鎌倉散策 ~梅~


雨あがりの鎌倉。曇り空の中、「鶴岡八幡宮」を起点に“梅の花”をテーマに梅の花の名所「荏柄天神社」と「瑞泉寺」を散策してきました。曇り空のお天気と新型コロナウィルスの影響か?観光客は少なく…。マスクをかけ厳重装備で!雨のしずくが残る梅の花は、風情がありとてもきれいでした♬ -2020.02.26-

鶴岡八幡宮 (鎌倉市雪ノ下)


康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まり。 その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷し、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心とした。 現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されている。   ~鶴岡八幡宮HPより抜粋、転載~

「舞殿」

静御前が義経を慕い、心を込めて舞った若宮廻廊跡に建ち、「下拝殿」とも言う。

「本宮(上宮)」 <重要文化財>

應神天皇・比賣神・神功皇后をお祀りする当宮の中心となるご社殿。「若宮(下宮)」とともに国の重要文化財に指定。

荏柄天神社 (鎌倉市二階堂)


福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三古天神社と称される古来の名社で、学問の神様“菅原道真公”をまつる。長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まる。~荏柄天神社HPより抜粋転載~

「二の鳥居」

ビャクシン(柏槇)の木が斜めに交差する

「参道」

参道階段付近や境内でみつけた

“ミツマタ”

ミツマタ(三椏):中国及びヒマラヤ地方を原産とするジンチョウゲ科のミツマタ属に属する。名前のとおり枝が三つに分岐するのが特徴で2月から3月にかけて咲く黄色い花は芳香がある。樹皮は和紙の原料和紙の原料としてよく知られている。

境内には約100本の梅の木が植えられていて、本殿前には紅白一対の梅が咲き誇る。紅の紅梅(かんこうばい)は鎌倉で一番早い梅の開花と言われている。残念ながら季節は、2月下旬-紅の花は見られませんでした。

「拝殿」

「みこし庫」

「手水舎」(手前)と

「熊野権現社の鳥居」

「大銀杏」

御神木の「大銀杏」。古い史料にると、御由緒にある「天神画像」が天降った地を里人が畏れ、踏まれないように「いちょう」を植えたと記されているので樹齢は神社と同じく900年程度と思われる。高さが25m、胴回りが10mの大木。~荏柄天神社HPより転載~

「古神札納所」

昨日の雨のしずくが…。

「絵筆塚」

「かっぱ筆塚」を建てた漫画家清水崑の遺志を継いだ横山隆一らが1989年(平成元年)に建立したもの。漫画家の故・横山隆一氏(鎌倉在住)をはじめとして、漫画家154名が描いた"かっぱのレリーフが飾られている。鉛筆をかたどったもので、高さ3m、直径1m、重さ800㎏。~荏柄天神社HPより転載~


「瑞泉寺」へ行く途中で桜

瑞泉寺 (鎌倉市二階堂)


鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹に列せられた格式のある寺院。山号の錦屏山(きんぺいざん)は、寺を囲む山々の紅葉が錦の屏風のように美しいことから名付けられた。瑞泉寺は、鎌倉二階堂紅葉ヶ谷の奥に夢窓国師によって鎌倉時代末期の嘉暦二年(1327年)に創建。開山の夢窓国師は、後醍醐天皇や足利尊氏も深く帰依し、鎌倉〜南北朝期に臨済宗で重きをなした僧。作庭にも才を発揮し、昭和45年に発掘、復元された仏殿背後の庭園は、夢窓国師の作として、国の名勝に指定されている。また、境内は、四季を通して様々な花を楽しむことが出来る。~瑞泉寺HPより抜粋転載~

「男坂」

「女坂」

「山門」

「本堂」

本尊を安置する「本堂」は、昭和58年(1983)に再建。棟反りの二層の銅葺き屋根、頭部の頂点には宝珠の飾り。堂内には南北朝時代に作られ、重要文化財にも指定されている夢窓疎石坐像と、徳川光圀が寄贈した木造の千手観音菩薩坐像が安置されている。

「錦屏晩鐘」

「名勝瑞泉寺庭園」

紅葉ヶ谷を囲む三方の山が天然の垣根をなし、わずかに開けた西の空に富士山を仰ぐこの地を選び、天台山、錦屏山を背景として、夢窓国師は庭園を作られました。~瑞泉寺HPより転載~

岩盤を彫刻的手法によって庭園となした、「岩庭」とも呼ぶべきこの庭園は、書院庭園のさきがけをなすものであり、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園。 ~チケットの解説から抜粋転載~ ※庭園内は一般公開はされていない。

「天女洞」

境内の北の一隅の岩壁の正面に大きな洞「天女洞」を彫って水月観の道場となし、東側には坐禅のための窟「坐禅窟」・「葆光窟」がある。

“どこもく地蔵”の「地蔵堂」

貧しさから逃げようとした堂守に「どこも苦」

苦しいのはどこも同じと諭した

“どこもく地蔵”

「本堂」前の“黄梅(オウバイ)”

<鎌倉市指定天然記念物>

黄梅:江戸時代から知られた梅の品種で花弁は退化してやや黄色。この木により牧野博士はオウバイと命名された。

馬酔木(あせび)

鈴のような白い花を、枝いっぱいに咲かせる。アセビは有毒で、馬が食べると酔って足がなえることから「あせび」となり、漢字の「馬酔木」も その由来による。

ミツマタ

スイセン

鎌倉宮(鎌倉市二階堂)


後醍醐天皇の皇子である“護良親王(もりながしんのう)”を祭神とする神社。“護良親王”は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の動きに呼応して幕府軍と戦うなど貢献したが、足利尊氏と対立して捕らえられ、28歳で悲劇の最期を遂げた。明治2年(1869)に建武の中興に尽くしたものの若くして命を奪われた“護良親王”の遺志を後世に伝えることを望まれた明治天皇が創建。 また「鎌倉宮」は、別名「大塔宮(おおとうのみや)」と呼ばれている。

河津桜