東武 トレジャーガーデン (群馬県館林市)


豊かな自然環境と歴史ある館林の地に育む4000種100万株の花園。約8万平方メートルの園内にある「シバザクラのガーデン」では、4月上旬から約20万株のピンク系シバザクラが開花し、「シーズナルガーデン」では、ネモフィラや青、紫、オレンジ、黄、ピンクなど色鮮やかな花々が咲き誇る。 -2012.04.29-

「スプリングガーデン」

「シバザクラのガーデン」

「シーズナルガーデン」


「茂林寺沼湿原」を通って「茂林寺」へ♬

茂林寺 (群馬県館林市堀工町)


曹洞宗の寺。山号は青竜山。寺宝には文福茶釜の伝承をもつ茶釜があり、文福茶釜の寺として知られている応永33年(1426年)、大林正通(だいりんしょうつう)が創建したと伝わる。本尊は釈迦牟尼仏。黒門(総門)から赤門(山門)へと続く参道には、21体の狸像が並んでいる。季節によって「雛祭り」や「端午の節句」などの衣装を着て出迎えてくれます。また、寺の北には県指定の天然記念物である「茂林寺沼湿原」が広がっている。

「分福茶釜」と「茂林寺」

当山は分福茶釜の寺として知られております。寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴(しゅかく)は、代々の住職に仕えました。元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に「茂林寺」で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は、天正15年(1587)2月28日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから161年の月日が経っていました。後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。~茂林寺HPより転載~

「赤門」(山門)

1694年(元禄7年)の建立

「黒門」と「本堂」の中間にある山門


「東武伊勢崎線茂林寺前駅」にも狸