尾道Ⅱ


広島から瀬戸内海に面した街、古寺がたくさんある歴史情緒あふれる街、坂の街、文学の街、映画の街など様々な表情を持っている「尾道」へ。お寺巡りを中心に街を散策、ランチは「尾道ラーメン」。2万歩ほど歩きました💦 が、お天気も良く、ゆったりとした時間を楽しみました♬ -2019.12.04-

持光寺 (広島県尾道市西土堂町)


和年間(834~848年)、慈覚大師により天台宗の寺として草創。 永徳2年(1382年)浄土弘伝の沙門善空頓了上人により浄土宗の寺に中興改宗され、以来京都東山・禅林寺(永観堂)の末寺となる。元禄15年(1702年)直空諦岩上人により、大仏師・法橋安清の作、1m5cmの座像・五劫思惟阿弥陀如来をご本尊としてお迎えした。尾道七佛めぐりHPより抜粋転載~

「本堂」

持光寺 絹本著色普賢延命像

絹本著色普賢延命像は、尾道市に4件ある国宝のうち、唯一の絵画です。この絵画は、縦149cm、横86.5cmの大きさで「延命像仁平三年四月廿一日供養」という墨書があり、二十臂(ぴ)の延命像最古の例として知られています。その画風には平安末期の様式が偲ばれ、時代様式の変遷を探る基準として学術的にも高い評価を受けています。持光寺は、もともと天台宗の寺院で、後に浄土宗に改宗しましたが、中世の尾道が港町として繁栄し、この絵画は修験道とも関係のある真言宗と天台宗が盛んであったと名残を今にとどめています。~下記案内板より転載~

絹本著色普賢延命像 <国宝>

上記写真:日本遺産尾道市HPより転載

「延命門」

「持光寺」裏山の日輪山より切り出された36枚の花崗岩で出来た大石門。門をくぐると、巨石より発するパワーにより寿命増長されるといわれている。

「臥龍の松」<市天然記念物>

この根子は尾道市天然記念物で「臥龍の松」と称し、龍が地面に臥す如く西に枝を25m伸ばして居りました。西方極楽浄土を示すこと六百年の幾星霜、樹齢を重ねてた老木も平成十年の春、白い花をつけることを最後に枯れてしまいました。命あるもの例外なく姿を変え、常に栄えるものはありません。この臥龍の松も無上の理を私たちに教えております。ここに、今しばらくその姿を留めます。~下記案内板より転載~

「平田玉蘊没後150年記念碑」

江戸時代後期の尾道生まれの女流画家平田玉蘊(ぎょくおん)(持光寺に墓がある)の「平田玉蘊没後150年記念碑」。

壁面の絵:「美人舟遊図」

光明寺 (広島県尾道市東土堂町)


光明寺(浄土宗)

この寺は平安の初期ー承和の頃(834-847)慈覚大師円仁の草創で天台宗であった。延元元年(1336)足利尊氏西下の際、従軍僧として尊信篤かった道宗が、この寺に杖をとどめて本堂を再建し浄土宗に改めた。本尊は阿弥陀如来。寺には「延元元年3月2日道宗」の道宗再建の棟札をはじめ各再建の棟札を保存している。収蔵庫の千手観音菩薩は平安後期の作、向島余崎城主島居次郎資長の寄進したもので浪分観音の異名がある。法然上人智恩の御影は鎌倉時代の作で日本三御影の1つといわれている。金銅観音菩薩像は奈良前期の作で、尾道在所の仏像中最古のもの。一段下の光明寺会館(元南之坊)の南庭には名木蟠竜之松(琴柱の松)がある。~下記案内板より転載~

「本堂」

総欅造りの「本堂」は、延享4年(1747)再建され、江戸時代に建替えられた。

第12代横綱・陣幕久五郎の「略伝」

第12代横綱・陣幕久五郎の「手形」

「蟠龍の松」<尾道市天然記念物>

樹齢が約400年の黒松。根回り4.2m、高さ5mもあり、東西に約20m枝を延ばしている立派な松。

宝土寺 (広島県尾道市東土堂町)


宝土寺(浄土宗)

開基は融海意観が貞和(1345-1349)の頃に開いたと伝えている。本尊は阿弥陀如来。長享3年(1489)の古い記録には、「大日本国備後州御調郡栗原保尾道之浦御所崎宝土寺之を」と記している。寺の西側の鳥居のある一劃は吉備津彦神社、俗にいう一宮さんで、毎年11月3日文化の日に、尾道全市の子供たちを湧き立たせる奇祭ベッチャー祭の祭神で、あのベタ、ソバ、ショーキーはこの神社から繰り出すのである。~下記案内板より転載~

「鐘楼」と「観音堂」

「鐘楼」

大山寺 (広島県尾道市長江)


「米瑠山天神坊大山寺」と称し、平安時代前期創建、延久年間(1069~1074年)に中興され、承安5年(1175年)再建したと伝えられている。また、延喜元年(901年)菅原道真公が九州筑紫へ赴くとき、当浦に寄られ、袖に御自筆の御影を描き村人にお渡しになられた。その後境内に、社が建立され「御袖天満宮」と呼ばれ別当寺となりました。境内東側には霊験あらたかな「日限地蔵尊」をお祀りしている。前面の6体のお地蔵様は、心願成就の「重軽地蔵」とも呼ばれる。隣接の庚申堂には珍しい青色金剛神をお祀りしている。~尾道七佛めぐりHPより抜粋転載~

大山寺(真言宗)

