熊本・大分・福岡の旅


熊本在住の友人を訪ねて、熊本へ。「熊本城」を見学した後、"大人女子4人旅"スタート。大分県の「湯布院」へ。 美食懐石と露天風呂付き離れ宿「旅籠 香乃蔵 」にゆったり2泊し、「湯の坪街道」「金鱗湖」を散策。2泊後、湯布院と阿蘇を結ぶ絶景ドライブルート「やまなみハイウェイ」を通って「阿蘇」の観光スポットへ。その後、熊本空港で3人と別れ、せっかく九州へ来たので、"福岡への1人旅" -2023.07.14~07.16- 翌日、博多から行きたかった世界遺産「宗像大社」と"光の道"で有名な「宮地嶽神社」へ。 -2023.07.17-

博多 → 🚊 → 東郷 → 🚌 → 宗像大社 辺津宮  -2023.0717-

宗像大社


宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つ。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。~宗像大社HPより転載~ 

古代よりご神体として信仰されてきた沖ノ島を起源とする宗像大社三宮を含む8つの資産が、世界に類を見ない信仰の発展・継承を示す物証として、平成29年(2017)7月、"「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群"が世界遺産に登録された。

上記:宗像大社HPより転載

史跡 宗像大社境內

「宗像大社」は、沖津宮 、中津宮 、辺津宮 の三宮からなり、宗像三女神を奉斎している。ここに祀られる宗像大神については、記紀、風土記にも詳らかにのべられており、沖津宮のある沖ノ島からは、古墳時代から平安時代にかけての貴重な祭祀神宝 (国宝)が多数出土している。また宗像大神を奉祀する宗像氏は古代の有力な氏族であり、中世には院行、鎌倉、室町両幕府らと関係をもち、戦国記にもその地位を守り抜いた豪族であった。旧境內の概要は、現存する天正6年(1578)の造営絵図により想定できるが、現境内もなおよく当時の形状を保っている。 文部省 ~下記案内板より抜粋転載~

御祭神について

当大社は、天照大神の御子神 田心姫神(沖津宮)・湍津姫神(中津宮)・市杵島姫神(辺津宮)の三女神が日本書紀に伝えられているように天孫降臨にさきだち天照大神の御神勅を奉じて鎮座された。この九州北辺の要衝の地に三柱の女神が勅祭された意義はまことに尊く、道主貴の御別称が示すように国民道の祖神として歴代の皇室を守護され国家鎮護の御神徳を発揚され今日に至っている。また古くかた皇祖天照大神をおまつりする伊勢神宮に対して裏伊勢とも称せられ皇室をはじめ国民の崇敬も厚いお社です。宗像大神をおまつりする神社は、全国に六千余社あるが、当社はその総本社である。~下記案内板より抜粋転載~

辺津宮(福岡県宗像市田島)


祭神:市杵島姫神 いちきしまひめのかみ 本殿:重要文化財 天正  6年  (1578) 拝殿:重要文化財 天正18年  (1590)

 

辺津宮(へつみや)は、福岡県宗像市の釣川沿い田島と呼ばれる地区にある宗像大社の三つの宮の一つで、宗像三女神の一柱、市杵島姫神を祀っている。釣川沿いの旧入り海に突き出た丘陵上の下高宮祭祀遺跡を起源として、その麓に社殿が造営されていきました。海や川との関わりの深い三女神をまつる本土の信仰の場として、宗像大社の神事の中心となっている。

鳥居をくぐり、参道を進むと、神門の向こうに本殿があらわれる。社殿は、遅くとも12世紀までに築かれたことが分かるが、戦乱などにより度々失われた。最後に焼失したのは弘治3年(1557)で、天正6年(1578)に大宮司宗像氏貞によって本殿が再建された。氏貞は跡継ぎがないまま亡くなり、大宮司家は途絶えるが、天正18年(1590)に九州に転封された小早川隆景によって拝殿が再建された。その後は、福岡藩主黒田氏によって代々修理費用が賄われ、時代が変わっても、信仰は途切れることなく現在まで続いている。本殿・拝殿は国の重要文化財に指定されている。~「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群保存活用協議会HPより抜粋転載~

