聖徳記念絵画館 (東京都新宿区霞ヶ丘町)


明治神宮外苑のシンボルともいえる「聖徳記念絵画館」は、1926年(大正15年)に建設された。明治天皇、昭憲皇太后お二方の御事績を描いた絵画80枚が、延べ250mの壁面に展示されている。ギャラリーは2つのエリアに分けられ、東側には日本画が、西側には油絵を中心に洋画が展示され、1852年の生誕から1912年の崩御に至るまで、明治天皇の生涯での主要な出来事が描き出されている。当時の一流画家による優れた芸術作品であるとともに、政治・文化・風俗の貴重な歴史史料としても高く評価されている。外苑イチョウ並木の奥に見える建物、以前から気になっていましたが、友人の勧めもあり鑑賞してきました。明治の歴史を感じてきました。 -2019.10.30-

大正7年(1918年)に一般から設計を募集し、国民の寄付金によって建設。様式は鉄筋コンクリート造り、外壁は岡山県万成産花崗岩で、屋根は銅の板葺、内装には岐阜県美濃産をはじめとする国産大理石が使われている。東西112m、南北35m。中央の円筒の高さは32m、中央広間のドームは、当時として最大級の直径15mの鉄筋コンクリート造のシェル構造。<国重要文化財>

チケット

パンフレット

中央広間

国産大理石とモザイクタイルで装飾されている

天井

名木「ひとつばたご」(なんじゃもんじゃ)

「お鷹の松」

江戸幕府三代将軍徳川家光が鷹狩りの途中、後に国立競技場の敷地となった境妙寺で休息していたところ、江戸城より愛鷹「遊女」が飛来し、境内前庭の松に止まったという言い伝えが。家光はこれを大いに喜び、この松を「遊女の松」と名付けたとか。時代が下ってからは「御鷹の松」、また地名から「霞の松」と称されるようになった。

帰りは「いちょう並木」を通って青山口へ

「明治神宮外苑之記」

明治神宮(内苑)が国費によって造営されたのに対し、外苑は、民間有志で結成された「明治神宮奉賛会」によ

り、国民より寄付金を募り造営され大正15年10月22日明治神宮に奉献された。こうした外苑造営の由来について記した石碑が、この「明治神宮外苑之記」。昭和54年4月いちょう並木東の植樹帯より青山口現在地に移設。