等々力渓谷と等々力不動尊


新型コロナウィルス感染予防対策のため、平日を選び「等々力渓谷」と「等々力不動尊」を散策。その後、多摩川に出て二子玉川まで歩きました♬ -2020.05.08-

等々力渓谷パンフレット

上記パンフレット:世田谷区HPより転載

等々力渓谷(世田谷区等々力)


「等々力渓谷」は、東京23区唯一の渓谷。1999 年(平成11年)に東京都指定「名勝」に。東急大井町線等々力駅から歩いて約2分、ゴルフ橋を降りて、渓谷の散策は始まる。谷沢川に沿って設けられた遊歩道を進むと、木々だけでなく、湿生植物や武蔵野れき層などの地層も観察することができ、さらに進むと、「等々力不動尊」や「日本庭園・書院」がある。

等々力渓谷公園入口

散策路

「ゴルフ橋」

赤く塗られた「ゴルフ橋」は、現在工事中。「ゴルフ橋」という名は、昭和の初め頃、旧下野毛に東急電鉄が開発した広大なゴルフ場があったことに由来しているとのこと。

上を見上げると

環状八号線の「玉沢橋」

この橋を渡ると

「等々力渓谷三号横穴」へ

等々力渓谷公園

等々力渓谷、武蔵野台地の南端に位置する延長約1キロメートルの渓谷です。谷沢川が多摩川と合流する手前で、多摩川が形成した河岸段丘、いわゆる国分寺崖線の浸食によってできた東京都区内でもめずらしい渓谷として知られています。

『等々力』の地名は、渓谷内の『不動の滝』の音が響き渡り『轟いた』ところからついた、との言い伝えがあります。滝の上部には平安時代に役の行者の霊場とされた等々力不動尊があり、かつてはこの滝にうたれて行をする修行僧が各地から訪れたといいます。渓谷内には『等々力渓谷第3号横穴古墳』があります。これは矢沢川の東斜面の崖に群集している横穴の一つで古墳時代末期から奈良時代のものと推定されています。この渓谷は昭和8年(1933)、国から風致公園と指定されました。世田谷区では昭和49年(1974)に渓谷の河川と斜面地の一部を風致公園として開園しました。等々力渓谷では四季折々の多くの植物や生物を見ることができ、都会とは思えないような自然に触れることができます。~下記案内板より転載~

都史跡 「等々力渓谷3号横穴」

等々力渓谷の周辺では野毛大塚(玉川野毛町公園内)、御岳山、狐塚(きつねづか)などの古墳群が造られた後、古墳時代末から奈良時代(7~8世紀)にかけて横穴群が造られるようになります。等々力渓谷横穴群は野毛地域の有力な農民の墓で、これまでに3基の横穴が調査され、現在は3号横穴が完全な形で残っています。
横穴は谷間の崖地に横に穴を掘って造られていて、玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)で構成されています。泥岩(でいがん)の切石(きりいし)でふさがれた玄室の床には川原石が敷かれ、三体の人骨とともに1対の耳環(じかん)(イヤリング)と時が副葬(ふくそう)されていました。その前面には斜面を切通して造られた墓道(ぼどう)が延びています。ここには土器が供えられたり、火を焚いた跡があり、墓前祭(ぼぜんさい)が行われたことがわかります。 ~下記案内版より転載~

「利剣の橋」

稲荷堂」

「不動の滝」

その昔は滝の水量が多く、辺りに水が流れ落ちる爆音が轟いていたので「トドロキ(等々力)」という地名になったとか。

「不動の滝」から「等々力不動尊」へ

急な階段を上る💦

「見晴らし舞台」

「手水舎」

満願寺 等々力不動尊


東京都世田谷区等々力にある「満願寺」の別院で、関東三十六不動尊霊場の第17番が等々力不動尊。「滝轟山明王院(りゅうごうさんみょうおういん)」が正式名称。「等々力不動尊」のホームページによると、"真言宗中興の祖である興教大師様が夢のお告げにより開かれた霊場。あるとき、興教大師様が信心する役之行者作の御不動様が夢に現れ、関東に結縁の地があると告げられます。その御不動様を背負って関東に入ると夢と同じ渓谷があり、錫杖で岩をうがつと玲瓏と瀧が流れ出しました。
そこに捧持の御不動様を安置した、というのが「等々力不動尊」の始まり。現在の山門は、昔の満願寺山門を移築したものとなります。そこにはかつての満願寺の空気が流れています。等々力渓谷を擁しせせらぎのある境内には、四季折々に花が咲き、鳥が訪れ、春の桜や秋の紅葉の美しさは格別です。
"

「山門」

「扁額」

「参道」

「香炉」

「本堂」

日本庭園


等々力渓谷谷沢川の下流部、「等々力不動尊」の対岸に、昭和36年に建築された書院建物とそれをとりまく日本庭園がある。池、流れ、石畳の階段園路などがある庭は、昭和48年に著名な造園家飯田十基により作庭されたもので、当時のままの姿で保存されている。

「かぶき門」

池、流れ、石畳の階段園路などがある庭

「書院」

新型コロナウィルス予防感染防止のため

閉館です😢

「竹林」