中欧4カ国ハイライト8日


《夏のイチ押し ヨーロッパ》中欧人気の3都市と音楽の都ザルツブルクに泊まる中欧4カ国ハイライト8日」(日本旅行)のツアーに参加。 -2010.09.26~10.08-

上記MAP:クラブツーリズムHPより転載

オーストリア (Austria)


オーストリア共和国 (Republic of Austria)

首   都 : ウィーン

公用語 : オーストリアドイツ語、ドイツ語

スロバキア(Slovakia)プラスチラバ(Bratislava)→ 🚌 → オーストリア(Austria)ウィーン(Wien)-2010.09.28-

ウィーン (Wien)


オーストリアの首都であり、9つの州のひとつ。「リング」と呼ばれる環状の大通りに囲まれた旧市街を中心とした街。 

シェーンブルン宮殿 (Palace and Gardens of Schönbrunn) 〈世界文化遺産〉


ハプスブルク家の夏の離宮「シェーンブルン宮殿」は、皇帝レオポルト一世の命で1696~1713年に建築家フィッシャー・フォン・エルラッハにバロック様式の壮麗な狩猟の館に改築させたもので、18世紀の半ばに、女帝マリア・テレジアの指示で拡張・改装を行い、現在の姿となる。1441室のうちもっとも重要な約40室が一般公開されている。外観はバロック様式、内部はロココ様式で、外観の明るい黄色はマリア・テレジア・イエローと呼ばれている。1996年、「シェーンブルン宮殿と庭園群」として、世界文化遺産に登録された。なお、シェーンブルン宮殿は、残念ながら宮殿内部は写真撮影が禁止です😢。

絵葉書

大広間「グローセ・ギャラリー」

(Grosen Galerie)

ナポレオン政権が崩壊した後、ヨーロッパの治安を維持するために行われたウィーン会議の舞踏会会場。舞踏会をは盛り上がったが、会議自体は円滑に進まず、それを皮肉った「会議は踊る、されど進まず」という有名なセリフは今に語り継がれている。長さは40m、幅は約10mの大広間。天井にはハプスブルク家の繁栄を表す天井画、美しいシャンデリアは美しい。

絵葉書

宮殿の背後の広大な庭園

マリア・テレジアの時代から

造営が始められた

フランス・バロック様式

ウィーン国立歌劇場 (オペラ座)(Wiener Staatsoper)


オーストリア国立の歌劇場。「シュターツオーパー」の名でも知られる。1869年宮廷歌劇場として開場、1918年から現称となる。専属の管弦楽団は「ウィーン・フィルハーモニー」として有名。

ウィーン(Wien)→ 🚌 → ザルツカンマーグード地方・ハルシュタット(Hallstatt) -2010.09.29-

ザルツカンマーグード地方(Salzkammergut)


ザルツブルク市の東、アルプスの峰々に抱かれるように、扇状に展開する一帯が、オーストリアの景勝地を代表するザルツカンマーグート。「塩の御料地」という意味がある。その名の通り岩塩の採掘が盛んで、オーストリア帝国の直轄地でもあった。湖が大小合わせて76も点在するオーストリアで最も美しい湖水地帯と言われる。世界遺産の「ハルシュタット」や「ダッハシュタイン山塊」もこの地域にある。

ハルシュタット(Hallstatt)〈世界文化遺産〉


ハルシュタットは、景勝地ザルツカンマーグート地方の奥にそびえるダッハシュタイン山塊の山麓に位置する小さな町。「ハルシュタット湖」の湖畔に家々が並び立つ景観は、世界でも最も美しい湖畔の町の一つとして知られている。「ハルシュタット」とその周辺地域は、映画「サウンドオブミュージック」の撮影で使われたことでも有名。一帯は、「ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、1997年に世界文化遺産に登録された。

絵葉書

あいにくの雨☂です。

ハルシュタット・ルーテル教会と

古い街並みと湖

山の斜面に家々が立ち並ぶ

ハルシュタット・ルーテル教会

(Hallstatt Lutheran Church)

1785年に建てられたプロテスタントの教会

高く天に伸びる鐘楼が特徴的


マルクト広場

(Markt Platz Hallstatt)

木造の古い家々やホテル、お土産屋が並ぶ。

山の斜面に張り付くように建っている

カトリック教会

フランツヨーゼフ皇帝とエリザベート妃の

新婚旅行記念の泉

「Trinkwasser(飲用水)」となっている

ハルシュタット(Hallstatt)→ 🚌 →  ザルツブルク(Salzburg) -2010.09.29-

ザルツブルク(Salzburg) 〈世界文化遺産〉


塩によって栄えた街で、都市名は「塩の城」 という意味。音楽祭とモーツァルトの生誕地として有名で「新市街」「旧市街」、その両方が「ザルツブルク市街の歴史地区」として1996年に世界文化遺産に登録された。

ザルツァハ川(Salzach)

