駒場散策 (東京都目黒区駒場)


「駒場東大キャンパス」の八重桜を見ながらお弁当 ~「駒場公園」内にある「旧前田家本邸和館」~ 「日本民藝館」 ~ 「駒場野公園」を散策しました!!  -2018.04.08-

駒場東大キャンパス(東京都目黒区駒場)


「1号館」

もとは旧第一高等学校本館だった建物で、そのゴシック風の時計台は駒場キャンパスの象徴。東大本郷キャンパスの安田講堂と同様に内田祥三東京帝大建築科教授の設計による。1993年(昭和8)の完成で登録有形文化財。

「101号館」

内田祥三東京帝大建築科教授の設計により1935年(昭和10)に建てられ、留学生用の特設高等科校舎として用いられた。現在は、「101号館」と呼称されている。

八重桜が満開♬

オーニソガラム 〈オオアマナ (大甘菜) 〉

駒場公園(東京都目黒区駒場)


東京都目黒区駒場にある公園。旧前田家の前田利為侯爵駒場邸跡で昭和42年に公園として開園。 園内には「旧前田家本邸洋館」、「旧前田家本邸和館」が現存。 建物は、昭和初期の建築技術の粋を集めた作りになっており、おしゃれな「洋館」と書院造りの「和館」がある。

旧前田家本邸(東京都目黒区駒場)


「旧前田家本邸」は、旧加賀藩主前田家の本邸である。16代当主の侯爵前田利為が大正15年に本郷から駒場への本邸移転を決定し、昭和4年に洋館、同5年に和館が竣工した。基本計画は塚本靖で、設計は洋館を高橋貞太郎、和館を佐々木岩次郎、茶室を木村清兵衛が担当した。「洋館」は、英国風の重厚な意匠でまとめられ、家政の諸室も取り込んで、洋館だけで日常の生活が完結する。留学や駐在武官としてヨーロッパでの生活が長い利為の希望を反映している。「和館」は、外国賓客に日本文化を伝える目的で建設された迎賓施設に特化した近代和風建築である。「旧前田家本邸」は、旧大名家が建設した和洋2館からなる住宅建築で、昭和初期における貴顕の生活像が表現された建物として高い価値が認められる。~文化遺産オンラインより転載~


「旧前田家本邸(洋館)」

〈重要文化財~建造物~〉

昭和/1929 鉄筋コンクリート造、建築面積978.25㎡、二階建、地下一階、寄棟造、塔屋三所付、銅板葺
※ 残念ながら「洋館」は、保存整備工事のため平成30年9月末(予定)まで休館。

「旧前田家本邸(和館)」

〈重要文化財~建造物~〉

昭和/1930 木造、建築面積355.47㎡、二階建、宝形造及び入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺。

日本民藝館(東京都目黒区駒場)


「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設された。現在の経営母体は公益財団法人で、登録博物館として運営。旧館および道路に面した石塀は、1999年に国の有形文化財に登録された。なお新館は、旧大広間のあった位置に1982年に建て替えられたものである~日本民藝館HPより抜粋転載~

「本館」(旧館)

「日本民藝館」本館のうち1936年に竣工した建物部分を旧館と呼ぶ。旧館は、柳宗悦が中心となり設計されたもので、外観・各展示室ともに和風意匠を基調としながらも随所に洋風を取入れた施設となっている。

「西館」(旧柳宗悦邸)

本館道路向いに建つ西館(旧柳宗悦邸)は、栃木県から移築した石屋根の長屋門とそれに付設した母屋からなっている。日本民藝館開館1年前の1935年に完成、母屋の設計は旧館と同じく柳宗悦。72歳で没するまで、宗悦が生活の拠点とした建物である。

駒場野公園(東京都目黒区駒場)


この一帯には笹が一面に生え、ところどころに松林がしげる広い原野で駒場野と呼ばれていた。明治に農業の近代化を図るためこの広い原野を利用して駒場農学校が開校。駒場農学校はその後、東京教育大学農学部となり、昭和53年に筑波へ移転。その移転跡地に造成されたのが「駒場野公園」。園内にはくぬぎの雑木林、枕木の道、水鳥の池、稲作を行っている水田などがある。

ヤマブキ山吹)

街で見かけた春


ハナミズキ(花水木)