宮島・豊国神社・弥山散策


瀬戸内海に浮かぶ宮島は、松島、天橋立とならび、日本三景のひとつとして知られる景勝地。周囲30kmの小さな島で「嚴島神社」や霊峰、弥山など島の14%が世界文化遺産に登録されている。古くから島そのものが自然崇拝の対象とされ、「神の島」と呼ばれている。-2011.11.03-

宮島散策


宿泊ホテル「宮島グランドホテル有もと」の朝食前の"早朝ウォーキングツアー"(6:30出発)に参加。日中とは別の宮島を楽しめました♬ ただ、短時間のウォーキングのため、見どころポイントは入口のみの鑑賞です💦

「大聖院」

宮島にある寺院で最も歴史が深いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山「大聖院」です。空海が唐より帰朝後宮島に渡り弥山にて修行なされ、西暦806年(大同元年)開基。皇室との関係深く、鳥羽天皇勅命の祈願道場として、また明治天皇行幸の際の宿泊先に、さらには秀吉が茶会を開いたこともある格式高いお寺。

「雪舟園」

「大聖院」の近く、昔は大聖院の宿坊だった「西方院」というお寺と庭園があったところ。現在、「雪舟園」と呼ばれるのは、その庭が文明年間(1469~1487年)に雪舟が作った「築庭」と言われていることから。なお、一般公開されていないため、内部は見ることができない。

「多宝塔」<国重要文化財>

この塔は、ほぼ純和様を基調としており、戦国時代の大永3年(1523)僧周歓が創建と伝えられる。重層で屋根は上下とも方形であるが下層方形の屋根の上にまんじゅう形の亀腹(かめばら)があり、それにつれて上層は柱が円形で配列されている。軸部まわりの組物まで円形で、それから上の大仏様の組物手先は放射状に配され、軒桁で方形に取り合わせている。

「大元神社」

大永3年(1523)造営。屋根が異例の長板葺で中世の絵巻物には見られるが、他に類例を見ない日本唯一の「六枚重三段葺」の建物。本殿内陣にある玉殿(ぎょくでん)には嘉吉3年(1443)の墨書があり、現在の社殿より古い。また,社殿の彫刻の一部も現在の社殿以前の建物からの再利用と考えられている。「大元神社」は、本社の「嚴島神社」より古い鎮座と伝えられている。「嚴島神社摂社大元神社本殿」は、国指定重要文化財。

嚴島神社  〈世界文化遺産〉


「嚴島神社」の詳細と写真は、神社・仏閣へ。 神社・仏閣 : 「嚴島神社」(Nov.2011)

塔の岡


五重の塔があるのでこの丘を「塔の岡」という。毛利元就が陶晴賢を襲撃した厳島合戦の古戦場である。弘治元年(1555)9月21日晴賢は大軍を率いて上陸し、ここに本陣を構え、毛利方の宮尾城を攻撃した。元就は主力をもって同30日夜、暴風雨をついて包が浦に上陸し、翌朝未明博奕尾(バクチオ)を越えて襲いかかり陶軍は不意を突かれて大敗した。この合戦で内海地域の制海権は毛利の手に移った。~案内板より転載~

五重塔 <国重要文化財>


和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔。高さは27.6m。応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられている。内部は完全な唐様で、一般の見学はできないが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれている。

豊国(ほうこく)神社 通称:千畳閣 〈国重要文化財〉


桁行13間約24m、梁間8間約15m、単層本瓦葺入母屋の木造の大経堂。豊臣秀吉公が千部経の転読供養をするため天正15年(1587)発願し、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に建立を命じたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっている。 明治時代に秀吉公と加藤清正公が祀られ、「豊国神社」となっている。入母屋造りの大伽藍で857畳の畳を敷くことができ、軒瓦には金箔が押してあることから、完成していれば豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われる。


「千畳閣」から見た「嚴島神社

紅葉谷公園


弥山 (みせん) 〈世界文化遺産〉 散策


大同元年(806年)、弘法大師の開創以来山岳信仰の霊峰として崇められてきた山。手つかずの自然が残る原始林には、史跡や奇岩怪岩などが点在している。 ロープウェー獅子岩駅を降りて山道を進んでいくと、弘法大師が100日間の修行をしたという「弥山本堂」や“消えずの火”が1200年以上も燃え続けている「霊火堂」にたどり着く。手つかずの自然は「背後の弥山を含む森林区域」として、1996年(平成8年)に「嚴島神社」とともに世界文化遺産に登録された。

獅子岩展望台


宮島ロープウェイの降り口にある展望台。ここから見る瀬戸内海と多くの島が眼下にひろがる。

弥山本堂 (大聖院)


「弥山本堂」の創建は、古く806年(延暦25年)に大師・空海によって創建されたと云われている。唐から帰国した大師・空海がこの弥山へ立ち寄り、弥山の山頂で100日間にも及ぶ「虚空蔵求聞持法(こくうぞうじもんじほう)」の修法を成し遂げたとされる。

霊火堂


「弥山本堂」の向かいに「消えずの霊火」がある「不消霊火堂」(きえずのれいかどう)が。この霊火は、空海が宮島で修行をした時に焚かれた護摩の火。1200年間経った今も燃え続け、元火の絶えない霊火とされている。平和記念公園の平和の灯の元火にもなった。

三鬼堂


寺伝によれば、空海が大同元年(806年)、弥山で修行した際に、三鬼大権現を勧請したと伝えられている。日本唯一の鬼の神を祀っている。「三鬼堂」の「三鬼大権現」の扁額も「弥山本堂」とともに伊藤博文の直筆。

錫杖の梅


大師・空海が本堂に立てかけていた錫杖が急に根を張りだし、梅の木に成り変わったと云われている。この梅の木は弥山の山の吉凶を告げる木ともいわれ、凶兆の時は花を付けないそうです。

ねがい地蔵・ごめんね地蔵


消えずの火の灰を練りこんで作った高さ10cmの地蔵のお土産。

鹿も神々しい⁈