羽田散策Ⅱ(穴守稲荷~天空橋)


先日、「多摩川スカイブリッジ」(10月21日)へ散策。その際、気になった「天空橋」から上流へ向かう多摩川散策路。羽田散策Ⅱとして、「穴守稲荷」駅から多摩川へ向かって歩いてみた!! -2022.10.31-

穴守稲荷駅前


駅前に

穴守稲荷のマスコット「コンちゃん」

穴守稲荷神社(大田区羽田)


羽田空港建設以前、羽田一帯は漁師町だった。穴守稲荷神社は、江戸時代後期の天明年間(1781年〜1789年)、羽田猟師町の鈴木弥五右衛門が干潟を干拓して新田(鈴木新田=現在の大田区羽田空港1丁目、2丁目)を開発するが、波浪などによる被害も多く、農業神そして海上安全の守護として稲荷神を勧請したのが始まり。その後、襲来した大暴風雨と津波で、多を守る堤防の土手に大穴が開き、海水が侵入するという危機的な状況が生まれるが、鈴木彌五右衛門以下、開拓者が力を合わせて危機を乗り越えたことから、穴を守った稲荷神、「穴森稲荷神社」と呼ばれるようになり、五穀豊穣・商売繁盛の神として、日本全国から参拝者が後を絶たない人気神社として勇名を馳せた。羽田-品川間を結ぶ京浜急行電鉄は、この神社の参拝用電車として誕生したほどだから、その隆盛ぶりが伺える。

南参道

境内略図

手水舎

(左側)

 

(右側)

子狐がいます


拝殿

千本鳥居

奥之宮

たくさんの小さな鳥居とお狐さまが

「奥之宮」と神砂(あなもりの砂)

持ち帰って家の敷地内や玄関等に撒く、あるいは携帯すると願いがかなうとされる。

- 神砂の由来 -

あるとき、漁師の老人が漁から帰って釣った魚を入れた籠を覗くと湿った砂しかなかった。翌日も翌々日も大漁だったが同様であったため、村人たちにこのことを話すと、村人は狐の仕業だとして穴守稲荷神社を取り囲んで一匹の狐を捕まえた。しかし老人は狐を許して放した。それ以来、老人が漁に出ると必ず大漁となり、籠には多くの魚とわずかの湿った砂が残るようになった。老人がこの砂を家の庭に撒くと、客が次々と来るようになったため、老人は富を得た。以来、招福のご利益を期待して穴守の砂を求める人々が多く来るようになった。

「福徳稲荷」

手前から「航空稲荷」「末広稲荷」「幸稲荷」「築山稲荷」と奥の稲荷山

「築山稲荷」側から

本殿裏にある稲荷山を登る

「穴守稲荷上社」

「御嶽神社」


神楽殿

大師橋(大田区羽田~川崎区大師河原)


多摩川にかかっている橋で、東京都大田区と川崎市川崎区をむすぶ都県境にかかる。名前のとおり川崎側の橋の近くに川崎大師がある。中央の両側に建てた二つの塔から左右に7本ずつ、計28本で橋桁を吊る斜張橋。隣接して首都高速神奈川1号横羽線の「高速大師橋」が架かっている。こちらは現在工事中。

多摩川散策路


「多摩川スカイブリッジ」が!!

多摩川左岸、海から2Kポストから

「スカイブリッジ」へ行く前に

「赤レンガの堤防」へ戻ってみる

赤レンガの堤防(大田区羽田二、三、六丁目の多摩川沿い)


赤レンガの堤防と五十間鼻

羽田のレンガ堤防は、洪水対策として大正から昭和初期にかけて行なわれた多摩川改修工事で建設された。自然堤防上、道路面から腰高ほどのレンガ堤防を建設したのは、堤内外を日常的に往来する羽田猟師町の土地柄への配慮であった。イギリス積み工法による堤防は「赤レンガの堤防」と親しまれ、羽田の原風景ともいえる。そのレンガ堤防の突端、多摩川と海老取川の合流地点には、長さ50間(約90m)の石積みの沈床があり「五十間鼻」と呼ばれる。新防潮堤が完成し隠れてしまったが、今も昔も初日の出の絶景スポットである。~上記案内板より転載~

弁天橋(大田区羽田)


1928年(昭和3年)、海老取川に架けられた。親柱は灯台の形をしている。

旧穴守稲荷神社大鳥居(大田区羽田空港)


この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を物語る唯一の建造物となりました。米軍から、施設が日本に返還された昭和27年7月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴なりました。昭和59年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の障害となることから、撤去を余儀なくされることとなりました。しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成11年2月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。ここに関係各位に謝意を表するとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。~下記案内板より転載~

国土交通省の管理となったことから、扁額も「穴守神社」から「平和」に変更された。

羽田側散策路からの「スカイブリッジ」

「羽田」に近づいて

「多摩川スカイブリッジ」へ到着!!

「ソラムナード羽田緑地」

休憩・展望テラス

左側が「羽田空港関連施設」

右側が「多摩川スカイブリッジ」

「多摩川スカイブリッジ」詳細は、羽田散策Ⅰ多摩川スカイブリッジ(Oct.2022)へ。

天空橋駅前


「旧三町顕彰の碑」

羽田空港跡地(羽田空港の沖合展開事業及び再拡張事業の実施に伴い発生した跡地)一帯は、江戸時代末期に開発され、戦前までは行楽地として栄えるなど多くの人々が暮らす「まち(旧三町:羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)」があった。しかし、戦後連合国軍の接収により旧三町に暮らしていた三千人あまりの人々が48時間という短い時間の中で強制退去を余儀なくさせられた土地でもある。「旧三町顕彰の碑」は、こうした重要な歴史を後世に伝えていくため、羽田地区町会連合会や地域の団体、空港関連企業等の皆様が検討・製作し、区にご寄贈いただいたもの。区は旧三町顕彰の碑を天空橋駅前交通広場に建立するとともに、碑の周りに解説板を製作・設置した。~大田区HPより抜粋転載