虎ノ門金毘羅宮(港区虎ノ門)


創始:当宮は万治3年(1660)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝7年(1679)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座した。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月10日に限り邸内を開き、参拝を許可した。当時は"金毘羅大権現"と称されていたが、明治2年(1869)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治22年(1889)には金刀比羅宮(ことひらぐう)に社号を改称し現在に至る。ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られている。 ~虎ノ門金毘羅宮HPより抜粋転載~  -2023.06.15-

 上記境内MAP:虎ノ門金毘羅宮HPより転載

「正面鳥居」

「手水舎」

「銅鳥居」

文政4年(1821)に奉納された明神型鳥居で、左右の柱上部には四神の彫刻が施されており大変珍しいもの。四神とは四方の守護神であり、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武が守る霊鳥霊獣。平成13年(2001)に港区指定有形文化財・建造物として指定された。 ~虎ノ門金毘羅宮HPより抜粋転載~


「社殿」

先の戦災により焼失したが、昭和26年(1951)に拝殿と幣殿が再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きの権現造り。日本最初の建築史家、伊東忠太氏の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。平成13年(2001)に東京都選定歴史的建造物に指定された。尚、幣殿の奥に位置する本殿は昭和58年(1983)に再建された。 ~虎ノ門金毘羅宮HPより抜粋転載~

「神楽殿」

毎月十日には里神楽が奉納される。

「百度石」

正面に「百度石」、背面には「大願成就」の銘があり、心願が叶えられたお礼に建てられたものであることが分かる。こうした百度石が保存されているのは港区内では非常に珍しく貴重であり、平成9年(1997)に港区文化財総合目録に登録された。 

~虎ノ門金毘羅宮HPより抜粋転載~

「参集殿」