王禅寺・早野散策


早野聖地公園の霊園へお墓参り。そこに眠る友人を思いながら近辺の神社やお寺を中心に散策してきました。コースは下記を参考に早野聖地公園から「戒翁寺」、「早野殿様の墓」、「子ノ神社」、「琴平神社」、「王禅寺」へ。川崎市麻生区は、川崎市の北西部、多摩丘陵の一角に位置し、里地・里山など自然環境にも恵まれ、駅周辺では戸建住宅を中心とした住居系の市街地が形成されている。-2022.11.02-

早野の里・憩いの公園コース

川崎市HPより転載~

早野聖地公園(川崎市麻生区早野)


昭和44年に川崎市営第2霊園として都市計画決定され、一般墓所や新形式墓所を提供する と共に、貴重な自然環境を活かした「自然生態保全観察公園」として整備を進められている。周辺は、西側に早野川流域に開かれた典型的な田園風景が広がり、五郎池から上池にかけての湿地にある木道は、自然の香りが十分に楽しめる。

虹ケ丘口

モニュメント

上記写真:川崎市営霊園HPより転載

「早野聖地公園」を出て

戒翁寺(川崎市麻生区早野)


お寺の名称は「芳林山向嶽禅院戒翁寺」。天正年間(1573年~1591年)片平修廣寺三世玄頓和尚により開山し、寛永年間富永重吉氏が堂宇を再建した。現在の本堂は平成6年(1994年)に建立。裏山には遊歩道があり、静かな里山の雰囲気が味わえる。

山門

本堂

観音堂

馬頭観音像


六地蔵

早野殿様の墓(川崎市麻生区早野)


早野では殿様の墓と呼んでいますが、実はこの墓地は早野の菩提寺、芳林山戒翁寺の開基である富永主膳・正源・朝臣・安吉三代の墓で戒翁寺の所有で、高さ2mに及ぶ豪勢な五輪塔が4基立ち並んでおり、うち2基は一石五輪塔と呼ばれる形式で、全体が一石で造られている。

早野の里

SLOW FARM・SLOW SWEET


川崎市麻生区早野に開園したイチゴ農園"SLOW FARM"といちご農園内のパティスリー"SLOW SWEET"

子ノ神社(川崎市麻生区早野)


子ノ神社(ねのじんじゃ)は、元禄16年(1703)9月26日の創立にして享保19年5月再建し大正10年7月23日稲荷社外二社を合併、昭和3年2月社殿改築、同年2月10日供進指定社となる。

 

由緒 子ノ神社は本宮である出雲大社の分霊を勧請して大国主命(大己貴命は大国主命の別名)が祀られている。大国主命について「古事記」には「大国主命が素盞嗚尊の娘、須勢理毘売命と婚姻するに当たり父の尊の出す数々の試練をおうけになられました。その一つの野火の試練をお受けになられたとき一匹の鼠が現われ、地中の洞穴に大国主命を導き災難をお助けになりました…」とあり、鼠は大国主命の神使とされ、神使の名前を「十二支」の子になぞられ、神社名になったと言われます。子ノ神社の主祭神大己貴命(大国主命の別名)は農耕の守護神、台所の神、縁結びの神と言われます。~上記案内板より抜粋転載~

拝殿

早野川

琴平神社 本殿(川崎市麻生区王禅寺東)


王禅寺村の名主・志村文之丞が文政9年(1826)に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請し神明社と合祀したもので、祭神は天照大神・大物主神。例大祭は毎年10月の体育の日(第2月曜日)に斎行される。また、6月、12月には大祓式が行われ、参列者一同で茅の輪くぐりを行う。年明けには、どんど焼き、節分には年男年女による豆まきが行われ、毎年3月7日「人形和(なご)め浄火祭」が執行されます。 残念ながら、平成19年(2007)に放火により本殿が焼失したが、氏子崇敬者の篤志により平成23年(2011)に再建された。

手水舎

「がまんさん」と呼ばれる四人の山伏が手水鉢を支えている。飢餓、貧乏、病気、凶作など苦しみや難をしのぐには我慢するより他に道は無い、じっと耐えしのぶ「忍」が唯一の道であった時代、出稼ぎや小守、丁稚奉公に出された者は苦しい時にがまんさんを見て自分の苦しみを耐え忍んだと言われており、又、嫁に行く娘や戦地へ赴く兵士がこの像に手を合わせて故郷を後にしたと伝えられている。この石像は明治十二年五月十日に建造され、手水鉢の台座には寄進者の名前が彫刻されている。

