王禅寺ふるさと公園・王禅寺


ひと足早く開花する早咲きの"玉縄桜"が満開との情報を得て、「王禅寺ふるさと公園」へ行ってきました。初春を感じた後、「王禅寺ふるさと公園」の東側に隣接する「王禅寺」へ。-2024.03.14- 「王禅寺」は、2022年11月の秋に訪れており、再訪となります。

2022年秋の「王禅寺」は 、王禅寺・早野散策(Nov.2022)  ヘ。

王禅寺ふるさと公園(川崎市麻生区王禅寺)


市制60周年を記念して計画されたこの公園は多摩丘陵の豊かな自然を生かし、水と緑をテーマとして作られた面積約11haの広々とした公園で、多目的広場、芝生広場、遠見の広場、多摩川をイメージした流れ、自然林を生かした散策道、富士山を眺望できる展望広場等があり、多くの人に利用されている。~川崎市HPより抜粋転載~

①多目的広場 ②木道 ③四阿(あずまや)④ 複合遊具 ⑤トイレ⑥展望台 ⑦遠見の広場 ⑧雑木林の散策路 ⑨管理事務所 ⑩麻生区のマーク ⑪池・流れ⑫イベント  ~上記MAP 川崎市麻生区役所HPより転載~

「多目的広場」

"玉縄桜"が満開♬

複合遊具付近

"玉縄桜"

神奈川県立フラワーセンター大船植物園(鎌倉市)で誕生。1969年、同園でソメイヨシノから得られた種子をまき、発芽した苗木から選抜育成した品種。1900年に品種登録された。名前は、同園の近くに戦国時代に「玉縄城」があったことに由来する。2月中旬からソメイヨシノが咲くころまで楽しめるという。

「展望台」から

寒緋桜(カンヒザクラ)

バラ科サクラ属の落葉樹。花色が濃く、釣鐘状に咲く姿が人気の早春の桜。別名「緋寒桜ヒカンザクラ)」であるが、別種の「彼岸桜(ヒガンザクラ)」との混同を避けるため「寒緋桜(カンヒザクラ)」とすることが多い。

山茱萸サンシュユ

ミズキ科の落葉樹。葉より先に黄色い花をつける。別名「春黄金花」(ハルコガネバナ)と呼ばれ、黄色というより黄金色。

馬酔木(アセビ)

ツツジ科アセビ属の常緑性低木。葉や茎に、有毒のアセトポキシンが含まれているため、馬が食べると毒にあたって酔ったようにふらふらとした足取りになることから、漢名で馬酔木(アセビ)と書かれるようになったとされる。

王禅寺(川崎市麻生区王禅寺)


星宿山王禅寺と称し、真言宗豊山派にて、延喜21年(921年)に高野山三世無空上人が開山。関東の高野山と呼ばれていた。周囲には大きな樹木が茂り、この地を愛した北原白秋の歌碑がある。前庭には、樹齢450年と伝えられる禅寺丸柿の原木がある。これは、「柿生」という地名・駅名の由来となったといわれている。平成19年(2007年)に国指定の登録記念物になり、文化庁から贈られた登録証銘板が埋め込まれた記念碑が柿生禅寺丸柿保存会により設置された。また、川崎市選定「まちの樹50選」、「ふるさと麻生八景」にも選ばれている。~川崎・麻生観光協会HPより抜粋転載~

「正門」

樹木が鬱蒼と茂る参道脇の池に

亀がお出迎え♬

「表参道」

左に行くと「仁王門」、右に行けば「本堂」

「仁王門」

江戸前期1678年建立

扁額「星宿山」

「仁王吽像」

「仁王阿像」


「観音堂」

江戸後期の1851年建立。社号標「星宿山王禅寺」、石碑には「旧小机領三十三所観音霊場第二十二番星宿山蓮華蔵院王禅寺 ほしやどる寺は しんにょのくもりなく ふだらくやまのじょうどなるらん 」 と刻まれている。

「仁王石造」

弘化3年(1846)建立


「手水舎」

「観音堂」

江戸後期の1851年建立。本尊「聖観音菩薩像」を安置する。作者は不明だが1608年にできたものだと前回(2008年)開帳時に判明。同寺では毎月17日を「観音様の日」とし「観音堂」を開扉するが、堂内で本尊を拝めるのは子年の開帳期間だけ。