古くから「天神坊」とも呼ばれ、西隣の御袖天満宮との深い関係をしのばせている。開基の詳細は不明であるが、平安時代の初期、空海(弘法大師)入唐の頃には既に開かれていたと伝えている。延喜元年(901)菅原道真が太宰府へ流されるとき尾道に船を寄せたという話は、当地では有名な伝説であるが、これはこの寺にも深い関係がある。延久(1069-1073)の頃に、西国寺の慶ばんが多くの末寺を建てているが、この寺もその頃興されたものと思われる。寺の慶ばんが多くの末寺を建てているが、この寺もその頃興されたものと思われる。寺に祀られている日限地蔵は心願成就の守り本尊として参詣祈願する人が多い。~下記案内板より転載~

境内案内

「本堂」(持仏堂)

本尊胎蔵:大日如来

「納骨堂(六角堂)」(右)

「鐘楼堂」(左)

「鐘楼堂」

「梵鐘」

NHK朝ドラ「てっぱん」の梵鐘。ヒロインあかりのお父ちゃんの悪友、隆円さんのお寺の舞台となった。ドラマの中であかりが突いた「梵鐘」。

「庚申堂」

「三猿」

「見ざる、言わざる、聞かざる」とは真逆の「見てご猿、言うてご猿、聞いてご猿」世の中の正しいことを「よく見よう」「よく言おう」「よく聞こう」という願いがこもっている。

「御袖天満宮」へ

御袖(みそで)天満宮 (広島県尾道市長江)


菅原道真公が筑紫の国・太宰府に赴かれる時、この地の里人(尾道の旧家・天神金屋の祖という)が麦飯と醸酒を供したところ、菅公はこの歓待をお喜びになり、自らの衣の片袖を裁ち、そこに自らのお姿を描き与えたという。延久年間(1069~1074年)祠を建ててお祀りし、これが「尾道御袖社」の起源。その後「御袖天満宮」と奉称した。~御袖天満宮HPより抜粋転載~ 大林宜彦監督の映画「転校生」の階段落ちのシーンやアニメ「かみちゅ!」などにも登場、ロケ地めぐりの人気スポットにもなっている。

「拝殿」

「手水舎」

「石段」

社前の「石段」は、大林宣彦監督の尾道三部作の第1作、映画『転校生』で主人公の一夫(尾美としのり)と一美(小林聡美)が転がり落ちて入れ替わる印象的なシーンに登場。長さ5.2mもの一本石で造られた55段の美しい石段。

西國寺 (広島県尾道市西久保町)


「西國寺」は、天平年中、行基菩薩創建と伝えられる真言宗醍醐派の大本山。ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられている。時は西暦729年のこと。1066年に本堂炎上、行基作の本尊薬師如来も焼滅したが、永保元(1081)年、平安朝白河天皇の勅命により再建今に至る。 伽藍の規模は、正に西国一という意味を込め、「西國寺」と名付けられた。大わら草履で名高い「仁王門」をくぐるり、石段を上がると、南北朝期の建築、国重文の金堂が建つ境内、復古式建築の純和様の重量感ある美しい「三重塔」がある。~西國寺HPより抜粋転載~

出典:西國寺HP

山門(仁王門)

西國寺仁王門 <県重要文化財>

西國寺仁王門は江戸時代初期に建築された、県内で数少ない楼門形式の仁王門で、格調の高い建物です。三間の楼門でかなり古式な手法で建てられています。門の左右には、阿形と吽行の金剛力士像が、筋骨隆々にして、忿怒の形相で安置されています。金剛力士は、別名を仁王と呼ばれ、まさに仏法を外敵から守護する仁王が、阿吽の呼吸で仁王立ちしています。また、仁王の健脚にあやかって大草履が奉納され、今でも多くの参拝者の信仰を集めています。~下記案内板より転載~

扁額「摩尼山」は小松宮彰仁親王の筆跡

仁王の健脚にあやかって大草履が奉納

「金堂」

<国重要文化財>

行基菩薩の開基と伝えるが、度々の火災により焼失し、現在の堂は南北朝期、備後の守護山名一族によって再建された。和様を基調とした折衷様式で来迎壁は再建当時の壁面と思われる。内陣の漆塗、春日厨子は唐様をまじえて美麗なものである。

上記写真:西國寺HP

「英霊殿」

「西國寺」境内真景図に経蔵とある金堂前西南の建物が現在の英霊殿である。宝形造の露盤上焔光をもつ宝珠も美しく屋根に映えている。内部は本格的な輪蔵になっており、経典の代わりに英霊の位牌が祀られている。

「大師堂」

「金堂」の裏、高い石積みで画定された台状地がこの「大師堂」や「弥勒堂」・「毘沙門堂」・「不動堂」・「持仏堂」・「本坊」(庫裏)のある広い寺地である。「大師堂」は左手正面に東面して建てられていて、盛んな大師信仰の行事が行われる場。

「力石」

「百度石」

「三重塔」

<国重要文化財>  

「塔婆勧進帳」(県重文)によると、永享元年(1429年)足利六代将義教によって建立されたことが知られる。復古式建築の純和様の重量感ある美しい塔。二重三重の隅瓦に天正4年(1576年)10月の屋根修理銘のヘラ書がある。建立当時のものと思われる如意輪観世音菩薩像を本尊とし極彩色の四天王を配する。

境内上からも瀬戸内海が臨めます。

尾道本通り商店街


尾道本通り商店街で見つけた老舗の銭湯を改装したカフェ「ゆーゆー」。ちょっとしたお土産やさんも併設。