港区まち歩き 白金コース


港区まち歩きコースマップD 高輪・白金」の「D1 白金コース」を参考に歩いてみました!! 終着点は「広尾駅」ではなく「恵比寿」にしました。名所を訪ね、歴史に触れてよき散策でした😊。-2022.05.18-

立行寺(港区白金)


立行寺(りゅうぎょうじ)は、智光山と号し、日通聖人(延宝5年1677年寂)が開山、旗本大久保彦左衛門が開基となり、寛永7年(1630)麻布六本木に創建、寛文8年(1668)当地に移転した。境内には大久保彦左衛門の墓所が残されていることから「大久保寺」とも呼ばれる。

扁額「智光山」

「本堂」

「鐘楼」

「大久保彦左衛門忠教頌徳碑」

大久保彦左衛門:江戸時代初期の旗本。忠員の8男に生れ、初め忠雄、のち忠教 (ただたか) 、字は平助。天正4 (1576) 年 16歳の初陣に戦功をあげ旗本に列せられ、以来徳川家康に仕えて功績があった。大名になることを固辞し、「天下の御意見番」として家康の諮問にこたえたという。のち、秀忠、家光に仕え、戦国時代生残りの勇士として旗本のなかに重きをなした。その著『三河物語』 (3巻、1622) はいわゆる三河武士の精神を典型的に示したもの。~ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より抜粋転載~

「一心太助碑」

一心助:江戸時代初期の江戸の魚屋といわれ、講談、小説、戯曲に登場する人物。歌舞伎では河竹黙阿弥作『芽出柳緑翠松前 (めだしやなぎみどりのまつまえ) 』で活躍。義侠心に富み、江戸っ子の典型。大久保彦左衛門忠教の愛顧を受けたという。港区の立行寺に墓がある。~ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より抜粋転載~

鞘堂付きの「大久保彦左衛門の墓所」

※鞘堂:建物を風雨などから保護するため、外側から覆うように建てた建築物。

奉納:大久保講

「大久保彦左衛門の墓」

一族の墓に囲まれている


「供養塔」

白金氷川神社(港区白金)


白鳳年間(672~686)(今より1338年前)に所謂白金邑(しろかねむら)の総鎮守の氏神様として建立せられた。港区内で最古の神社といわれている。明和9年目黒行人坂から出た火災により類焼、その後宝暦2年大規模な権現造りの御社殿が御造営され、嘉永5年には拝殿が銅葺せりと伝えられ立派な建物であったが、昭和20年4月25日大東亜の戦禍にあった。昭和33年秋、現在の御本殿・幣殿・拝殿・参道・社務所等境内整備に至る迄造営大工事か竣工した。 ~白金氷川神社HPより抜粋転載~

「鳥居」

「参道」

「狛犬」


「手水舎」

「拝殿」

御祭神:

素盞嗚尊(スサノオノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)

「拝殿」横

「宇迦之御魂大神」(衣食住守護の神様)

拝殿右側に祀られている

「本殿」脇の細い道を歩いていくと

緑の中に「稲荷神社」

「稲荷神社」

おきつねさんがお守りする

三光坂(港区白金)


白金二丁目から四丁目の間の坂。

本来は坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ仏具)坂だったというが、日月星の三光などともいう。~「三光坂」(さんこうざか)の標柱より転載~

坂上に行くほど高級住宅が立ち並び、坂上には大きな館の塀へ、さらに行くと聖心女子学院の正門へとつながる。

「旧服部ハウス」

坂の上に1933年、服部時計店(現セイコーホールディングス)の創業者服部金太郎(1860~1934)の邸宅として建てられた洋館が残っている。戦後は連合国軍総司令部に接収され、東京裁判の判決文を日本語に翻訳する作業が行われた場所でもある。山崎豊子さんの小説「二つの祖国」に描かれている。建物は、高い塀に囲まれており、三光坂側からは建物は見えない。長い間、人は住んでいなかったようだが敷地と建物が2014年10月、シンガポールの不動産会社に買収された。洋館などを保存した形で、高級マンションにすることが予想されているとのこと。

聖心女子学院(港区白金)


日本では明治41(1908)年に最初の聖心の学校が開校し、次いで1916年には、聖心女子大学の前身となる私立聖心女子学院高等専門学校が開校した。 -正門前の道入口に警備員さんがいらっしゃるので遠慮しました😢-

「正門」

<都選定歴史的建造物>

広島の原爆ドームの設計者として有名なチェコのヤン・レッツェル(Ja Letzel)が設計。校舎と修道院も手掛けたが、関東大震災で焼失した。

上記写真:聖心女子学院HPより転載

中門(聖心女子学院 メモリアル校舎入口)

蜀江坂(港区白金)


坂上の丘を、紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだことからつけられた。ちなみに字名は卒古台であった。~「蜀江坂」(しょっこうざか)の標柱より転載~

三光坂の西側に位置し、

「聖心女子学院」に沿って下っている

「聖心女子学院」の赤レンガの塀が続く

北里研究所・北里大学(港区白金)


1892(明治25)年、現在の東京都港区芝公園に建坪10坪ほどの小さな建物が建った。それが、ドイツ留学から帰国したばかりの北里柴三郎が、福沢諭吉等の支援を受けて開設したわが国初の私立伝染病研究所である。2階建て、上下6室の所内に北里は住み込み、昼夜、研究に没頭した。柴三郎によるペスト菌の発見、志賀潔による赤痢菌の発見、秦佐八郎とパウル・エールリッヒによるサルバルサンの創製など、多くの伝染病の研究成果は世界を驚かせた。この研究所を基盤として、国立伝染病研究所を経て1914(大正3)年11月5日、北里研究所が創立された。翌年には現在の白金キャンパスの地に所屋が完成。総面積772坪、外観は恩師ローベルト・コッホが所長を務めたドイツ国立伝染病研究所を範としたものといわれ、当時の近代建築の花形であった。開所式はコッホの誕生日に合わせて、同年12月11日に盛大に挙行された。~北里研究所HPより抜粋転載~

