常寂光寺 (京都市右京区嵯峨小倉山小倉町)


常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。「本堂」は、慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 「仁王門」は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、「仁王像」は、運慶作と伝えられる。常寂光寺HPより -2016.11.06-

「仁王門」

もと本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345〜49)に建立されたものを、元和二年(1616)に当山に移築され、「仁王門」とした。 境内建築物の中で最も時代の古い建物である。茅葺の屋根がめずらしい。「仁王門像」は、身の丈七尺、運慶の作と伝えられる。「仁王門像」は、目と足腰の病にご利益があるとされ、近在の檀信徒がわらじを奉納して病気平癒を祈願されている。~常寂光寺HPより転載~

「本堂」

「本堂」は、第二世通明院日韶上人(日野大納言輝資の息男)代に小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築して「本堂」としたもの。江戸期の文献、資料に図示された本堂の屋根は、本瓦葺きの二層屋根となっている。現在の平瓦葺きの屋根は、昭和七年の大修理の時に改修されました。建立の年代は、慶長年間。 ~常寂光寺HPより転載~

「妙見堂」

妙見菩薩は、北極星または北斗を象徴した菩薩様であることから、妙見尊星王、北辰妙見菩薩などといわれている。 ~常寂光寺HPより転載~

上記写真:常寂光寺HPより転載

「妙見宮」

「鐘楼」

鐘楼は、寛永十八年 (1642) 当山第四世、光照院日選上人の建立。梵鐘は第二次世界大戦中徴資に遭い、現在の梵鐘は、昭和四十八年に青木一郎博士の音響設計により、古律黄鐘調の新鐘として鋳造されたもの。毎日、正午と夕方五時に所定の数を突いています。 ~常寂光寺HPより転載~

「多宝塔」

寺伝に、文禄五 (1596) 年日禛上人が、当寺に隠棲して堂舎を建立し、さらに日韶上人が小早川秀秋の助力を得て桃山城客殿を移築して「本堂」とし、元和二 (1616) 年には本圀寺客殿「南門」を移して「仁王門」としたことが見えるから、慶長から元和にかけての頃が、当時の創建期であったらしい。 ~常寂光寺HPより転載~

境内の後方、やや小高い地点に建つ「多宝塔」は、方三間、重層、宝形 (ほうぎょう) 造、檜皮葺、総高約12m余で、均整のとれた美しい姿を示している。

多宝塔あたりから

京都街並みが見える♬