成田散策Ⅰ 成田山新勝寺 ②


<日本遺産> 北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み ─ 佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群 ─ から、10月に「佐倉」「佐原」を散策。今回は「成田」へ。「成田」は、海外旅行に行く際に成田空港へ行くものの、訪れる機会もなく…、また、調べてみると「成田山新勝寺」本堂奥の「成田山公園」は、本格的な紅葉の名所となっていたので、成田駅から「参道」「成田山新勝寺」「成田山公園」を散策してきました。-2023.11.30-

上記:成田市観光協会パンフレットより転載

境内マップ

上記マップ:成田山新勝寺HPより転載

額堂 <国指定重要文化財>


額堂とは、奉納額や絵馬を掲げる建築物であり、このお堂は文久元年(1861)に当山で2番目の額堂として建立された。建物は、桁行正面が3間(約5.5m)背面が6間(約11m)で、屋根は入母屋桟瓦葺。現在は四方が開放されているが当初は背面が板壁でした。組物は平三斗、中備蟇股、二軒の半繁垂木。額堂としては虹梁や木鼻など細部まで本格的な建物で、近世における庶民信仰をあらわす代表建築の一つである。建物の各部に見られる竜や獅子などの彫刻は後藤勇次郎経慶の作。なお当山には、江戸歌舞伎界の名優成田屋こと七代目市川団十郎丈により寄進された額堂(第1額堂)が三重塔脇にありましたが、昭和40年に焼失した。中央部にある石像はその七代目団十郎像。これらの額堂には絵馬類がたくさん掲げられていたが、貴重な文化財として、現在は成田山霊光館に保存されている。~下記案内板より抜粋転載~

成田屋 七代目 市川團十郎

寄進の石像

開山堂


当山の開山上人寛朝大僧正の御姿を安置する堂。この堂は昭和13年に奉修された成田山開基一千年祭記念事業の一つとして新築されたもの。~案内板より抜粋転載~

三社


左から白山明神、金毘羅大権現、今宮神社の三社を祀る。

光明堂 <国指定重要文化財>


元禄14年(1701)に建立された旧本堂で、寛保2年(1742)と明和5年(1768)の改修を経て、安政年間新本堂(現釈迦堂)の建立にあたり、本堂の後方に移築、さらに昭和39年大本堂建立のとき現在地へ移された。本尊には真言密教の教主である大日如来が安置されている。建物は桁行5間(約9m)梁間5間で、屋根は入母屋造桟瓦葺。組物は三手先を詰組とし、軒は二軒の繁垂木としている。安政年間の移築の際に回り縁と外陣部の床を撤去して吹放しの土間とし、珍らしい形になっている。

また、彫刻装飾(島村円徹の作)には、創建当初の構造がよく残され、江戸時代中期における密教寺院の遺構の一つとして貴重な建物。また「明王堂」の掲額は東大寺の別当道恕上人の筆、柱の聯(現在成田山霊光館保存)は三井親和の筆。~下記案内板より抜粋転載~


奥の院


この洞窟は奥行約11mあり、正面に不動明王の本地仏である大日如来が安置され、毎年、当山祇園会の日(7月7、8、9日)に限り開扉される。入口左右の板碑は考古学上貴重なものである。~下記案内板より抜粋転載~

新勝寺板石塔婆二基

<千葉県指定有形文化財>

板石塔婆(板碑)は板状の石を用い、卒塔婆の一種として発生し、鎌倉時代から室町時代にわたって盛んに建立された供養塔。この奥之院の石垣には10枚ほどの下総式石塔婆が嵌め込まれているが、入口の両側2基が指定を受けているもの。向かって右側の1基は南北朝合一直後の明徳5年(1394)の紀年銘と、阿弥陀如来の種字(仏を表わす梵字キリーク)を大きく深く刻み、上部に天蓋、下部に蓮華座が陰刻されている。左側の1基は南北朝時代初期の延元元年(南朝年号・1336)の紀年銘をもち、阿弥陀三尊の種子〔キリーク(主尊阿弥陀如来)、サ(観音菩薩)、サク(勢至菩薩)〕とその上部に天蓋、下部に蓮華座、さらにその下に一対の花瓶が陰刻されている。千葉県教育委員会・成田市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~


清流権現堂・妙見宮


享保17年(1732)建立。清滝権現と地主妙見を合祀した当山の鎮守である。昭和44年(1969)成田市指定文化財となる。令和5年(2023)弘法大師ご誕生1250年記念大祭記念事業として保存修理した。~下記案内板より転載~

三葉の松(白松)


弘法大師が唐(中国)から帰国する際、三鈷杵(さんこしょ)と呼ばれる密教法具を東の空に飛ばしたところ、高野山(和歌山県)の白松で見つかり、その地に真言密教の根本道場を開いた。その松葉は三鈷杵のように三葉になっていることから高野山では「三鈷の松」と称し、弘法大師と御縁の深い樹木として尊ばれている。令和5年4月、弘法大師ご誕生1250年記念事業として植樹。~下記案内板より抜粋転載~

醫王殿 (いおうでん)


平成29年(2017)開基1080年祭記念事業として建立。御本尊薬師瑠璃光如来は、大醫王如来とも称され、古来、病を癒やし苦痛を取り除き、寿命を延ばす功徳がある。健康長寿、息災延命の仏様として信仰される。脇侍の日光菩薩は太陽のような光明を放ち心の闇を取り除き、月光菩薩は、月のような穏やかな慈悲の心で煩悩を鎮めて下さり、眷属の十二神将は、十二の方位を守り干支の守護神として信仰される。~下記案内板より抜粋転載~

木造総檜、一重宝形造の御堂

平和の大塔(へいわのだいとう)


1984(昭和59)年に建立された平和の大塔は、真言密教の教えを象徴する塔。総高は58mで、1階は大塔入口、成田山の歴史展、写経道場各種受付があります。2階の明王殿には、大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安され、3・4階の経・法蔵殿には、ご信徒による掛仏、5階の金剛殿には五智如来が奉安されている。

「総門」をくぐり「仁王門前」を右へ行ったところに。

二宮尊徳翁開眼の地


代表的日本人の一人、二宮尊徳翁 天明7年~安政3年(1787~1856)は、不世出の才と堅忍不抜の行いとをもって小田原藩主大久保忠真候に抜擢され、野州桜町(現在の栃木県二宮町)の復興に一身をささげた。内外の妨害に、進退きわまり、行方不明数十日の後、「禍を転じて福となし」にはじまる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行二十一日、霊験感応あり、心願開けて大悟した。ここぞ誠に二宮哲学開眼の地である。

  身をすててここをせんどとつとむれば  月日の数も知らぬなりけり

  心あらば成田の山にこもりなん  石の上にも岩のうえにも

この二首は満願の日の翁の歌であり、「予が今日に至るは不動心の堅固一つにあり」とは後世にくり返し口にしたところである。 ~下記案内板より抜粋転載~


水行場


天保六年(1835)建立。昭和41年改築、本尊に祈誓をこめて水行をするところであり、古くは道誉上人、二宮尊徳翁なども、ここの水に浴し貴い霊験を授かっている。~下記案内板より転載~

⇐  PREV  成田散策Ⅰ 成田山新勝寺 ①   「成田山公園」の紅葉は、成田散策Ⅱ 成田山公園 -紅葉-  ヘ。