横浜山手西洋館巡り (横浜市中区山手町)


各説明は、山手西洋館公式サイトから転記。 -2013.10.13-

横浜山手西洋館マップ

ブラフ18番館


関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅で戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていた。同年に横浜市が部材の寄付を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元し、平成5(1993)年から一般公開している。

外交官の家 <国重要文化財>


ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられた。 設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナー。建物は、木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しています。横浜市は、平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復原し、一般公開。同年、国の重要文化財に指定された。

サンルーム

ステンドグラスが素敵!!

ベーリック・ホール


イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計された。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、その後、平成12(2000)年までセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた。現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガン。モーガンは、山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残している。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されている。

ヨーロッパの伝統的なスタイルのクワットレフォイルと呼ばれる

四つ葉の形をしたかわいらしい小窓


小径にハロウィン

えの木てい


「えの木てい本店」は、昭和2(1927)年日本人建築家朝香吉蔵氏が設計した英国式の洋館で当時を偲ばせる貴重な建築物としても知られている。元はアメリカン人検事が暮らしていましたが、昭和45(1970)年に現オーナーのご両親が自宅用に買い取り、昭和54(1979)年、1階のリビングをカフェとしてオープンした。店名は庭にある大きな榎から名づけられた。


レトロな電話ボックス「自動電話」

この公衆電話ボックスは、明治23年(1890)に横浜-東京間で始まった電話業務の100周年を記念して平成2年(1990)に設置されたもので、明治33年(1900)に東京の京橋に初めて設置された白い六角形の屋外用公衆電話ボックスが復刻再現された。当時は「公衆電話」でなく「自動電話」と呼ばれ、山手では明治35年(1902)に山手本町公会堂(ゲーテ座前)に初めて設置されたという。~ THE YOKOHAMA STANDARD より転載~

港の見える丘公園~みなとみらいへ


「横浜ベイブリッジ」

「横浜マリンタワー」

「山下公園」

「ぷかり桟橋」

みなとみらい地区にある桟橋。「ぷかり」と言うだけのことがあり、桟橋のすべてが海に浮いている。桟橋自体も観光名所となっており、中央のみどり屋根の建物には待合室やレストランになっている。

「横浜赤レンガ倉庫」

大観覧車「コスモクロック21」

入園無料の遊園地「よこはまコスモワールド」内にあり、スペックは全高112.5m、直径100m、定員480名でいずれも日本最大級。

「横浜ランドマークタワー」