宇都宮散策Ⅱ(宇都宮市街エリア)


宇都宮散策。大谷石の採掘場跡見学を目的に宇都宮の北西「大谷エリア」へ。周辺の関連スポットを廻ってから、「宇都宮市街エリア」へ戻り、"大谷石の石造建築物" や "石のまちなみ" を見てきました♬ -2023.10.18-

大谷エリアは、 宇都宮散策Ⅰ 大谷エリア へ。

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まちなか大谷石マップ

上記マップ:石の街うつのみやパンフレットより転載

上記:石の街うつのみやパンフレットより転載

カトリック松が峰教会(宇都宮市松が峰)<国登録有形文化財>


「宇都宮天主公教会」として創設された(1888年)本教会が現在地へ移転してきたのは1895年(明治28)、今日まで残る聖堂の竣工は1932年(昭和7)のこと。設計はスイス出身の建築家マックス・ヒンデルにより、鉄筋コンクリート造・大谷石張りという構法で、ロマネスク様式の精髄を日本近代に蘇らせている。出典:「石の街うつのみや」パンフレットより抜粋転載

『宇都宮の軌跡』カトリック松が峰教会

【国登録有形文化財】(平成10年12月11日登録) 

この建物は、本格的なロマネスク様式(11~12世紀に西ヨーロッパに広まった美術・建築様式)に基づいた教会堂で、現在わが国に残る最大の大谷石建造物である。設計者は、スイス人建築家Mx.ヒンデル(函館のトラピスチヌ修道院を設計)である。

本教会の創立者カディヤック神父は、教会堂建築のために資金を集め、昭和7年(1932)11月に完成した。教会のアンジェラスの鐘は、第二次世界大戦中の金属回収によって供出され、現在のものは昭和57年(1982)に鋳造されたものである。~上記案内板より抜粋転載~


両サイドから聖堂にアプローチする正面階段と、

八角トンガリ屋根を頂く双塔が荘重な外観。

教会裏側から

「聖堂」

聖堂の内外壁に用いられている大谷石は、旧帝国ホテルに用いられた場所と同じ大谷の採石場から切り出されたものに、石工職人によりさまざまな意匠が施されている。松が峰教会HPより抜粋転載~

松が峰教会のパイプオルガンは、1978(昭和53)年4月に奉献された。このオルガンは、カトリック典礼にふさわしい音であること、松が峰教会のミサに最適な音色を備えていることを条件に検討、設計、施工されたバロック様式のオルガン。~松が峰教会HPより抜粋転載~

日本聖公会 宇都宮聖ヨハネ教会(宇都宮市桜)<国登録有形文化財>


伝道師の講義所に始まる(1893年)本教会は、1910年(明治43)に牧師館が現在地へ移り、その二年後に大谷石造の仮・礼拝堂(現・愛隣幼稚園)が完成。上林敬吉による鉄筋コンクリート造・大谷石張りの現・礼拝堂は1933年(昭和8)の施工。石の質感を活かした設計には、西洋中世の素朴さと、地域色が窺える。出典:「石の街うつのみや」パンフレットより抜粋転載

星が丘の坂道(宇都宮市星が丘)


片側は、屋敷を囲む高い石塀、足元には、丸みを帯びた敷石の連なる坂道。距離にすれば20mほどだが、この場所では、市内でも貴重な「異国情趣あふれる石づくりの都市景観」が見られる。近世以前から西洋の建築文化が伝わった地域とは違い、近代の邸宅にあったアプローチが区画の変化で公道となり、周辺の環境と相まって生まれたユニークな風景。珍しさと懐かしさが交錯する坂道には、わがまちの礎を成す「石の声」がこだましている。出典:「石の街うつのみや」パンフレットより抜粋転載

宇都宮二荒山神社(栃木県宇都宮市馬場通り)


二荒山は県都宇都宮市のほぼ中央にある。昔は小寺峰(現在社殿のある臼ヶ峰の南方・馬場町交番付近)と臼ヶ峰の二峰を持った小高い荒山でした。山姿からして瓢型の墳墓であったと言う学者もいます。江戸時代に街の割替えが行われ、山は二分され真中に道路が設けられて、小寺峰は次第次第に削られ今日その原形を全く失い、標高約130mの臼ヶ峰のみが残っている。

二荒山神社は大変歴史が古く、第十代崇神天皇の御代に遡る。当社は何度も火災にあい、近世に入ってからも天正13年、安永2 年、天保3 年、更に明治維新の戊辰の役と4度もあって古い記録のほとんどが焼失。現在残っている社記には、第16代仁徳天皇の御代に毛野国が上下の二国に分けられ、御祭神豊城入彦命の四世孫奈良別王が下毛野国の国造に任ぜられます。この時、祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祀ったのが始まりで、その後承和5年(838)に現在の地、臼ケ峰に遷座されたと伝えられている。延長5年(927)に政治のよりどころとして完成した延喜式・神名帳には「下野國河内郡一座大 二荒山神社 名神大」と記載がある。栃木県内唯一の名神大社として「お明神さま」「ふたあらさん」の名で広く親しまれ、篤く崇められてきた。平安から鎌倉時代には各々の国で最も格式が高いとされる神社を一之宮とした。二荒山神社もまた「下野国一之宮」とよばれ、宇都宮という地名はこのイチノミヤが訛ってウツノミヤになったという一説がある。宇都宮はこの二荒山神社を中心に、平安・鎌倉時代には神社の門前町として発展し、江戸時代には城下町として繁栄。 北関東の経済・文化の中心都市として発展した現在でも、 お正月や七五三など暮らしの節目にたくさんの市民が参拝に訪れる。~宇都宮二荒山神社HPより抜粋転載~

境内マップ

「御本社・主要施設」

① 本殿 ② 拝殿 ③ 神門 ④ 東回廊 ⑤ 神楽殿 ⑥ 手水舎 ⑦ 西回廊 ⑧ 授与所 ⑨ 社務所 ⑩ 大鳥居 ⑪ 石段(95段)⑫ 女坂 ⑬ 西参道 ⑭ 東神苑歩道

「末社」

① 摂社下之宮(神社発祥の社)② 女体宮(安産の神)③ 十社(県内延喜式内社の合祀)④ 初辰稲荷神社(豊穣・商業の神)⑤ 東照宮(徳川家康公)⑥ 須賀神社(お天王さん)⑦ 市神社(市・商業の神)⑧ 剣宮(武徳の神)⑨ 十二社(肇国の神)⑩ 菅原神社(学問の神)⑪ 松尾神社(醸造の神)⑫ 荒神社(疫病鎮めの神)⑬ 水神社(水の守神)

「大鳥居」

「石段(95段)」

正面石段の左右の石垣には大谷石が用いられ、江戸時代の1846年(弘化3年)に修理寄附されたことが記されている。

「神門」

「拝殿」

「狛犬」


「本殿」

二荒山神社の神楽

<宇都宮市指定無形文化財>

神楽は神聖な場所に神々を迎え、その前で踊る舞踊であり清めや豊作祈願などの意味が込められている。二荒山神社の神楽の起源は江戸時代の中頃と伝えられており、神社では宮比流太々神楽と称している。舞は、1月28日、5月28日、9月28日の三回奉納され、岩戸の舞や稲荷の舞など18演目あり、舞面は、40面あり、「明治4年(1871)高田運春」の銘などがある。宇都宮市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「神楽殿」

「女体宮(安産の神)」

「初辰稲荷神社」(豊穣・商業の神)

剣宮(武徳の神)

十二社(肇国の神)


菅原神社(学問の神)

松尾神社(醸造の神)

荒神社(疫病鎮めの神)