狛犬

新旧二対あり、古いものは「天保九戌年十月吉日」の文字が刻まれており、時の王禅寺村名主 志村文之丞により奉納されたもので、新しいものは昭和五十七年に奉安されたもの。


本殿

扁額

琴平神社 儀式殿


本殿へ続く階段が急勾配であるため、参拝者の危険と不便を除くべく昭和四十七年に新たに建てられた。

大鳥居

平成三年に天皇陛下(現上皇陛下)の御即位を記念し立て替えた。大きさは幅約14m、高さは約13m。神額は香川県金刀比羅宮 宮司 琴陵光重氏の揮毫によるもの。


儀式殿船形手水舎

大海原を照らし来たる少名毘古那神(すくなひこなのかみ)を表したもの

銭洗弁財天

文化元年の創建であると伝えられ、元々は王禅寺内に建立されてた。王禅寺村弁財天巳待講(みまちこう)の崇敬を集めており、王禅寺の蓮池に建てられていた石宮を、現在の場所へ移し再建したもの。

大黒様・恵比寿様

大国主命(右)事代主命(左)

大黒様は大国主命(おおくにぬしのみこと)で、琴平神社の御祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)と御一体の神様。恵比寿様(えびすさま)は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、大阪浪速区今宮恵比寿神社の神様。

福寿稲荷

群馬県の嬬恋稲荷総社(関東廿八ヶ國稲荷総社)から、文政七年(1824)に御神霊をお移しして、五穀豊穣・子孫繁栄を願ったものであります。その後、弘化三年の再建で「福寿稲荷大明神」と改称し、三座に多賀大明神・塩釜大明神・稲荷大明神を御鎮座申し上げました。多賀社・塩釜社・稲荷社の三社を総称して、「お多賀さん」と呼びならわしています。

東屋

王禅寺付近

王禅寺(川崎市麻生区王禅寺)


星宿山王禅寺と称し、真言宗豊山派にて、延喜21年(921年)に高野山三世無空上人が開山。関東の高野山と呼ばれていた。周囲には、大きな樹木が茂り、この地を愛した白秋の歌碑がある。前庭には、樹齢450年と伝えられる禅寺丸柿の原木があり、「柿生」という地名・駅名の由来となったと言われている。平成19年(2007年)に国指定の登録記念物になり、また、かながわの名木100選や川崎市選定「まちの樹50選」、「ふるさと麻生八景」にも選ばれている。

静寂な木々の中を歩く

本堂はどこに?

手水舎

本堂

「禅寺丸」の原木

<国登録記念物・かながわ名木100選>

禅寺丸(ぜんじまる)柿は日本最古の甘柿といわれ、鎌倉時代、順徳天皇の建保2年(1214年)に王禅寺の星宿山蓮華院再建に際し、山中に自生しているものを発見したといわれている。当時一般に柿といえば渋柿しかなく、甘柿としては日本最古のものとして2007(平成19)年には川崎市麻生区内の禅寺丸柿の木7本が国の登録記念物に指定されている。

上記写真:文化遺産オンラインHPより転載

柿を持つ"禅寺丸像"

仁王像

観音堂

江戸後期の1851年建立。本尊「聖観音菩薩像」を安置する。作者は不明だが1608年にできたものだと前回(2008年)開帳時に判明。同寺では毎月17日を「観音様の日」とし「観音堂」を開扉するが、堂内で本尊を拝めるのは子年の開帳期間だけ。

薬師如来堂

大正十二年、当王禅寺に合併廃寺となった臨水山東円寺(青葉区寺家町)のご本尊薬師如来が安置されている。薬師如来は衆生を救済するために十二の大願を立て、その中に、寿命を延ばし諸病諸苦貧困を除き安楽を与えるという御利益が説かれている。~下記案内板より抜粋転載~

六地蔵

西門

王禅寺ふるさと公園(川崎市麻生区王禅寺)


市制60周年を記念して計画されたこの公園は、市民公募で名称が決定し、平成3年(1991年)に開園した。多摩丘陵の豊かな自然を生かし、水と緑をテーマとして作られた公園で、多目的広場、多摩川をイメージした流れ、自然林を生かした散策道、富士山を眺望できる展望広場等があり、多くの人に利用されている。

展望広場