圓融寺(円融寺)(目黒区碑文谷)


目黒区碑文谷の閑静な住宅街に位置する経王山文殊院 「圓融寺」は、今から約1150年前、平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹。草創当時は「法服寺」と名付けられましたが、鎌倉時代の弘安6年(1283)に、日蓮上人の高弟である日源上人によって日蓮宗に改宗され、寺号も「法華寺」と改められる。この日蓮宗時代は、江戸中期までの約400年間続き、寛永年間前後には江戸近郊屈指の名刹として知られた。しかし、法華経の信者以外に布施を受けず・施さないという、いわゆる不受不施派の主義が幕府の忌諱にふれるところとなり、「法華寺」は取り潰しにあう。こうして、元禄11年(1698)に再び天台宗に改宗され、はじめは東叡山寛永寺の末寺、のちには比叡山延暦寺の末寺に属した。やがて天保5年(1834)には「圓融寺」と名が改められて現在に至っている。 ~「圓融寺」HPより抜粋転載~

「山門」

昭和26年(1951年)に品川御殿山の

原邦造邸から移築された。

「参道」

「仁王門」

<区指定有形文化財(建造物)>

三間一戸、八脚、入母屋造、茅葺(現在は銅板葺)で、用材は主に欅と檜を使い、和様に唐様をとりいれた建築様式で、細部の虹梁、蟇股、懸魚などにも彫刻的装飾が多く施されている。

「黒仁王尊」

<東京都指定有形文化財(彫刻)>

木造金剛力士像は、永禄2年(1559)、鎌倉扇ヶ谷(おうぎがやつ)の権大僧都大蔵法眼によって造られた。東京都の有形文化財に指定されている。江戸時代中頃は霊験あらたかな「碑文谷の黒仁王」「黒仁王」として人々から親しまれ、大勢の参拝客で賑わっていたと伝えられている。

「黒仁王尊」は、ガラス張りになっているため写真撮影ができなかったので「圓融寺」HPより転載しました。

写真出典:圓融寺HP

「釈迦堂」

<国指定重要文化財>

国の重要文化財に指定されている東京都区内最古の木造建築。建築年代は室町時代とされている。唐様建築の手法に和様を取り入れた優美な様式を今日に残している。たおやかな曲線をもつ入母屋造りの屋根は、もとは茅葺きだったが、昭和27年銅板に葺き替えられた。

「阿弥陀堂(本堂)」

「鐘楼」「梵鐘」

<国指定重要美術品>

「日源上人五重石塔」

<区指定文化財>

「圓融寺」の前身である「日蓮宗法華寺」の開基日源上人(~1315)の供養塔。総高は約4.4メートル。碑文によると、日源上人の追善供養のため寛永13(1636)年に建立され、その後文化11年(1814)に再興されている。この石塔は、軸石と笠石が別々の石で構成され、しかも軸石が高く、そのため雄大な五重塔となっている珍しい例。各軸石には、上から「妙」「法」「法」「華」「経」と刻まれ、最下層の軸石には出来や造立者などが刻まれている。

「円融碑」

「圓融寺」他にも碑文谷を散策しました!! 「碑文谷散策」のページ もご覧ください!!