上記:宗像大社HPより転載

「一の鳥居」

上記写真:スマホで撮影

世界遺産

"「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群"


「二の鳥居」

上記写真:スマホで撮影

「太鼓橋」と「心字池」

「手水舎」

「祓舎」

「神門」

上記写真:スマホで撮影

青銅製の「狛犬」

角ありの阿形獅子

角ありの吽形獅子


神門扉の「菊の御紋」

「拝殿」

<国指定重要文化財(建造物)>

天正18年(1590)に九州に転封された小早川隆景によって拝殿が再建された。桁行六間、梁間正面一間、背面三間、一重、切妻造、妻入、柿(こけら)葺。

上記写真:宗像大社HPより転載

「本殿」

<国指定重要文化財(建造物)>

遅くとも12世紀までに築かれたことが分かるが、戦乱などにより度々失われ、最後に焼失したのは弘治3年(1557)で、天正6年(1578)に大宮司宗像氏貞によって本殿が再建された。五間社流造、柿(こけら)葺。

屋根

薄い木材の板を屋根に敷き詰める柿葺

「儀式殿」

御神木と神紋について

この楢の木は、当大社の御神木。宗像大社の神紋は、皇統守護の神勅を戴く鎮祭の由緒から、「菊の御紋」を表紋とし、この「楢の葉紋」を裏紋として用いている。楢の葉に実をあしらった意匠で、歴代の宗像大宮司の家紋としても用いられてきた。この御神木の樹齢は約550年で、今もご参拝の皆様を見守り続けている。~下記案内板より抜粋転載~

摂末社(せつまっしゃ)


本殿の周辺には大小のお社が24社あり、121の神様が祀られている。

末社由緒

本殿を囲んで22の社殿に121の末社が鎮まっている。現時の社殿は延宝3~4年(江戸時代前期)にかけて整備されたもので、その由緒は古代の律令制度の時代にまで遡る。大化の改新(645)により公地公民となるが「神郡」と定められた地域のみ、神社の私有が認められた。神郡は全国の有力社七社(伊勢神宮①内宮②外宮③安房神社④熊野大社⑤鹿島神宮⑥香取神宮⑦日前・国懸神宮⑧宗像大社)にのみ許され「八神郡」と称された。九州では唯一宗像のみが神郡と定められ、その「神郡宗像」内に祀られた各神社を集合奉祀したものが、現在の末社群です。神郡宗像の領域は現在の宗像・福津両市を中心に、遠賀・鞍手・粕屋郡の一部まで及び、各地域に鎮座した「75末社108神」といわれる神が、宗像大社を総氏神と仰いだ信仰を今に伝えている。尚、佐賀県の一部など中世に宗像大宮司家が領有した地域の神も分祀され続けたため121社に至っている。現在も各地域に鎮まっている神社がほとんどですが、なかには時代の経過とともに祭祀が営まれなくなり、もとの鎮座地が不詳となった神社も、この末社群にはございます。~下記案内板より抜粋転載~

上記写真:宗像大社HPより転載

松尾神社

蛭子神社


高宮斎場


市杵島姫神の降臨の地とされ、社殿がない古代祭場。月次祭にはお祭りがあり、10月3日には夜神楽(悠久舞)が舞われる。

「高宮参道」

高宮祭場

宗像大神「降臨の地」と伝えられ、沖ノ島と並び宗像大社境内で最も神聖な場所の一つ。神籬(樹木)を依代としており、社殿が建立される以前の神社祭祀(庭上祭祀)を継承する、全国でも稀な静寂に抱かれた祈りの空間。

 

古代祭祀を伝える沖ノ島と高宮祭場

宗像大神(宗像三女神)は沖ノ島の沖津宮(長女神=田心姫神)、大島の中津宮(次女神=湍津姫神)、そして総社である当地・辺津宮(末女神=市杵島姫神)にお祀りされ、この三宮を総称して宗像大社と申します。三宮のなかでも、沖ノ島は当大社の神職が交代でたった一人常駐勤務(現在十日間ごとの交代)し、今日も女人禁制や、毎朝海に入っての禊、一木一草一石たりとも持ち出せないなどの掟や禁忌によって厳重に守られている神聖な島です。その沖ノ島では四世紀末から約六百年間にわたり国家規模の祭祀が行われ、二十三ヶ所の祭祀跡が確認されると共に、八万点にもおよぶ神宝(全て国宝)が出土しています。