「水子地蔵堂」

「本堂」

扁額「王禅寺」

「禅寺丸柿の原木」

「禅寺丸柿」<国登録記念物>

天然記念物 / 関東 / 神奈川県

登録対象は神奈川県川崎市麻生区の王禅寺に生育する禅寺丸柿の原木と、同地域に植栽されている古木6本である。カキノキは日本各地に植栽される果樹である。本州(西部)、四国、九州、済州島、中国の山野に自生するものはヤマガキと呼ばれている。古代から家の近くに植栽されていた記録があるが、当時のものは渋柿で干し柿等に利用されていたと考えられている。

禅寺丸柿は日本最古の甘柿といわれ、鎌倉時代、順徳天皇の建保2年(1214)に、王禅寺の星宿山蓮華院再建に際し、山中に自生しているものを発見したといわれている。美味で豊産のため次第に栽培者が増加し、徳川時代にはこの地に相当数栽植されていた。明治42年には明治天皇に献上され、明治末から大正にかけて禅寺丸柿の出荷が最盛期を迎え、大正10年に柿生村では生産量が938tに達した。戦後の昭和25年頃でも東京、神奈川の両県で450haの栽培面積があった。現在、駅名となっている柿生という地名の由来は、1889年に市町村制が施行された際、当時の都築郡の10箇村が合併してできた柿生村である。この10箇村の中には柿生という地名はないものの、この地域で禅寺丸柿を多数栽培していたため、この名称になったという。

江戸時代から明治時代にかけては農家の貴重な収入源として重要な役割を果たし続けた。戦後も生産が続けられてきたが、新たな品種の台頭、栽培地周辺の都市化などから徐々に生産は減少した。現在でも激減しているとはいえ禅寺丸柿の古木が各地に残され、流通販売には載らないものの食用に供されている。現在では果実生産より受粉樹や台木として利用されている。禅寺丸柿は江戸時代から明治時代にかけて多く生産されたものであるが、地域では地名になるほど重要なものであり現在も親しまれていることから,登録記念物として保護を図るものである。~文化遺産オンラインHPより転載~

「王禅寺のカキの原木」

<かながわ名木100選>

和名:カキノキ(カキノキ科)「禅寺丸」というカキの品種の原木で、現在の木はそのひこばえが育ったものである。 また「柿生」という地名は、この「禅寺丸」にちなんで付けられたものと言われている。樹高 6m、胸高周囲 0.5~2.0m、樹齢 約450年(伝承)。ひこばえ(蘖)= 草木の根や株からはえ出た芽。

カキノキは、北海道をのぞく全国で栽培されている落葉高木で、 実は、大きさ、形などさまざまであるが、甘柿と渋柿があり、干し柿など食用として喜ばれている。 樹高 20m、胸高周囲 3m、樹齢 450年に達するものもあると言われている。~下記案内板より抜粋転載~

右手に禅寺丸柿を持った「禅寺丸」

「北原白秋の歌碑」

禅寺丸柿の原木の傍らには、王禅寺の自然を愛し度々訪れた北原白秋(1885~1942年)によって執筆された『王禅寺に想う』(昭和10年)の句碑が建立されている。この句碑には、白秋自筆による「柿生」の句が刻まれており、昭和42(1967)年11月2日に白秋の門人「白菊会」の人々によって建立された。"柿生ふる 柿生の里 名のみかは 禅寺丸柿 山柿の赤きを 見れば まつぶさに 秋は闌けたり"

「社務所」

「本堂」参道横の池

「薬師如来堂」

大正12年、当王禅寺に合併廃寺となった臨水山東円寺(青葉区寺家町)のご本尊薬師如来が安置されている。薬師如来は衆生を救済するために十二の大願を立て、その中に、寿命を延ばし諸病諸苦貧困を除き安楽を与えるという御利益が説かれている。~下記案内板より抜粋転載~

「薬師如来堂」前の木瓜の花

「六地蔵尊」

「西門」

王禅寺「西門」をでると

王禅寺ふるさと公園の「展望台」に着く

「展望台」横の小径