古代蓮の里(埼玉県行田市)


行田市の“天然記念物”に指定されている「行田蓮(古代蓮)」は原始的な形態を持つ1400年~3000年前の蓮であると言われています。古代蓮の里にほど近い公共施設建設工事の際に、偶然出土した種子が自然発芽し甦り、池に開花しているのが発見されました。地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花した事は極めて珍しいことといわれています。古代蓮の里では、自生地から移植した「古代蓮」を育てており、可憐な古えの花をお楽しみいただいております。6月下旬から、8月上旬にかけて濃いピンクの花が蓮池一面に咲きます。蓮の花は午前中が見頃です。~古代蓮の里HPより転載~ 昨年に引き続き古代蓮に魅せられて再訪。今年はあわせて古代蓮の里展望タワーから見られる“田んぼアート”とさきたま古墳公園の“丸墓山古墳”へ。 -2019.07.17- 昨年の「古代蓮の里」は、こちらを見てね♪ 古代蓮の里(2018.07.10)

古代蓮池


ハート窓にくり抜かれたフォトスポット

水生植物園


甲斐姫

【特徴花色は、行田蓮の紅色とアメリカ黄蓮の中間の黄紅色、それぞれの品種の特徴が表れている。葉の緑の波は行田蓮(母親)に似ており、葉色も緑が濃く育成が旺盛である。花弁数は18~22枚の一重花径、花径は22~25cmの大型花。花柄と葉柄のとげは、黒の斑点で黄蓮の特徴がでている。また、開花前の蕾は外弁の縁に濃い紅色があり、開花すると色が薄れ、うすい黄色になる。~下記案内板より転載~

散り始め

花弁が散ったあとの「花托」

花の中心部にできる「花托」が特徴的で、その形状が蜂の巣に似ていることから、「はち巣」となり「はす」とよばれるようになったという説があります。

カエルやカメも

ミズカンナ

北アメリカや熱帯性部アフリカ原産の湿地に生える多年草。高さが2m程度。6~7月に開花。葉がカンナに似ているのでつけられた名前。花は葉に比べて貧弱。低温には強く、関東地方以西では戸外で生育。

水鳥の池


世界の蓮園


大賀蓮(おおがはす)

花弁数14枚~20枚の一重咲種

原始蓮(げんしばす)

花弁数25枚前後の一重咲種

明光蓮(めいこうれん)

花弁数16~20枚の一重咲種


姫蓮(ひめばす)

花弁数14~18枚の一重咲種

舞妃蓮(まいひれん)

花弁数20~25枚の一重咲種

西光寺白蓮(さいこうじびゃくれん)

花弁数20~26枚の一重咲種 


碧台蓮

花弁数100~120枚の八重咲種

「ハスシャワー」

古代蓮会館の入り口前に行田ハスの葉を利用した「ハスシャワー」が。ハスの茎を切って切り口に水道のホースをつなげて水を流すと水は空洞になっている茎を通り、葉の縁に5、6cmの間隔で葉脈から噴水のように勢いよく飛び出す。水が出やすいように、葉の縁をひと回り切り落とす工夫も凝らしているとのこと。

田んぼアート


田んぼに隣接する「古代蓮会館」展望タワーでは、地上50メートルの高さから田んぼアート全体を眺めることができる。

「田んぼアート」は、水田をキャンバスとして、色彩の異なる複数の稲を植え付け、文字や図柄等を表現する取組み。 2015年には「最大の田んぼアート」としてギネス世界記録TM(公式認定記録:27,195平方メートル)に認定された。2016年には「最も長く続いている日本のRPG」としてギネス世界記録TMに認定された「ドラゴンクエスト」、2017年には行田市が舞台となったTBS日曜劇場「陸王」、2018年には「ナスカの地上絵」とコラボレーションし、それぞれ話題になった。2019年はラグビーワールドカップ2019日本大会で、悲願の決勝トーナメント進出を目指す「ラグビー日本代表の応援」田んぼアート。~行田市HPより転載~

読売新聞2019.07.16(夕刊)

展望タワーから見る「田んぼアート」

展望タワーから見る「古代蓮の里」

さきたま古墳公園 (埼玉県行田市埼玉)


行田市の市街地から南東へ2.5kmにある「古墳群」は大型古墳が集中していることで全国的に有名で、昭和13年8月に国の史跡として指名を受け、「さきたま風土記の丘」として整備、活用。昭和51年4月に、これら古墳群との調和のとれた、鑑賞、保護及び散策を目的とした公園を整備し開設されており、現在も拡張整備を進めている。古墳群9基、さきたま史跡の博物館、将軍山古墳展示館、移築民家、休憩舎、芝生広場他。~埼玉県HPより転載~

「石田堤」

この一段高い桜並木は、天昇18年(1590年)に豊臣秀吉の命を受けた石田光成が忍城(おしじょう)を水攻めした際の堤の一部です。長さ28km(一説には14km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を流入させたと言われています。三成の陣は丸山墓古墳の頂上に張られました。~下記案内板より転載~

「史跡埼玉村古墳群」入口

「丸墓山古墳」

直系105mあり円墳では日本最大です。墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。出土した埴輪から、6世紀前半ころに築かれたと推定されています。埋葬施設の内容は、現在のところ確認されていません。南側から古墳にいたる道は、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です。水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。~下記案内板より転載~

「丸墓山古墳」頂上から

「稲荷山古墳」を望む

「丸墓山古墳」頂上から行田市街地を望む 

「丸墓山古墳と忍城」

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻めしました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できることから三成の陣が張られたと言われています。

北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われています。~下記案内板より転載~

下記写真のが「忍城(おしじょう)」

「はにわの館」(さきたま古墳公園内)