エジプト周遊8日間


「《大・好・き エジプト》EXホテルの眺めの良い部屋に泊まる悠久のエジプト8日」(日本旅行)に参加。「ギザのピラミッド」、「アスワン」、「アブシンベル」「ルクソール東岸・西岸」「サッカラ・ダハシュールのピラミッド」「メンフィス」「カイロ」など観光、"悠々の歴史を訪ねるエジプトの旅"となりました。  -2007.11.17~11.24-

絵葉書

ルクソール(Luxor)→ 🚌 → 王家の谷 → 🚌 → ハトシェプスト女王葬祭殿 → 🚌 → メムノン巨像  -2007.11.21- 

ルクソール (Luxor) 西岸 〈世界文化遺産〉


ルクソール県の県都。古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っている。市域はナイル川によって分断されている。西岸の死者の世界に対し、東岸は太陽が昇ってくるため、生きている人が住む「生者の世界」といわれていた。日が昇るナイル川の東岸には、「カルナック神殿」や「ルクソール神殿」など生を象徴する建物が、日が沈むナイル川西岸には死を象徴する「王家の谷」や「王妃の谷」などがある。市内にある遺跡の多くが「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界文化遺産に登録されている。 

上記MAP: STWORLD HPより転載

王家の谷 (Valley of the Kings) 〈世界文化遺産〉


エジプト、テーベのナイル川西岸にある岩山の谷にある新王国時代に造られた岩窟墓群のこと。1922年にはツタンカーメンの墳墓が発掘されたことで知られる。 現在までに62の墓が発見されているが、ツタンカーメン王以外は総て盗掘されていた。1979年、「古代都市テーベとその墓地遺跡」として、世界文化遺産に登録された。

上記:HISユニバーサルツーリズムデスクHPより転載

上記写真:世界遺産オンラインガイドHPより転載

ツタンカーメンの墓(Tomb of Tut-ankh-Amun)


1922年イギリスの考古学者ハワード・カーターによって発見された「ツタンカーメンの墓」は、「王家の谷」にある他の王墓が盗掘の被害を受けていたにもかかわらず、「ツタンカーメンの墓」だけは、盗掘の被害を全く受けておらず2千点以上にも及ぶ副葬品が完全な状態で遺されていた。王墓で見つかった“黄金のマスク”は、世界で最も有名な至宝の一つ。「ツタンカーメンの墓」で発見された副葬品は、現在、カイロの「エジプト考古学博物館」に展示されている。なお、王家の谷にある墓のなかで唯一、ツタンカーメンのミイラだけが、今でもその終の棲家に眠っている。 残念ながら「ツタンカーメンの墓」の内部は撮影禁止です。

チケット

絵葉書

壁画にあるヒヒは

トート神の化身となることもある聖獣

ハトシェプスト女王葬祭殿 (Temple of Hatshepsut )


「ハトシェプスト女王葬祭殿」(別名:デール・エル・バハリ神殿)は、王家の谷の東、切り立った断崖の下に建設された太陽神アメンラーを祀る葬祭殿。ハトシェプスト女王は、「王家の谷」に初めて王墓を築いたトトメス世の娘であり、トトメス世の王妃でもあった女性。ハトシェプスト女王の墓が、なぜ、王家の谷にあるかというと、ハトシェプスト女王は、エジプト初のファラオとなった女性で自らファラオを名乗り実権を握る。ハトシェプスト女王は、ファラオとして公式の場では、あごひげを付け、装いも男性の衣服を身に付けるほどの徹底ぶりだったという。

カートに乗って

「ハトシェプスト女王葬祭殿」は、3層のテラスとそれらを結ぶ傾斜路からなる。テラスには、男装のハトシェプスト女王の立像があったが、彼女の死後、ようやく即位したトトメス3世の手により一部破壊されてしまった。また、内部の壁や柱にあった女王の壁画や碑文も、すべて削り取られている。しかし、葬祭殿内にある礼拝堂などには、プント国との交易の様子、アヌビス神やほかの神々のレリーフなどが残っている。


レリーフ:プントへの遠征

南方国プントとの貿易取引の様子を描いたもの。エジプトの役人と兵士がプントの王から貢ぎ物をもらっている。

テラスには、男装のハトシェプスト女王の立像があったが、彼女の死後、ようやく即位したトトメス3世の手により一部破壊。また、内部の壁や柱にあった女王の壁画や碑文も、削り取られている。

第二テラス アヌビス神礼拝所


アヌビス神

アビヌスはジャッカルまたは犬の姿ので表される。オシリスとネフテュス (セトの妻) の子とされる。オシリスの最古のミイラを造ったところから、ミイラ造りをつかさどる神であり、王家の墓を守る守護神とされる。


捧げ物を前にするアメン神

ホルス神(=天空の神)とトトメス3世

第三柱廊


ハトシェプスト女王姿の

オシリス神列像

ハトシェプスト女王は、ファラオとして公式の場では、あご髭を付け、装いも男性の衣服を身に付けるほどの徹底ぶりだったといわれている。

上記写真:世界遺産オンラインガイドHPより転載

第三テラス


「岩窟至聖所」入口

メムノンの巨像 (Clossi of Memnon)


新王国時代、アメンホテプ世の命によって建てられたアメンホテプ世自身の巨像。高さ2.3mの台座の上に、15.6mの像が置かれている。ローマ時代の地震によるヒビ、温度差によるきしみ、または風により「像が歌う」といわれ不思議がられていたが、その後の改修工事により、今ではその現象はなくなったという。


お土産屋さんで休憩

作業場で石材加工する若者

宿泊したホテル

ソネスタ セント ジョージ ホテル ルクソール

(Sonesta St George Hotel Luxor)

ナイル川岸に位置する

古代エジプトの遺跡が点在する西岸が

川越しに見渡せる

ルクソール(Luxor)→ ✈ → カイロ(Cairo)