コッホ・北里神社(北里研究所白金 キャンパス敷地内)


「コッホ・北里神社の由来」

北里柴三郎は、ベルリン留学時代(1886~1891)ドイツの細菌学者ローベルト・コッホ博士に師事し、当時、不可能と考えられていた破傷風菌の純培養に成功、さらに免疫抗体や血清療法の発見など数々の輝かしい業績を挙げ、その名を世界に知られるまでになった。北里はこれを全てコッホ博士のお陰とし、心からの尊敬と信頼を捧げた。1910年5月27日、コッホ博士の訃報を受け、北里は深い悲しみにくれ、間もなく、国立伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)の一隅に博士の遺髪をご神体として総檜造りの祠堂(コッホ祠)を建て、没後一年祭を催行し恩師を偲んだ。1914年11月5日、北里は国立伝染病研究所所長を辞し、即日、新たに北里研究所を創設して所長となり研究事業を続行した。そして、翌1915年、このコッホ祠を北里研究所構内の東南に招来し、同年5月27日、例祭を兼ねて遷座報告の祭典を催行した。1931年6月13日、北里が逝去すると、門下生らは、北里の御霊を北里研究所内に祀ることを願い、間もなく、コッホ祠の傍らに北里祠を設け、コッホ祠と共に北里研究所の守護神として崇敬報恩のしるしとしてきた。1945年5月25日、戦災により北里祠は焼失したが、幸い難を免れたコッホ祠にそれを合祀し、以後現在まで毎年6月13日の北里の命日に例祭を行っている。また、5月27日のコッホ博士の命日には献花を捧げている。1980年、この祠堂は北里本館屋上の一隅に遷座されたが、1993年、当初北里祠の在った位置にほぼ近い現在地に移すことになり、これを機に「コッホ・北里神社」と呼ぶようになった。2006年5月、北里柴三郎没後七十五年記念事業の一環として、建立から94年経った祠堂の修復と覆屋の修理を行った。~下記案内板より抜粋転載~

コッホ・北里神社周辺記念樹(北里研究所白金 キャンパス敷地内)


この樹木は「カラタネオガタマ」という名前の常録樹です。 北里研究所相談役・北里大学特別栄誉教授の大村智博士より 寄贈されたものです。2014年から始まった薬学部校舎・ 北里本館建替新築工事の完了を記念して2019年4月6日 に植樹されました。オガタマは霊を招くという意味の 「おきたま(招霊)」が訛ったもので、とりわけ神社の境内など で見られるそうです。花が甘い香りを発するので「バナナ・ ツリー」とも呼ばれます。 この樹木の隣には、しだれ桜があります。北里四天王の 一人で赤痢菌発見者の志賀潔博士が1951年に手植えされたもので、常に神社に寄り添っておりました。建替新築工事 の一環で2015年にコッホ・北里神社が現在の場所に ご遷座された際には、しだれ桜も一緒に移植されました。 カラタネオガタマは、神社右側の菩提樹(大村智博士が 2003年に寄贈)や紅梅、白梅、山桃、紅葉、しだれ桜など の木々と共に、北里研究所・北里大学の安軍と発展を願うコッホ・北里神社を囲む鎮守の杜としての役目を果たして おります。~下記案内板より抜粋転載~

狸橋(港区白金・南麻布)


白金5丁目1番先から南麻布4目13番先に至る古川に架かる橋。左手に「狸橋」由来の碑、橋の左はひらがなで「たぬきばし」、右は漢字で「狸橋」。

「狸橋」の由来

むかし、橋の南西にそば屋があって子どもを背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、そのお金が、翌朝は木の葉になったといいます。麻布七ふしぎの一つで、狸そばと呼んだのが、地名から橋の名になりました。ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。昭和57年 港区 ~由来碑より転載~

古川が流れる

フランス大使館(港区南麻布)


フランス大使館新庁舎は、パリ空港公団建築事務所のフランス人建築家ピエール=ミシェル・デルプシュ氏とドミニック・シャヴァンヌ氏をリードアーキテクトとして竹中工務店と共同で設計し、竹中工務店が日本とフランスの建材(ハイテクガラスなど)を多数使用して建設。その結果、鳥を思わせる折れ曲がったカーブを基調とする環境調和型の優れた建物が完成。新庁舎のメインファサードは、フランス大使館庭園に向けて開かれた窓のよう。フランス大使館の庭園は徳川幕府時代の遺産であり、フランスは歴史遺産を極めて重視する立場から、その一体性と主な特徴の保存を望んでいる。この美しい庭園にダメージを与えないことが、極めて早い段階から庁舎の建て替えの前提条件の一つになった。折れ曲がったフォルムと伸びたカーブで構成された新庁舎は、自然の中に溶け込んでいる印象を与えるばかりではなく、庭園の貴重性をいっそう引き立たせている。~港区観光協会HPより抜粋転載~

恵比寿ガーデンプレイス(渋谷区恵比寿)


1994年10月に開業した東京都渋谷区と目黒区に跨る総合施設。エビスビールで有名なサッポロビール工場の跡地に開発され、現在では商業施設、レストラン、住宅、オフィスや美術館など様々な施設で形成されている。

センター広場

ハワイイベント

「アロハ・トーキョー2022」

(5月20日~22日)

5/18当日はイベント準備中でした