宮島(広島県廿日市市宮島町)


宮島は、太古からその島の姿と、弥山(みせん)を主峰とする山々と、昼なお暗い原始林に覆われた山容に霊気が感じられたところから、周辺の人々の自然崇拝の対象となっており、「嚴島神社」の門前町、港町として発展。日本三景の一つとして知られ、島全体が国の特別史跡、特別名勝。「嚴島神社」は、世界遺産の文化遺産にも登録されている。弥山の原始林は、国の天然記念物。3度目の宮島・弥山訪問。残念ながら「嚴島神社」の「大鳥居」は、1875年の建立から140年以上が経過し、損傷や老朽化が進んでいることから、令和元年(2019)6月17日から大規模な保存修理工事が行われており、全体がシートで覆われた状態😢 -2019.12.05-

宮島桟橋前広場


「日本三景碑」

「松島」・「天橋立」と並び

日本三景「安芸の宮島」として知られている。

宮島の礎を築いた「平清盛像」

平成26年(2014)3月20日建立。

世界遺産登録記念碑」

嚴島神社 <世界遺産/国宝・重要文化財>


推古天皇元年(593)、佐伯鞍職(さえきくらもと)によりご創建と伝えられている。説は、色々あるが、「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島(いつきしま)神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「嚴島神社」となっている。原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていたので、陸地では畏れ多いと潮の満ち引きするところに社が建てられた。平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営した。都から後白河上皇、建春門院、中宮徳子、高倉上皇、建礼門院を始めとする皇族や貴族が訪れたので、都の文化や建築が宮島に入ってきた。現在も嚴島神社に伝承されている舞楽は、清盛公によって大阪四天王寺から移されたもの。社殿は、災害により何度か立て替えられているが、清盛公が造営した当時の姿を伝えられているといわれている。~一般社団法人 宮島観光協会HPより 嚴島神社HPより 抜粋転載~

表参道「御笠浜の石鳥居」

「石鳥居」は、高さ10m、笠石長さ10.6m、根元の直径1.3m。両方の柱は各一本の石で、額は太政大臣三条実美卿の筆。

「神馬舎」

古来から馬は神の乗り物とされ神に「馬」を奉納する習わしがあり、「嚴島神社」の入口傍にある「神馬舎」はその名残。昔は生きた馬が繋がれていたが、現在は木製の馬に。「嚴島神社」に奉納された馬は、白くなるという伝承がある。


「東廻廊入口」

現在の入り口は、はじめ出口であったから、「廻廊」の屋根は切妻であり、床板にも敷居らしい工作もしていない。

「廻廊」 <国宝>

「東廻廊」は、47間(柱と柱の間で、1間は約2.4m)、入口は切妻造りで、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、棟には棟瓦が載せてありる。「西廻廊」は、61間あり、西の端(出口)は、唐破風造り(からはふづくり)になっている。東西併せて約260mあり、1間・1間に釣灯籠が下げられている。床板は、1間に8枚敷いてあり、釘は使っていない。板と板の間は少し開いており、潮が高い時や台風時に波のエネルギ-を減免・消波する構造になっていて建物を守る工夫が行われている。(スリット構造)

「客神社(まろうどじんじゃ)本殿」

御本社と同様に、「本殿」・「幣殿」・「拝殿」・「祓殿」からなり、嚴島神社の祭典は、この「客神社」から始まる。

「鏡の池」

社殿「東廻廊」の海中にある。

潮が引くと丸い池が現れる。

「客神社祓殿」正面

背景に「豊国神社」と「五重塔」

「客神社(まろうどじんじゃ)祓殿(はらいでん)」:桁行四間、梁間三間一重入母屋造り。祓殿の軒先が二段になっている所と周囲の波除板に特色がある。

「御本社 」<国宝>

「本殿」・「幣殿」・「拝殿」からなり、ご祭神は、市杵島姫命[いちきしまひめのみこと]・田心姫命[たごりひめのみこと]・湍津姫命[たぎつひめのみこと]の宗像三女神[むなかたさんじょしん]。「本殿」は、三女神のほかに30柱の神様が相殿[あいどの]されている。広さは正面8間・背面9間・梁間4間で、床面積は出雲大社の2倍の大きさといわれている。

「高舞台」

舞楽が舞われる舞台。この舞台は天文15年(1546)棚守佐伯房顕(たなもりさえきふさあき)「高舞台」の擬宝珠(ぎぼし)を奉納したことがわかる。「高舞台」は四天王寺の「石舞台」・住吉大社の「石舞台」と共に日本三舞台といわれている。

「能舞台」

<国重要文化財>

永禄11年(1568)毛利元就は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納した。現在の建物は、延宝8年(1680)広島藩主浅野綱長により改修されたもので、「天神社」と同じく、建造時期が下がるので丹塗りはしていない。特徴は、日本で唯一海中に建てられている。屋根檜皮葺、笛柱が独立し、同吟座が広いのが特色。橋掛、楽屋(柿葺)、共に重要文化財。

「天神社」

<国重要文化財>

祭神は菅原道真公、学業の神様。創建は、弘治2年(1556)毛利隆元によって寄進された。「能舞台」と同じく、素木(丹が塗っていない)なのは、社殿群の中では新しい建物で、時代が下がるため。

「反橋」(そりばし)<国重要文化財>

長さ約24m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り。鎌倉期に既にあったが、現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたもの。別名、「勅使橋」ともいい天皇からの使者(勅使)だけがこの橋を渡ることができた。中央に階段を設けて渡ったものと思われる。

「西廻廊」から「能舞台」を臨む

大鳥居 <国重要文化財>


嚴島神社の「大鳥居」は、木造で両部鳥居(四脚鳥居)。高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、木部は丹塗り(光明丹)、主柱は楠の自然木を、袖柱は杉の自然木を使っている。現在の大鳥居は、平安時代から8代目にあたり、明治8年(1875)に再建された。笠木と島木は箱になっており、石や砂が約5t詰められている。根元は海中に置かれているだけで、自重で立っている。

残念ながら、令和元年(2019)6月17日から大規模な保存修理工事が行われており、全体がシートで覆われた状態でした😢。2011年に参拝した際の写真は、こちら嚴島神社(Nov.2011)です。

潮の満ち引きの嚴島神社


訪問時は、干潮時だったので干潮時のみに姿を現す厳島神社廻廊横の「鏡の池」が見えました。帰りの際には潮が満ち始めてきたところです。

干潮時

満ち始め


宮島・弥山散策


宮島・弥山の遠足は、こちら“宮島・弥山散策(Dec.2019)”へ。2011年の遠足は、“宮島・豊国神社・弥山散策(Nov.2011)”へ。