ミラベル宮殿(Schlob Mirabell)<世界遺産>


「ミラベル宮殿」は、17世紀初めに大司教ヴォルフ・デートリッヒ・フォン・ライテナウが愛人サロメ・アルトのために建てた宮殿で、創建当初は、愛人アルトの名に因んで「アルテナウ宮殿」と名付けられていた。1611年に大司教デートリッヒが失脚すると、後任の大司教によって「ミラベル宮殿」と改名された。「ミラベル宮殿」は、1818年に大火災に遭い大部分を消失。現在の建物は、その後再建された。その大火災の中でも残った部屋が宮殿内において、見どころの一つでもある「大理石の間」で、この大理石の間は、ザルツブルクが生んだ神童モーツァルトが演奏を行った場所で、現在も、定期的に演奏会が開かれている。

ミラベル庭園(Mirabellgarten)


ミラベル庭園は、オーストリアのバロック建築の巨匠ヨハン・フィッシャー・エルラッハによって17世紀に造られました。ペガサスなどギリシャ神話がモチーフになっている彫像や花壇、噴水が配置されており、優美な雰囲気を醸し出しています。また、この庭園は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のマリア先生と子供達が「ドレミの歌」を歌う有名なシーンで使われている。こちらの通称「ドレミの階段」は、歌のフィナーレで登場していた。

「ペガサスの泉」

「ドレミの階段」

噴水の向こうに

「ホーエンザルツブルグ城」

ミラベル庭園を出ると

「ザンクト・アンドレー教会」

ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家(Karajan Geburtshaus)


世界的指揮者「ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家」。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の指揮者や、ウィーン国立オペラ座の総監督を務めた偉大な人物。建物の前の広場はカラヤンの名に因んで「アーク・カラヤン広場」と名付けられている。

モーツァルトの住居 (Mozart Wohnhaus)


「ミラベル庭園」を出て正面に見えるピンク色の建物は、「モーツァルトの住居」。モーツァルトが17歳の時(1773年)から1780年まで家族と一緒に住んでいた家。

モーツァルトの生家 (Mozarts Geburtshaus)


モーツァルトは、1756年1月27日、この家に生まれた。モーツァルト一家が1773年まで実際に住んでいた。現在は、記念博物館として一般に公開。モーツァルトが幼少期に使用していたバイオリンやピアノ、自筆の楽譜、家財道具といった、当時の貴重な資料が展示されている。残念ながら写真撮影は禁止です😢。

モーツァルト広場 (Mozart Platz)


ザルツァッハ川の西岸の旧市街にある。かつてはミヒャエル広場とよばれていたが、1842年9月5日にザルツブルクの人々がモーツァルトの記念像を建てたことから「モーツァルト広場」と改名された。

ドーム広場(Domplatz)


大聖堂前のドーム広場にある

「マリア像」

「大聖堂の天使と冠」

ザルツブルク大聖堂 (Dom zu Salzburg)


モーツァルトが洗礼を受けた有名な大聖堂。司教聖ヴィルギリウスが744年にロマネスク様式の聖堂を建てたのが最初で、1181~1200年ころにかけて後期ロマネスク様式に改築され、1628年に、イタリア出身の建築家サンティーノ・ソラーリオによりイタリアバロック様式の聖堂に建て直され、さらに1959年の改修を経て、今日に至っている。奥行きは100m ドームの天井は高さ71m。ヨーロッパ最大のパイプ・オルガンを所蔵していることでも有名で1961年に設けられた聖堂の鐘もドイツ語圏では最大のもの。

「礼拝堂」

入口を振り返ると上部に、

ヨーロッパ最大級6,000本ものパイプの

「パイプオルガン」

モーツァルトが演奏したことでも有名

「モーツァルトの洗礼盤」

ザルツブルクで生まれた

モーツァルトが洗礼を受けた洗礼盤

レジデンツ(Residenz)


12世紀以来、歴代の大司教が居を据えたバロック様式の宮殿。宮殿内には、18世紀後半、モーツァルトが大司教の前で演奏を披露した「会議の広間」や見事なタペストリーが印象的な「謁見の間」など、180もの部屋があり、そのどれもが豪華絢爛なものとなっている。

レジデンツ広場 (Residenzplatz Square)


「レジデンツ」と「大聖堂」、ザルツブルク博物館になっている「新レジデンツ」に囲まれた広場。広場中央にある噴水は、迫力ある馬やイルカなどの装飾も施されたバロック式の噴水で、この噴水は映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場する。

ザルツブルク大聖堂の鐘楼と

「ホーエンザルツブルグ城」

ゲトライデ通り (Getreidegasse)


ザルツァハ川に沿うようにある「ゲトライデガッセ」は、ドイツ語で「小さな通り」を意味し、その名の通り道幅は狭いが、旧市街のメインストリート。路地が建設され始めたのは、ザルツブルクの街が司教区となった700年頃からといわれており、東西約320mの通りとなっている。

ゲトライデ通りの名物

"手の込んだ美しい鉄細工の看板"