佐助稲荷神社(鎌倉市佐助)


大船に所用があり待ち合わせ前に、以前から気になっていた鎌倉の「佐助稲荷神社」へ。閑静な住宅街の奥、"鎌倉の隠れ里"と言われる地にあり、朱の鳥居を抜ける参道から神狐、境内には所狭しと白狐が祀られていました。紅葉とイチョウの落ち葉は黄色い絨毯を敷き詰めたよう。-2022.12.23-

佐助周辺観光案内図

相州鎌倉隠里佐助稲荷神社由緒

当社は源頼朝公の再建せし古社にして御祭神は宇加御魂命・大己貴命・佐田彦命・大宮女命・事代主命。往古頼朝公伊豆蛭ヶ小島の配所にて、平家討伐を日夜念じをりし所、稲荷の大神気高き老翁の姿にて夢に現れ給い、挙兵をうながし、その時期を啓示し給えり。頼朝公天下一統の礎を固めし後、稲荷神霊の加護に感謝し畠山重忠に命じ、佐介山隠れ里の霊地を選び社殿を造建せしむ。人々の信仰きわめてあつく、出世稲荷としてその御神徳は広く関東一円に拡がりたり。さらに寛元の頃(十三世紀中)鎌倉に疫病流行せし時、佐介稲荷の大神再び奇瑞を現し給い、霊種をして薬草を生じせしめ病苦の者、ことごとく癒し給いぬ。以来、神威更にかがやき、商売繁盛、病気平癒、大漁満船、学業成就の霊験顕然たり。~下記境内掲示より転載~

伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が病に伏していた時、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵をうながしました。後に幕府を開いた頼朝は、畠山重忠に命じて「かくれ里の祠」を探しあて、建久年間、稲荷神社を建てたと伝えられます。頼朝は若い時、兵衛佐であったので佐殿と言われており、その佐殿を助けた神と言うことで「佐助」の名を付けたといわれています。また、「佐助稲荷神社」は、頼朝が旗揚げの後征夷大将軍までのぼりつめたことから、別名「出世稲荷」と呼ばれ信仰を集めています。参道登り口に縁結びの十一面観音が祀られています。~上記案内板・佐助稲荷神社HPより抜粋転載~

下拝所

参道入口横に下拝所。"上の本殿へご参拝が困難な方はこちらでご参拝ください" 宮司 と書いてありました。

鳥居

鳥居とは神社などにおいて神が住む神域と人間が住む俗界を区画する結界であり、神域への入り口を示す門。本殿の遠くから一の鳥居、二の鳥居と言い複数の鳥居をくぐるごとに神聖さが高まる。「佐助稲荷神社」はとても幻想的な空気の中に朱色の鳥居が49基建っている。深い緑に囲まれた佐助稲荷の境内は、今も隠れ里の雰囲気。

参道の階段を上ります

参道の階段を昇り切った後

鳥居を振り返ると

拝殿

拝殿は神様にお参りする場所をいい、本殿すなわち神様がおられる処より前に拝殿は建てられている。

扁額

白狐

朱の鳥居を抜ける参道から神狐、境内には所狭しと白狐が祀られている。

当時、開山良忠上人は佐介ヶ谷に住まわれていた。ある時、子供に虐められていた子狐を助けました。すると夢に親狐が現れ、悪病が流行る事を告げ、子狐を助けたお礼と共に薬種袋を残していったという事です。翌朝枕元に薬の元である種子があり、上人はお告げに従って種子を蒔くと3日の内に成長し、この薬草で多くの人の病を治しあがめられました。これは佐助稲荷のご利益だと考え、以来佐助稲荷に参詣するのが良いと人々に教えました。このことから、佐助稲荷では一対の白狐を供えて願を掛けるようになったのです。また、豊作祈願で稲の穂が狐の尻尾に似ている所から狐を祀るようになったとも言われている。

拝殿前のたくさんの白狐


イチョウの黄色い絨毯と白狐

拝殿の右側から裏山に登っていくと本殿。

本殿階段前横

スイセンが咲き始めていました

本殿

拝殿の後ろの階段を上った処に本殿がある。本殿は宮司を除く何人も入ることは許されておらず、1895年明治28年に本殿は再建。なお、2019年の台風15号により、本殿は倒木のため全壊したため、現在のは仮本殿のようです。


縁結び十一面観世音菩薩

縁結びの十一面観世音菩薩様で、良縁に恵まれなかった美しい姫君、赤松幸運が出家して現世の若い男女に良縁があるようにと祈願して彫ったと伝えられていている。毎年5月18日は十一面観世音菩薩様の御開帳があり(通常は非公開)、「般若心経」と「観音経」を宮司が読経します。

霊狐泉

佐助稲荷は昔より麓の田畑を潤す水源の地で、境内の片隅には霊狐の神水と称される湧き水があり、生命の源であるこの水源を「霊狐泉」として讃えており今もこの霊狐泉は絶えることなく湧き出ている。

霊狐泉

佐助の稲荷山は往古より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊狐の神水と称え家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず湧き出づる霊狐の泉なり。佐助稲荷神社 祭神:宇迦之御魂神 神徳:農漁商工業繁栄・生活の守護神 ~上記案内板より転載~

拝殿の左側にある古い稲荷群

800年以上前から続く佐助稲荷には、人々から奉納された古い石の祠(ほこら)がたくさんあり、苔むした石祠の中に安置されているのは、神様のお使いである狐の像です。苔むした祠のそのまた上に御塚と呼ばれる自然の岩があり、白狐が祀られ祠を守っている。まだ社を持たない時代に、神が宿る岩として信仰を受けた神聖な場所。

苔むした祠と白狐