯

しまなみ海道五十三次スケッチポイント

坂道景色いろいろ


二階井戸 <文化遺産>


「持光寺」石門の前にある「二階井戸」。江戸時代の終わり頃、みなと尾道の発展によって住宅地は広がってきましたが、坂のある暮らしには様々な困難がともないます。 生活用水の確保もそのひとつで、井戸は地域の財産として多くの人が利用出来るように、「二階井戸」として工夫されたいせつに守られてきました。 上水道が発達した現在では、ほとんど使われなくなりましたが、当時の暮らしを知る貴重な文化遺産です。~下記案内板より転載~