戸田散策


埼玉県戸田を散策。戸田公園のボートコースで学生たちのボートレースや練習風景を見てリラックスした後、桜🌸咲く「妙顕寺」等を参拝してきました。歩いたコースは、戸田公園駅 → 戸田橋親水公園 → 戸田公園(戸田ボートコース・東京オリンピック聖火台)→ 戸田公園大橋(ボートレース戸田)→ 新曽根氷川神社 → 妙顕寺 → JR埼京線北戸田駅 -2024.04.06-

戸田橋親水公園(埼玉県戸田市川岸)


JR埼京線「戸田公園駅」から荒川に向かって徒歩10分弱、「戸田公園」からすぐの場所にある公園。明治時代に作られた戸田橋の親橋がここに移築されている。

「三代目戸田橋の親柱」

<戸田市指定有形文化財(建造物)>

三代目戸田橋は、現在の四代目戸田橋の東側に架けられており、完成した昭和7年当時は、日本一斬新で美しい橋として話題を呼びました。三代目戸田橋の埼玉県側と東京都側の入口部には、「戸田橋の顔」として、それぞれ一対の親柱が設置されていた。親柱の石材には、岡山県北木島産の良質な花崗岩が使用されている。また、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加エや、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、昭和初期の著名な橋梁設計者であった増田淳氏による意匠的に凝ったデザインが戸田橋を渡る人々の目を惹きつけていた。現在は欠損しているが、柱の四面には鋳造青銅製の電燈が、柱の中間部と上部には正方形を連続させた装飾などが配されていた。現在は親柱の東京都側が板橋区小豆沢公園に、埼玉県側がここ戸田橋親水公園にそれぞれ移設されている。戸田市は、古来から荒川の河川交通とともに発展してきました。第二次世界大戦後間もない頃に在留米兵によってつけられたとされる「埼玉縣」銘板の3つの銃弾の浪や、昭和39年東京オリンピックの聖火ランナーと写る写真からも、三代目戸田橋の親柱が戸田市の歴史のあゆみをいつも近くで見守ってきたことがわかる。 戸田市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

昭和初期/1929年着工、1932年完成 ・材質:花崗岩・御影石(石造部分)・付属物:正面と背面に鋳造銅製プレート、1対の欄干部 ・寸法:(高さ)3950㎜、(最下部平面)1200㎜四方


戸田公園(埼玉県戸田市戸田公園)


戸田公園は、昭和12年から昭和15年にかけて建設された、国内最大規模の人工静水コースである漕艇場を中心とした公園。昭和39年の東京オリンピック後に都市公園として開設され、ボート競技の会場や練習場として利用されるとともに、水と緑の拠点として県民に憩いと潤いの空間を提供している。また、荒川沿いの土手に隣接していることや、高台広場や花壇、健康遊具などがあることから、漕艇場の利用者のみならず、散歩等の利用者の憩いの場としても親しまれている。~ちょこたび埼玉HPより抜粋転載~ 漕艇場を中心に、東西約2,500m、南北約300mと細長く、荒川を隔て、東京都板橋区に接している。

上記案内図:埼玉県公園緑地協会HPより転載

「国立戸田艇庫」

両側に大学・企業の漕艇部の建物が並んでいる

高校生や大学生が練習

「戸田ボートコース聖火台」

この聖火台は、昭和39年10月に開催された「第十八回オリンピック東京大会」のボート競技場の聖火台として使用されたもの。鋳物製で大きさは、上部直径1.4m、高さ1.4m。主会場の国立競技場(東京都)に設けられた聖火台(昭和33年設置)の3分の2の大きさだが、同じデザインでいずれも川口市内の鋳物工場で製作された。10月10日の開会式に国立競技場聖火台に灯された聖火から分けられた炎が、当時の戸田町役場前から3人の走者によってリレーされ11日午前9時30分に聖火台に点火された。このきらめく聖火のもと、同日から5日間にわたり、27か国、101クルーが7種目のボート競技を熱く繰り広げた。

(戸田市立郷土博物館蔵)~下記案内板より抜粋転載~

🌸荒川の桜堤🌸

「戸田公園大橋」

競艇場への通路のほか、災害時の避難通路として計画された歩道橋。橋の長さは179m、幅は5.25m、主塔の高さは地上59.9mとして設計。公園内に架けられるため、橋の上部は景観を重視し、主塔から斜めに張られたワイヤーで支える斜張橋が採用されている。この形式の歩道橋としては、日本最大規模の長さを誇る。~戸田市情報ポータルサイトHPより抜粋転載~

「戸田公園大橋」から見る

戸田ボートコース

戸田公園一番奥の競艇場

「ボートレース戸田」

新曽氷川神社(埼玉県戸田市氷川町)


新曽氷川神社と夫婦柿

創立は永享元年(1429)と伝え、古くから旧新曽村の鎮守として祀られてきた。祭神は素戔嗚尊、奇稲田姫命ほか四柱。祭礼は、毎年10月18日となっている。明治6年に村社となり、明治40年に神明社(新曽小玉)、八幡社(新曽柳原)、稲荷社(新曽稲荷)などを合祀して現在にいたっている。また、境内には高さ10mを越える大きな柿の木がある。これは、俗に「夫婦柿」といって、一本の木に雌型(丸形)と雄型(細形)の柿が実る珍しいもの。柿は雌雄異花といって一本の木に雌花と雄花とができて授粉し、雌花に結実するようになっているが、この夫婦柿は雄花にも実が成るもの。雄花の結実は、退化したはずのめしべが突然変異によって不完全ながらその役を取り戻したためと考えられている。市の天然記念物として指定されている。 戸田市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「拝殿」

妙顕寺(埼玉県戸田市新曽)


妙顕寺は、長誓山安立院と号し、日蓮宗身延山久遠寺の末で、江戸時代には寺領十八石の御朱印を下付されていた。日蓮上人が佐渡へ流刑になる途次、武州新倉(和光市)の辺りを通るとき、新倉の領主隅田五郎時光が難産に苦しむ妻のために、日蓮上人に安産の護符を乞いました。そのかいあって一子徳丸を無事に得たため、日蓮に帰依して一寺を起立し、日蓮上人の高弟日向上人を招請して弘安4年(1281)に開山したのが始まりと伝える。本尊は、日蓮上人自筆の題目曼荼羅で、「子安曼荼羅(弘安2年銘)」「建治大本尊(建治元年銘)」などと呼ばれるものがある。そのほか寺宝として、日向上人が日蓮上人の法話を筆録したと伝える「日向記」などがあり、日蓮上人の墨跡とともに埼玉県指定文化財となっている。本堂には、縁起由緒や子供の遊ぶ様子などを色彩豊かに描いた多くの大絵馬が奉納されている(市指定文化財)。 また、本堂の脇には、縁起に題材を得たレリーフのある供養塔(明治13年銘)などがある。 戸田市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「山門」

木造・一間一戸薬医門・切妻造

「南無妙法蓮華経」と刻まれた

題目法塔


「仁王門」

木造・三間一戸八脚楼門・入母屋造

扁額「妙顕寺」


「仁王門」から「本堂」をのぞむ

「本堂」

「手水舎」

「鐘楼」

木造・方一間・切妻造

「日蓮聖人像」

「子安釈迦佛」

「仁王門」裏から

枝垂桜と「妙顕寺」