また現在、全国津々浦々の神社で行われている祭祀(おまつり)は、社殿(本殿や拝殿)で行われていますが、この沖ノ島の祭祀跡から、天上より依代(磐坂・神籬)に神様を降臨願うという、神社祭祀の原点が実証されています。この沖ノ島で行われた祭祀の姿を色濃く残しているのが、当地の高宮祭場です。古代より連綿と継承される、わが国の祈りの姿に想いを馳せながらご参拝下さい。 宗像大社社務所 ~下記案内板より抜粋転載~

第二宮・第三宮へ

第二宮 第三宮


伊勢神宮の古い社殿を頂戴したもので、「第二宮」(ていにぐう)には田心姫神(たごりひめのかみ)、「第三宮」(ていさんぐう)には湍津姫神(たぎつひめのかみ)が祀られている。

上記写真:宗像大社HPより転載

第二宮・第三宮

宗像三女神のうち、長女神(沖ノ島)と次女神(大島)は遥か玄界灘洋上に鎮座されており、往古より総社(中心となる神社)である当地・辺津宮を「第一宮」と称し、その境内地に両宮の御分霊をお祀りしてまいりました。そして第二宮と第三宮まで詣でれば、沖津宮と中津宮までつまり宗像三宮を拝したと信仰されてきました。宗像三女神は「古事記」「日本書紀」にあるとおり、天照大神と素戔嗚尊との誓約の際に、天照大神の息吹より誕生されました。現在の社殿は、その格別の由緒を以って宗像三女神の御親神を祀る伊勢神宮より、第六十回神宮式年遷宮に際し下賜されたものです。我が国最古の建築様式である「唯一神明造り」で昭和五十年五月に移築されました。

御祭神 第二宮:田心姫神(長女神)沖ノ島・沖津宮の御分霊 第三宮:湍津姫神(次女神)大島・中津宮の御分霊

  

伊勢神宮と宗像大社

天照大神は皇室の御祖先神であるとともに、全国津々浦々の各ご家庭で神宮大麻(「天照皇大神宮」のお札)が奉斎されておりますように国民の総氏神として、伊勢神宮(三重県)にお祀りされています。伊勢神宮は「神宮」と申し上げるのが正式名称で、三重県伊勢市に鎮座する皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)と呼ばれる二つのお宮(「正宮」ともいいます)をはじめ、別宮、摂社、末社、所管社一二五もの宮社からなり、その総称が「神宮」となります。正宮に次ぐお宮である別宮は、伊勢市とその近郊に十四あり(内宮十、外宮四)、当大社の第二宮・第三宮の社殿は、皇大神宮(内宮)別宮である「伊佐奈岐宮」と「伊佐奈弥宮」の旧社殿です。伊勢の息吹を感じていただきながら、神話の時代より連綿と継承される我が国の祈りに思いを馳せながら、お参りいただきましたらと存じます。 宗像大社社務所 ~下記案内板より抜粋転載~

第二宮

第三宮


神宝館(しんぽうかん)


沖ノ島神宝(8万点の国宝)を中心に、宗像大社に伝承されてきた重要文化財などが収蔵展示されている。

三笠宮殿下応制歌歌碑


三笠宮殿下応制歌歌碑

沖ノ島 森のしげみの岩かげに 千歳ふりにし 神祭りのあと

昭和五十年の御題「まつり」の宮中歌会始の儀にて、お詠みになられた御歌。記念歌碑は、殿下自ら筆を取られたもので、同年十月に百合子妃殿下と共に当地・辺津宮御参拝の折に建立された。三笠宮崇仁親王殿下は、昭和四十四年、辺津宮・中津宮・沖津宮と宗像三宮を御参拝され、当時沖ノ島で行われていた第三次沖ノ島学術調査を、親しく御視察されましたが、その折の御感懐をお詠みにならえたものです。~下記案内板より抜粋転載~

御朱印

宗像大社・辺津宮 → 🚌 → 神湊波止場 → 神湊渡船ターミナル → ⛴ → 大島港 → 宗像大社・中津宮