明治神宮御苑 (東京都渋谷区代々木)


「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」明治天皇がこのようにお詠みになりました御苑は、江戸時代初期以来加藤家、井伊家の下屋敷の庭園でしたが、明治時代に宮内省の所轄となり、「代々木御苑」と称され、明治天皇、昭憲皇太后にはたびたびお出ましになられたゆかりの深い名苑です。苑内には「隔雲亭」(かくうんてい)、「お釣台」、「四阿」(あずまや)、「菖蒲田」(しょうぶだ)、「清正井」(きよまさのいど)などがあり、曲折した小径が美しい笹熊の間を縫い、武蔵野特有の面影をとどめている名苑です。中でも明治天皇が昭憲皇太后のために植えさせられた「菖蒲田」の花菖蒲は、現在も大切に守り育てられ、6月には見事な花を咲かせます。 ~明治神宮HPより転載~ -2019.06.19-  花菖蒲を鑑賞した後、「明治神宮」へ参拝しました。「明治神宮」は、神社・仏閣のページへ。→明治神宮

御釣台(おつりだい)


「御釣台」

明治時代に天皇様の思召により設けられ皇后様には御釣を楽しまれたと伝えられています。~下記案内板より転載~

「御釣台」から

「南池(なんち)」のすいれん

南池(なんち)


南池(なんち)と称されるこの大池は広さ8,300㎡、自然の古池で井伊家時代から「お泉水」といわれていた。「清正の井」から「菖蒲田」を潤した清水を漫々と湛え周りの樹影を映しだし、夏にはスイレンやコウホネが花を咲かせます。~明治神宮御苑パンフレットから転載~

隔雲亭 (かくうんてい)


数寄屋造りの木造家屋。昭憲皇太后の休息所として明治天皇が思し召しになったもの。皇后様は行啓の折にいつもこの亭にご休憩になられました。残念ながら戦火により焼失したので昭和33年に篤志家により建て替えられた。~明治神宮御苑パンフレットから転載~

菖蒲田(しょうぶだ)


南池の小径を西北に進むと16枚の「菖蒲田」へ。この「菖蒲田」は、江戸時代は家臣子女が米作りを学ぶ稲田でしたが、明治26年(1893年)に昭憲皇太后をお慈しみのために明治天皇のお指図により「菖蒲田」に改められたとのことです。江戸系の原種150種、1,500株が植えられています。花期は例年六月上旬から七月上旬です。~明治神宮御苑パンフレットから転載~

清正井(きよまさのいど)


「菖蒲田」を遡った木立の中に清水が滾々と湧き出している。この井戸は古くから江戸名井のひとつに挙げられていました。ここが江戸初期には加藤家の庭園だったことから加藤清正が掘ったと言い伝えられている。湧き出る清水は、井戸水特有の冬暖かく、夏冷たく、年間を通して15度前後。清水は「菖蒲田」を潤し、「南池」で淀んだ後池の水門から流れくだり、南参道に架かる「神橋」をくぐりぬけ、渋谷川の源流となります。最近まで茶の湯に使われていました。~明治神宮御苑パンフレットから転載~