成田散策Ⅰ 成田山新勝寺 ①


<日本遺産> 北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み ─ 佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群 ─ から、10月に「佐倉」「佐原」を散策。今回は「成田」へ。「成田」は、海外旅行に行く際に成田空港へ行くものの、訪れる機会もなく…、また、調べてみると「成田山新勝寺」本堂奥の「成田山公園」は、本格的な紅葉の名所となっていたので、成田駅から「参道」「成田山新勝寺」「成田山公園」を散策してきました。-2023.11.30-

上記:成田市観光協会パンフレットより転載

「成田からくり時計」(JR成田駅前)

「成田からくり時計」は平成30年9月に国際都市成田の益々の発展を願い寄贈された。定められた時刻になると「歌舞伎」をモチーフにしたからくりが登場し「歌舞伎のまち成田」を象徴している。

表参道


成田駅前から約800m続く表参道。江戸時代から門前町として栄え、今でも当時の名残をとどめている。参道沿いには150店以上の名物のうなぎ料理をはじめとした飲食店や土産店が並ぶ。なお、成田山門前町(成田山表参道)は、日本遺産「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」(-佐倉・成田・佐原・銚子 百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群-)の構成資産にもなっている。

明治43年の創業の

成田の老舗うなぎ専門店「川豊」

「一粒丸三橋薬局」

江戸元禄より一粒丸三橋薬局に伝わる家伝薬"道中薬"。厚生労働省の現在の基準を満たし、その認可のもと「はらのくすり成田山一粒丸」として販売。【店舗】創業は江戸時代中頃と伝えられている。初代は叶屋吉兵衛で、現存店舗は明治3年の大火の後、四代目三橋吉兵衛によって建てられた。切妻・平入り2階建て、桁行4間半・梁間3間、前面に1間の下屋庇を張り出している。外壁は黒漆仕上げで、1階正面中央に開放部をもち、2階には観音開きの防火扉付き小窓を2か所配置している。東京の見世(店)蔵の影響を受けた建物だが、軒に出桁造りがない点など地域性もある。成田参道に面した店舗は重厚で参道の風景に趣を与えている。土蔵とともに国登録有形文化財。~成田市HPより抜粋転載~

成田山新勝寺


【ご縁起】真言宗智山派大本山成田山金剛王院新勝寺のご本尊不動明王は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海がみずから敬刻して開眼し護摩法を修せられた尊像。京都の高雄山神護寺に奉安されていたが、天慶2年(939)平将門が反乱を起こすと朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正は、この尊像とともに関東に下り、下総の国、成田の地にて21日間平和祈願の御護摩を修めた。

その満願の日、天慶3年(940)2月14日に兵乱は平定され、この地に新勝寺の寺号を賜って成田山が開山された。~成田山新勝寺パンフレットより抜粋転載~

境内マップ

上記マップ:成田山新勝寺HPより転載

総門


開基1070年の記念事業により、2008(平成19)年建立。荘厳な雰囲気の総門は、高さ15mの総欅造り。蟇股という欄間にあたる部分には十二支の木彫刻が施されている。また、楼上には八体の生まれ歳守り本尊が奉安されている。~成田山新勝寺HPより転載~

「獅子岩」


手水舎



仁王門 <国指定重要文化財>


1831(天保2)年再建の国指定重要文化財。門の左右に密迹金剛、那羅延金剛の二尊を奉安。また、裏仏として、広目天、多聞天の二天が奉安されている。中央の「魚がし」の文字が大きく目立つ大提灯は、魚河岸講の奉納による。~成田山新勝寺HPより転載~

「仁王門」

文政13年(1830年)に建立された三間一戸の八脚門で、正面向かって左側には密迹金剛、右側には那羅延金剛が安置され境内の入口である山門にあって、諸堂伽藍を守っている。特にこの二尊は、昔から「朱塗りの仁王尊」といわれ信仰されている。また、裏仏には左側に人々に福徳をさずける多聞天を、右側には仏心を起こさせる広目天が安置している。屋根は入母屋造で銅板葺、正面に大きな千鳥破風、背面に軒唐破風を付けている。組物は三手先の詰組とし、軒を二軒の扇棰木にしているところなど

八脚門としては類例が少なく、材料工法とも極めて優秀で江戸時代末期の特色をいかんなく発揮した建物といえる。頭貫上の各柱間には、後藤亀之助作の竹林の七賢人や司馬温公瓶割り等の彫刻が施されている。なお、正面に掲げられている「成田山」の大額は東大寺の別当道恕上人の筆。~下記案内板より抜粋転載~

吽形 密迹(みっしゃく)金剛像

阿形 那羅延(ならえん)金剛像


こわれ不動堂


こわれ不動堂

この堂は幾度修理しても不思議にすぐ壊れてしまうので「こわれ不動」と呼ばれている。本尊は倶梨伽羅不動明王である。~案内板より転載~

大本堂


1968(昭和43)年建立。大本堂は当山で最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場。堂内の御本尊不動明王は、向かって右に矜羯羅童子、左に制咤迦童子を従えている。また、四大明王や平成大曼荼羅などが奉安されている。~成田山新勝寺HPより転載~

