金沢文庫・金沢八景散策 Ⅱ -桜-


再訪です。桜🌸咲く金沢文庫・金沢八景散策へ。金沢文庫駅 →「称名寺」 → 前回休館だった「神奈川県立金沢文庫」の特別展を拝観 →「海の公園」を横切り →「野島公園」→ 「旧伊藤博文金沢別邸」 →「野島山展望台」 →「瀬戸神社」 →「琵琶島神社」→ 金沢八景駅。満開を過ぎていましたが、桜🌸、十分に楽しめました♬ -2024.04.10-

前回訪問は、2021年3月。前回の散策は、 金沢文庫・金沢八景散策 -桜-(Mar.2021) ヘ。

海の公園(横浜市金沢区海の公園)


海の公園は、金沢地先埋立事業の一環として整備され、昭和63(1988)年に開園した、横浜で唯一の海水浴場をもつ公園。海辺には、約1㎞にわたる砂浜と豊かな緑が広がり、海と人とがふれあえる貴重な憩いの空間となっている。自然に見える砂浜だが、千葉県から運んだ砂で人工的につくられた。現在は、カニやアサリなど多くの生き物が生息、春先には、潮干狩りを楽しむことができる。~公益財団法人横浜市緑の協会HPより転載抜粋~

野島公園(横浜市金沢区野島町)


横浜市の最南部にある平潟湾の入口に浮かぶ、「野島」という島にある公園。江戸後期に活躍した、浮世絵師歌川広重によって描かれた、『金沢八景』の中の『野島夕照(のじまのせきしょう)』(野島の漁師村に夕焼けが映えている様子を描いた錦絵)で有名な地域。海抜57mの野島山を中心に、展望台、バーベキュー場、キャンプ場、野球場などの施設があり、展望台からは、横浜の海はもちろん、房総半島や富士山を望むことが出来る。そのほか、横浜市指定有形文化財である旧伊藤博文金沢別邸や、野島貝塚など歴史を感じることのできるスポットがある。~公益財団法人横浜市緑の協会HPより転載抜粋~

「野島橋」

「野島橋」からの眺め

旧伊藤博文金沢別邸 <市指定有形文化財>(横浜市金沢区野島町)


旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文により、明治31(1898)年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築。 邸内内の詳細は、前回訪問時 金沢文庫・金沢八景 -桜-(Mar.2021) に掲載。

野島山展望台(横浜市金沢区野島町)


野島山山頂にある展望台。この展望台からは360度の展望が楽しめる。近くは、平潟湾や海の公園、八景島をはじめ金沢をとりまく緑の丘陵地帯が、また遠くは富士山丹沢の山々、横浜のMM21地区や東京の超高層ビル群、東京湾横断道路、房総半島、観音崎等の三浦半島南部の山々を見渡すことができる。


展望台からの眺め

「瀬戸橋」あたり

瀬戸神社(横浜市金沢区瀬戸)


中世都市鎌倉の外港として栄えていた武蔵国六浦庄(現金沢区全域)における中心的な神社。平潟湾と瀬戸入海をつなぐ潮流の速い海峡を望む地点に、古代から海の神としてまつられたと推定されるが、社伝では治承4年(1180)に源頼朝が伊豆三島明神(三島市三嶋大社)を勧請したのが起源とされている。祭神は大山祇命。鎌倉時代以来、執権北条氏・鎌倉公方足利氏・小田原北条氏などといった歴代の権力者によって保護され、江戸時代に入っても100石の朱印地を徳川将軍家より与えられている。

現在の社殿は、寛政12年(800)に建造され、屋根は、昭和4年(1929)に銅板に葺き替えられている。また、境内正面より平潟湾へのびる突堤の先端部にまつられている弁天社(琵琶島神社)は、頼朝の夫人北条政子が琵琶湖の竹生島から勧請したものと伝えられている。横浜市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「社殿」は、寛政12年(1800)の建立によるもので、権現造りと呼ばれる様式。

上記写真:横浜金沢観光協会HPより転載

「手水舎」

扁額「瀬戸神社」

「本殿」

「摂社」・「末社」

「金沢八景名称の由来」

その昔、 金沢六浦の地は海路の要所となる重要な港湾であっただけでなく、浦波島山のさまが千変万化に見えて、鎌倉幕府以来の武将たちはもとより、江戸の町人や明治の貴紳・文化人たちの安らぎの場所であったことは史実に明らかであります。八景の名称は、水戸の徳川光圀に招聘された中国の僧・東皐心越禅師が元禄7年(1694) この地に来遊し、谷津の能見堂からの眺めを故郷の杭州西湖の風景になぞらえて、八景を吟じたのにはじまるといわれている。

<武州 金沢八景>:洲崎の青嵐・野島の夕照・瀬戸の秋月・平潟の落雁・小泉の夜雨・内川の暮雪・乙舳の帰帆・称名の晩鐘

野島山の沖には、夏島、烏帽子岩、猿島が点在しており、今日の六浦・泥亀・釜利谷にまで入り込む内海と緑の山なみが作り出す風景に加え、四石・七井・八名木のほか、神社・寺院が適切に配置されていて、今から数十年前までは、真に景勝の地であった。横浜金沢ロータリークラブ ~下記案内板より抜粋転載~

<横浜市地域史跡>「琵琶島」

琵琶島は島の形が琵琶に似ていることから呼ばれたと言われる。島には北条政子が近江(滋賀県)の竹生島から勧請した弁財天を祭ってある。もとは瀬戸神社前面の海中にあり、2つの島を橋で結んでいたが、現在は陸つづきとなっている。金沢八景の1つである「瀬戸の秋月」の夜景を今に伝えるところ。"よるなみの瀬戸の秋風小夜更けて 千里のおきにすめる月かけ" 京極高門 横浜市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「琵琶島神社」鳥居横に「福石」

源頼朝公 瀬戸神社参拝の折、この石に服を掛け海水で禊祓したので服石とも呼ぶ。古来この石の前で物を拾ふ時は福を授かる故に「福石」と稱す。金沢四名石の一である。~下記案内板より転載~

「琵琶島神社」鳥居越しに「瀬戸神社」を望む

琵琶島神社(横浜市金沢区瀬戸)


御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

由緒:源頼朝公の御台所北條政子が深く信仰した近江国の竹生島弁才天を勧請し、瀬戸神社々頭の海中に島を築いて祀ったと伝える。島の形が琵琶に似ていたので琵琶島弁才天と呼ばれた。室町時代には船寄弁財天とも称し、又、御神体が立像であることから政子の出世に因んで江戸時代には立身弁才天の信仰を集めた。

例祭:五月十五日 神幸式 瀬戸神社例大祭に引続き、本社の神輿が琵琶島に渡御し社前で神楽が奏される。

柏槙(びゃくしん):参道両側の枯れ木は柏槙の名木で、延宝年間の高潮に冠水して立ち枯れたまゝ腐食せず、三百年前の古趣を今に遺している。~下記案内板より抜粋転載~

上記写真:横浜金沢観光協会HPより転載

「社殿」

ビャクシン <横浜市名木古木指定>

参道横の横浜金澤七福神「弁財天」