伏見稲荷大社 (京都市伏見区深草薮ノ内町)


ご鎮座は、奈良時代の711年(和銅4年)、全国に30,000社あるといわれる「稲荷神社」の総本宮。古くは食物・蚕桑あるいは諸願成就の神、中世から近世にかけて商業神・屋敷神へとご神徳も拡大。「本殿」(重文)は、1499年(明応8年)の再興。重要文化財の権殿のほか重要文化財の摂末社も多い。稲荷山の神蹟を巡拝する“お山めぐり”は約4km、参道にある数千本ある「千本鳥居」は壮観。 -2016.07.09-

狛狐



大社マップ

じゃらんネットより転載

「本殿」

<重要文化財>

社記には「御本殿五社相殿ウチコシナガシ作四方ニ高欄有ケタ行五間五尺ハリ行五間五尺」とあり「稲荷造」と称されている。応仁2年(1468)の兵火により、境内の殿舎堂塔の全てが焼亡し、やがて仮殿の復興があったようですが、その後に諸国へ勧進が行われようやく明応8年(1499)に再興された。社殿建築としては大型に属し、装飾、特に“懸魚”の金覆輪や“垂木鼻”の飾金具、それと前拝に付けられた“蟇股”等の意匠に安土桃山時代へ向かう気風がみなぎり、豪放にして優華な趣をただよわしている。~伏見稲荷大社HPより抜粋転載~

絵馬

可愛らしいキツネ。“白狐絵馬”に願いごとと合わせて、表情を自由に描くことができるようです♬

絵馬

こちらは鳥居の絵馬

「千本鳥居」

「赤い鳥居」といえば、すぐさま人々は「おいなりさん」を連想するほど、赤という色が人々の心情に深く染みとおっている。元来、稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっています。この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもち、その色はまた生命・大地・生産の力をもって稲荷大神の“みたま”の働きとする強烈な信仰が宿っている。崇敬者が祈りと感謝の念を奥社参道に鳥居の奉納をもって表そうとする信仰は、すでに江戸時代に興り今日の名所「千本鳥居」を形作っている。~伏見稲荷大社HPより抜粋転載~

稲荷大社 “お山めぐり”


境内はとても広く、稲荷大神が鎮座した稲荷山全体が信仰の対象となっている。標高約233m、一周約4㎞、2時間ほど。ご利益のあるお社や見どころが随所にある、“お山めぐり”へGO!!

「伏見神宝神社」

伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けていく途中の丘に鎮座。天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠、十種の神宝を奉安。創祀は平安期にさかのぼり、かつては稲荷山上に祀られていた。仁和年間(885~89)宇多天皇は、大神宝使を発遣するなど、皇室の信仰も篤かったが、政変などにより中世以降は廃れていった。1957年(昭和32)に再建される。社名の「神宝」は奉安の十種の神宝(沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)をいい、物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。~京都観光NAVI HPより転載~

「福繁大神」・「大岩大神」・「白玉大神」

四ツ辻から眺める京都市内の風景

「三ノ峰」(下社神蹟)

白菊大神と崇められている。明治20年代の半ばごろ、おそらく改修工事をしていたのか、ここから変形神獣鏡が出土。現在京都国立博物館に出陳されている。~伏見稲荷大社HPより抜粋転載~

「荷田社」

「伊勢大神」

「二ノ峰」(中社神蹟)

ここは青木大神と崇められている。

「一ノ峰」(上社神蹟)

ここは稲荷山の最高峰(標高233m)。ここを末広大神と崇める信仰があるが、これは親塚を建てた以前からつづく信仰らしく、神蹟改修を示す親塚裏面に(明治10年6月、燈明講奉納・末広社)という刻字が見出せる。~伏見稲荷大社HPより転載~

「御剱社」(みつるぎしゃ)釼石(長者社神蹟)

この神蹟は山上古図に釼石(雷石)と記されている処。稲荷山の三つの峰と同じように、古くからの神祭りの場であったようです。神蹟の左に焼刃の水と呼ぶ井戸がある。謡曲に三条小鍛冶宗近が勅命を蒙り、当社山中で稲荷大神の助けを得て、名刀小狐丸を鍛えたと語られているが、その場面とオーバーラップする場所でもある。~伏見稲荷大社HPより転載~

「奥村大神」の狛馬(神馬)