御朱印

三重塔 <国指定重要文化財>


正徳2年(1712)に建立され、宝暦7年(1757)、享和元年(1801)、安政5年(1858)に大修理が行われている。また、昭和58年(1983)現在の姿に復元された。塔の初層内陣には金剛界大日如来の「五つの智慧」をあらわす五智如来(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が安置されている。塔の高さは、相輪頂上まで約25mで、初重の柱、長押し、台輪等に地紋彫りを、各重の尾垂木の先端部は竜の丸彫りで飾り、脇間板壁には十六羅漢の彫刻をめぐらしている。また、板軒には雲文を浮き彫りにして、極彩色を施すなど、江戸時代中期の極めて華麗な塔である。昭和56年(1981)から58年(1983)にわたり漆塗・彩色工事を主体とした保存修理工事を行ったが、この工事は享和3年(1803)の古文書に書き留められていた漆塗、彩色の仕様をもとに復元された。 ~下記案内板より抜粋転載~


一切経堂


1722(享保7)年に建立され、1831(天保2)年、1962(昭和37)年、1966(昭和41)年、1986(昭和61)年、1998(平成10)年、2009(平成21)年と多くの修復を繰り返してきた。堂内の輪蔵には、一切経(約2,000冊)が納められている。入口の額は、かの松平定信公の筆によるもの。~成田山新勝寺HPより抜粋転載~

「一切経堂」<成田市指定文化財>

一切経堂は、享保7年(1722)当山中興第一世照範上人によって建立された。中央の転輪経蔵に収まる一切経約二千冊は、仏典の集大成である。彩色あざやかな輪蔵周囲の桟唐戸には、四天王と十二神将の彫刻が施され、この輪蔵を八体の鬼神が支えている。入口上部の扁額は白河楽翁(松平定信公)の筆。経堂周囲の八つの火頭窓は、中国の故事説話を題材とした見事な木彫刻で飾られている。堂内には中国南北朝時代に輪蔵を創案された傅大士と普健、普成が祀られている。~下記案内板より抜粋転載~


鐘楼


元禄14年(1701)に当山中興第一世照範上人によって建立された。楼上の半鐘は大本堂建立を記念して鋳造したものである。香取正彦氏の設計鋳作になり、重量1068キロ。~下記案内板より転載~

聖徳太子堂


1992(平成4)年に建立、2007(平成19)年に修復された。日本の仏教興隆の祖である聖徳太子の理念にもとづき、世界平和を願って建てられた。堂内には、大山忠作画伯の壁画が6面に渡り描かれてあり、聖徳太子像が奉安されている。~成田山新勝寺HPより転載~

釈迦堂 <国指定重要文化財>


1858(安政5)年に建立された重要文化財。かつての本堂であり、大本堂の建立にあたって1964(昭和39)年に現在の場所に移された。仏教を開いた釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が奉安されている。周囲には、五百羅漢や二十四孝の彫刻がほどこされ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅づくりの御堂。厄除お祓いの祈祷所。

「釈迦堂」

安政5年(1858年)に建立された前本堂で、大本堂の建立にあたって昭和39年現在地に移築された。ご本尊には仏教を開かれた釈迦如来が安置されている。周囲の板壁には、修行僧として最高位に到達し、功徳をそなえた五百羅漢像を見事な浮彫り彫刻で8面、また、扉には中国の代表的な孝子物語である二十四孝12面を付けるなど堂内の華麗な欄間彫刻とともに、時代の特徴をよく表している。板壁の五百羅漢は、絵師狩野法眼一信の下絵をもとに仏師松本法橋良山(通称不動金兵衛)が10年の歳月を費やして彫刻したもの。二十四孝の彫刻は、無関堂島村俊表の作。建物は5間堂で、中央の柱間が広くとられている。屋根は入母屋造の瓦棒銅板葺で、正面には千鳥破風や軒唐破風付の向拝を設け、荘重さを加えている。組物は三手先を詰組とし、軒は二軒繁垂木で、総欅木を用いている。~下記案内板より抜粋転載~

中央にご本尊の釈迦如来、左の脇侍に普賢菩薩、右に文殊菩薩、左端が千手観音菩薩、右端が弥勒菩薩。

「五百羅漢 八枚」

狩野一信の下絵に基づき、松本良山10年の歳月を費やして彫刻したものである。五百羅漢一人々々表情を良くみると亡くなった親族や知人の面影が、必ず見受けられるといわれている。~下記案内板より転載~

「二十四孝 十二枚」

島村俊表作:二十四孝の物語が扉一枚に二話ずつ彫り込まれている。~下記案内板より抜粋転載~


屋根正面:千鳥破風・軒唐破風付の向拝

"火伏の鬼"


「吉原講」の文字があるけど?

天満宮


明治20年(1887)再建。菅原道真公をお祀りする御堂。文道の太祖、風月の本主と慕われ学問の神、至誠の神として崇敬される。令和2年(2020)移築修復。毎年1月24日・25日両日に初天神祭礼を奉修し御開帳する。~下記案内板より抜粋転載~

朝日観音堂


日の出に真先に照らされることから朝日観音堂と云われている。稲穂講寄進により慶応3年(1867)建立。

本尊:聖観音菩薩、十一面観音菩薩 ~案内板より転載~