尾道


広島から瀬戸内海に面した街、古寺がたくさんある歴史情緒あふれる街、坂の街、文学の街、映画の街など様々な表情を持っている「尾道」へ。お寺巡りを中心に街を散策、ランチは「尾道ラーメン」。2万歩ほど歩きました💦 が、お天気も良く、ゆったりとした時間を楽しみました♬ -2019.12.04-

西國寺 (広島県尾道市西久保町)


「西國寺」は、天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山。ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見てその御告げによってこの地に開山したと言い伝えられている。時は西暦729年のこと。1066年に本堂炎上、行基作の本尊薬師如来も焼滅したが永保元(1081)年、平安朝白河天皇の勅命により再建今に至る。 伽藍の規模は、正に西国一という意味を込め、「西國寺」と名付けられた。大わら草履で名高い「仁王門」をくぐるり、石段を上がると南北朝期の建築、国重文の金堂が建つ境内、復古式建築の純和様の重量感ある美しい「三重塔」がある。~西國寺HPより抜粋転載~

出典:西國寺HP

山門(仁王門)

「西國寺仁王門 」

<県重要文化財>

西國寺仁王門は江戸時代初期に建築された、県内で数少ない楼門形式の仁王門で、格調の高い建物です。三間の楼門でかなり古式な手法で建てられています。門の左右には、阿形と吽行の金剛力士像が、筋骨隆々にして、忿怒の形相で安置されています。金剛力士は、別名を仁王と呼ばれ、まさに仏法を外敵から守護する仁王が、阿吽の呼吸で仁王立ちしています。また、仁王の健脚にあやかって大草履が奉納され、今でも多くの参拝者の信仰を集めています。~下記案内板より転載~

扁額「摩尼山」は小松宮彰仁親王の筆跡

仁王の健脚にあやかって大草履が奉納

「金堂」

<国重要文化財>

行基菩薩の開基と伝えるが、度々の火災により焼失し、現在の堂は南北朝期、備後の守護山名一族によって再建された。和様を基調とした折衷様式で来迎壁は再建当時の壁面と思われる。内陣の漆塗、春日厨子は唐様をまじえて美麗なものである。

上記写真:西國寺HP出典

「英霊殿」

「西國寺」境内真景図に経蔵とある金堂前西南の建物が現在の英霊殿である。宝形造の露盤上焔光をもつ宝珠も美しく屋根に映えている。内部は本格的な輪蔵になっており、経典の代わりに英霊の位牌が祀られている。

「大師堂」

「金堂」の裏、高い石積みで画定された台状地がこの「大師堂」や「弥勒堂」・「毘沙門堂」・「不動堂」・「持仏堂」・「本坊」(庫裏)のある広い寺地である。「大師堂」は、左手正面に東面して建てられていて盛んな大師信仰の行事が行われる場。

「力石」

「百度石」

「三重塔」

<国重要文化財>  

「塔婆勧進帳」(県重文)によると、永享元年(1429年)足利六代将義教によって建立されたことが知られる。復古式建築の純和様の重量感ある美しい塔。二重三重の隅瓦に天正4年(1576年)10月の屋根修理銘のヘラ書がある。建立当時のものと思われる如意輪観世音菩薩像を本尊とし極彩色の四天王を配する。

境内上からも瀬戸内海が臨めます。

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